成人後の毒親
全ては意思の疎通が上手くいっていなかったというところだと私は思っています。
本当に最後まで、意思の疎通ができませんでした。
私の親は別居状態にあり、離婚はしていません。
なぜ離婚しないのかというところを、私目線で申し上げるなら父が母のATMとなっているというところでしょうか。
また、私がまだ実家にいた頃、母親の実家からいろいろと物が送られてくることが頻繁にあり、その度に母は実家に電話をかけていたという記憶が蘇ります。
また、この時には、まだうっすらとでしたが、私が親元を離れて暮らす時が来たら、こんな風に物が届くようになるということは、気づいていたように思います。
実家にいる時は、場面緘黙と進学の件を中心にいろいろありましたが、それを逃れるために家を出たはずなのに、母親の過干渉は留まるところを知りませんでした。
1週間に1枚は届くハガキ、毎日のように数件は入っている留守番電話、1ヶ月に1回は届く荷物。そして振り込まれるお金。。。
学生の時はまだいいと思っていたのですが、これがこの後の20数年に渡って繰り返されたのです。
そんな事をされては、とても迷惑ですし、ほとんどの時間、苛立ち、自分の事を考える余裕もなかったのでした。
そして独裁者は、頼んでもいない荷物やお金を送っては、「ものを貰ったらありがとうだよ」と言ってくるのでした。それが例え不用品でもです。
なんで、もっと早く絶縁しなかったのか、なんで私はこんなに長い間我慢をしなけれぱいけなかったのか、過去は変えられないと分かっていても、とても悔やまれるのです。
私は次第に荷物や郵便物の存在自体に不快感を抱くようになっていきました。
母は私をワキガだと見なしていたようで、ワキガによく効く薬などを大量に毎回のように送ってくるのでした。
メールができるようになれば、スクロールしないと読めないような長い文章を毎日のように送ってくるようになり、父のお金で買ったであろうスマートフォンを手に入れた時も、長いLINEを毎日のように送ってくるのでした。
当然、読む気も失せます。送らないように言っても、何の効き目もありませんでした。
絶縁前の1年間は、ずっと遠ざけていた母に自分から歩み寄ろうと試みたのでした。理由は、自分が遠ざけていたせいでこうなっているのでは…と思ったからでした。
電話は基本出ないようにしていた訳ですが、それでメールやLINEで長い文章を送ってくるようになったのだと思ってしまったので、電話で、その文句を口頭で聞こうという趣旨で、こちらから電話をかけるという事に踏み切った訳ですが、母の口から文句が語られる事はありませんでした。
もう既に文句はメールやLINEで活字にして送るものとして、母の中に築き上がってしまっていたようです。数分で終わる電話に、留まることを知らない長文のLINEやメール。
私は始めに、LINE以外の電話番号の着信拒否とメールアドレスのメール拒否に踏み切りました。その前にも、お金が送られてくる唯一知られている銀行口座の解約もしました。
母にはなんの罪の意識も何にもないようです。今でもそうです。
その後LINEブロックに踏み切った訳ですが、もう会うことはないと思います。
なにも変わらず、ハガキは来ます。
来ますが、読んでいません。
もう母の筆跡だと分かった瞬間に、私の中に強い不快感が走る。そんな身体になってしまいました。
2020年の11月に絶った連絡手段、そこから1年以上経った今も私の心の中は今もグツグツと煮えたぎっています。
届いたハガキはなるべく見ないようにして、ゴミ袋に捨てています。
結婚になんの魅力も感じません。
これを書き始めたら、強い不快感に苛まれ、私はもう祈る事くらいしかできないような心境に陥ります。
クリスチャンになれた事だけが、唯一の救いのように感じます。
今日は、これで終わることとしたいと思います。
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