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言葉が好きだから

何かを書く時に、気をつけていることはありますか?
何も気にせず、気の向くままに書きますか?

以前にも引用したことがあるけれど、私は何かを書く時に思い出すようにしていることがあります。

「万年日めくりカレンダー マザー・テレサ 愛のことば」女子パウロ会発行


何かを書かれるのでしたら、
どうか美しいことを
お書きください。
人々を引っ張り上げ、
上を向かせ、
お互いに愛し合えるようなことを
書いてください。

たまに忘れそうになるけれど。
やっぱり私は忘れないようにしていたい。

どんなに気をつけていても、誰のことも傷つけることなく生きていける人なんていない。
私のこんな言葉にすら傷つく人もいるかもしれない。
イラっとする人もいるかもしれない。

だからこそ、お互いさまだと考えるようにしたい。

だって私も誰かの何気ない一言に傷つくことがあるから。
カチンとくることがあるから。
モヤモヤすることがあるから。

でも、決して相手に悪気はない。
そう信じている。
そんなことはないと言う人もいると思う。

でも、私が何を信じるかは私が決める。

たいていは、いつだって、誰にだって悪気はない。そこにあるのはその人の思いだけだ。

私は命令口調が苦手だ。
乱暴な言葉が苦手だ。
怒りのこもった言葉が苦手だ。
なれなれしすぎる言葉が苦手だ。
大きな声が苦手だ。
他にも苦手なワードはたくさんある。

でも、私はそれらが苦手だから使うのをやめてくださいとは言えない。

相手にはその言葉を選ぶ権利も自由も、そして理由も、あるのだから。


私と同じように。
あなたと同じように。



例えば多様性について論じる時、多様性を否定する人を度外視せずに論じられるようになりたいと思う。
その人たちを度外視した時点で、多様性という概念を否定してしまうから。


差別について論じる時、差別主義の人たちのことを排除せずに論じられるようになりたいと思う。
その人たちを排除することは、その人たちを差別することと大差ないから。



全力で走る人は、自分の終着点は見えても足元にある小さな花には気づかないだろう。
でも、その小さな花を見逃したことは全然気にしないだろう。

その人は花を見つけたいんじゃなくて、走りたいのだから。

だから私は全力で走る人を呼び止めてまで、ねえねえ、そこに小さな花がありますよ、なんていわない。

全力で走りたい人と、花を見つけて喜ぶ人がいる。

ただ、それだけのことなんだと思う。


言葉は自由だ。
どんな言葉でどんなことを表現してもいい。

どんな言葉でも選べる。
どんなことでも書ける。

私は言葉が好きだ。
美しいにほんごが好きだ。
きれいなこのひらがなのもじのかたちもすきだ。

だからこの私の好きなものを、争いの道具にされたら少し悲しい。


言葉が好きだからこそ、
「人々を引っ張り上げ」
「上を向かせ」
「お互いに愛し合えるようなこと」
を書けたらいいと思う。

そう思わない人もきっといる。
それを悪いことだとは思わない。
言葉は気持ちを伝えるための道具だ。
使い方は人それぞれだ。

それでも。
もしそうだとするのなら、なおさら。

私は私の好きな言葉を、大事な道具を、大切に扱いたい。



あなたが自分の言葉を磨くのは、なんのためですか?

誰かを言い負かすためですか?

大切な誰かを守るためですか?

自分自身を守るためですか?

商売のためですか?

理由なんてないですか?

私はこのnoteの世界で自分の居場所を見つけました。
みんなの居場所でもあると思います。

私はこのみんなの場所を守りたい。
自分の居場所を守りたい。
言葉でそれが叶うなら、私は私の好きな言葉をそのために使いたい。

この街へ来てから4ヶ月がたちました。
少し賑やかになってきた路地裏。この場所を守りたい。

いつでも誰でも迷い込めるように。
いつでも誰でも帰って来れるように。

noteの街にはこの路地裏もきっと必要な場所だと思うから。
最近はよく、そんなことを思っています。

具体的に何ができるのかはわからないけど。
こうして自分の思いを書いておくことならできます。

長い独り言になりました。
私は9月生まれです。
レベルアップするこの月の真ん中の日に、これからの私へ向けて。


ここまで読んでくださった方、ありがとうございます😊

同じ9月生まれの皆さん
お互いおめでとうございます🎂


ではまた( ´ ▽ ` )ノ


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