不器用で三日坊主を恥じる過去の自分へ。
私は文字を書くのが好きだった。
書道は苦手だが、幼少期から習っていた硬筆は違う。色々先生から赤ペンで修正をかけられていたけど、いまだに当時の指摘を思い出すのだ。それくらいには印象深く、そして好きだった習い事なのだと思う。
とにかくコツコツと色々なことを続けられる子供時代だった。だが大きくなるにつれて、夢想的な計画を立てては失敗した。
仕事のことも、外見だけは計画を遂行できているひとを演じ続けることが辛かった。せっかく計画を立てても、己に必要のなさそうなことは忘れてしまう。
特に就職してから3、4年は過酷で忙しかった。
だが忙しさはみなおなじ。社会は厳しく、どんどん下から優秀な人材が入ってくる。私はいつ首を切られるかもわからない、薄暗い道を歩いていくしかない。
やはり自分で気づいている欠点は修正をかけるに越したことはない。だから、些細なことを記憶できない(したくない、と言っているようにすら思える)ポンコツ脳の代わりに、アナログ記録媒体を使うことにした。
まず一日一ページ手帳。
辛口の結論としては、書く場所が多すぎる。
社畜には娯楽を楽しむ時間も作れず、手帳すら開けなくてすぐ飽きた。
たまに元気な時、色々書いてみたが、せいぜいゲームのガチャ祈願イラストを描いたくらい。せっかく手帳の後ろの方に色々な付録がついているのに有効活用できなかった。
まっさらな無からぎゅっと詰まった有を作り出すことなどできなかったのだ。
次に一週間見開き型。ただし、見開きページが一体型になっているものだ。
こちらは少し続けられた。
最初は順調と思いきや、仕事で遅くなる週や、休みが一日しかない週はもうそれすら開けない。せっかくお気に入りのペンや、好きな色のカバーなのに開く元気がなかった。
結局、自他ともに認めるケータイ依存症の私には、少し日々の感想を書いたり、一週間の予定を書いたりするのも大変だったのだ。
しかも、自分の精神を安定させるための日記アプリ(Xと近しいタイプ)に愚痴や感情を吐き出していた。せっかく一日ずつ罫線があるものだったのにアナログの手帳にはそれすら書くタイミングがなかった。
なんと呆れたことか。
結局、最後には同年に購入した一ヶ月タイプを購入した。
こちらは書く場所は少し小さいのだが、前述した一週間見開き型手帳と同じサイズ。B5よりは小さいからまだマシか……そう心の中の怠惰はつぶやいている。
現状、早朝・晩にしかフリー時間がない職務の私にとっては、これが案外良かった。それに、枠外にもいっぱいかける罫線が所狭しと書いてあって嬉しい。
デジタルで文字を打つリハビリもほんの少しづつだが続いている。むしろアナログだとより顕著だ。
未来の自分はどうしたいか、今何をしないといけないのか、どういう計画を立てると良いのかなど現状にフォーカスして物事を考えられる傾向にある。
だからこそ、まめだった昔の冷静な自分に戻れるよう、自分を躾直すためにはやはりアナログ手帳はかなり「使える」のだ。
実際、二番目に勝った手帳の「付録」にもかなり助けられている。
旅行で行きたいところや見たい映画、やりたいこと・するべきことまとめなどを埋めて、結構楽しくやっている。忙しさにかまけて友人と会えない時間も多かった。
それからはきちんと友人と遊びにいくなどして、計画性のあったまめな頃の自分を少しづつ取り戻せてきている。
三番目に買った手帳は「付録」がついていなかったから、その後半「付録だけ」を活用する形になっている。しかし、それを抜きにしても、拘束時間の長い医療系の仕事についている私にとっては良かった。
忙しいと言っても、己を見つめる時間がいかに必要なのか……冷静になったら痛いほどわかる。
むしろ現実から目を背けるために、今まで幾多の時間とお金と、オートバイ・マイカーのタイヤをすり減らしてきたことだろう。
いつから髪を切っていないのか、一体自分は何をしたいのか、本当は何を望んでいるのか。目標に到達するにはどうすれば良いのか。計画的な買い物の仕方。自分の望む幸せの形はなんなのか……。
忙しいからこそ、目を逸らしがちな現実にきちんと向き合っていかないと、自分を大事にはできないのだ。拙い言葉で申し訳ないが、今更になってそう思う。
もっと早く気付けたら良かったのだろうが、仕方ない。
職場でも時折先方へこう伝えることがある。「(どんなことであっても)今気づいたのも、他人からすれば遅すぎるのかもしれない。しかし、自分自身にとってはちょうど良いタイミングだった」と。
人生に不必要なものなんてない、たいていの全ての事象は、大幅なアクシデントが起こらない限り、必然のタイミングで起こるのだ(宗教的なニュアンスではない)。
だから、個人的には変に偉人の言葉が書いてあったり、こっちの気持ちも知らないで励ましみたいな言葉が書いてあったりするよくわからない目線の付録は必要ない。
最低限の付録がついていて、ふとした時に息抜きがてら己を見つめ直せる手助けをしてくれる「torinco®︎(高橋書店)」シリーズ手帳がずっと好きだ。
流石に一年に二冊も「torinco®︎」を買うのは、お財布が許してくれなかった。
見開き一ヶ月デザインは、現在使用中である「MONTHLY BLOCK A5size(Raymay)」さんもコスパ抜群でかなり良い!とお伝えしておく。
唯一残念だったのは、一ヶ月見開きページの次にフリー罫線ページがなかったことだけ。
これは国家試験勉強の時におこなったように「(参考書へノートのページを増やすかの如く)前の月にまっさらな紙(書かなかった手帳のページ)を貼り付ける」という手法で解決した。これくらいは余裕だった。
仕事に振り回されて、本来の自分を見失いかけている方には一度自分を見つめ直すためにも手帳をお勧めする。もちろん小さなものでもいいし、大きくても良いだろう。
手触りやコストパフォーマンス、枠や線の色、付録の有無……。
特に大事なのは個人的に表紙の色だ。好きなキャラクターや芸能人のカラーリングでも良いと思う。ものによっては、インターネットで購入すると推しの色にもできる。
昨今よく謳われている「推し色カラーで楽しむ」とかなんとかにあやかっている気もする。
私自身も、お恥ずかしながら某ゲームに出てくる好きなキャラクターの色に近いため、インターネット注文した。
今年の手帳は迷走してしまった私だが、いまは後述した「MONTHLY BLOCK」に「torinco®︎」の青紫色のカバーをつけている。ペンホルダーがつけられなかったから合体させてみたのだ。
ちなみに、来年の手帳も早めにインターネットで購入したからもう後には引けない。
「torinco®︎」から出た新作デザインのほぼ正方形(No4という識別名だ)マンスリー手帳だ。このサイズ感は、バッグのサイズがコロコロ変わる私には結構良い気がする。
パソコンを開いた時にできるキーボード下の狭いスペースにも、大体すんなり収まるであろうサイズ感。「uni-ball one」から出ている短いペンとの長さもぴったりサイズ。
もう手元にあるのだが、切望していた一ヶ月おきに書けるフリーページが見開き二ページ分ある。かなり嬉しい。来年使えるのが待ち遠しくて、ちょっとだけ書いてしまった。
来年のことを今から考えていては、鬼にすら笑われるだろうがそんなことは関係ない。
とにかく、自分に一番合いそうなものをこの三年のなかで見つけられて良かったなと思うばかりである。
三日坊主を抜け出して、もっと未来計画を早くから立てられる、余裕のある社会人になれたら良かったな。そう思わざるを得ない。だが安心して欲しい、今もうそうなっている。現に余暇を使ってnoteを書けているのだから、かなり前進していると思うよ。
これからも少しずつ進んでいこう。