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中川李枝子先生の世界に魅せられて

彼女の訃報を聞いて心が揺れた。
もう彼女から溢れる言葉はこの世に生まれないのだなって。

私が読書を好きになれたのは中川李枝子先生の本があったからです。

はじめて悩みを抱いた幼稚園児時代の自分が救われたのが、
「おひさまはらっぱ」「いやいやえん」という本に出合えたからだと思っています。

どんなに苦しい生活の中にも希望を持てたのは、
本の世界は魅力的に様々な主人公が良いも悪いもの物語を進んでいくことに、
幼いながら「私だけじゃない」という共鳴や「こんなことしていいの?」なんていう驚きに満ちた瞬間を言葉を通して教えていただいたからだと思っています。

この気持ちをここに残しておきたいと思います。

ちょっとはなしが飛んでしまうのですが、
はじめて幼稚園に行く日がとってもワクワクしていたのを覚えはいないのですが、よく両親からそうだったと聞きます。

もともと1歳差の弟が病弱で頻繁に入退院を繰り返していて、そんなドタバタしたなか父の仕事も不安定だったという事情も重なり、幼稚園には通っていませんでした。

そんなある日、弟の病院の都合で引っ越しすることになりました。

引っ越し先のおうちの近くは幼稚園があり、ここからはやっぱり記憶がないのですが、母曰く、ときどき散歩すると門の外から私はじーっと幼稚園を見ていたんだそうです。

それで母は私に幼稚園に行きたいかと聞いたらしく、
私は舞い上がるように大きな声で「行きたい」とせがんだそうです。

ちょうど父も仕事が決まり、年中からの途中入園ができることになり、嬉しさとワクワクから幼稚園生活がスタートし、はじめての集団生活で私は大いにつまづくのです。

ちょっと気の強い女の子がいまして、その子の言うとおりにしなきゃいけないって雰囲気がかなりあるクラスだったのですが、私は無垢なためか、空気を読むことを知らなかったんですね。

そのおかげで、はじめて「いじめ」というものに遭います。

帰りの会に飴をもらえる習慣があったのですが、それを無理やり取られてしまったり、バスで隣に座ってきて手首をつねられたり、そんなことがありました。

痛い、怖い、嫌だって言葉も最初の内は言えてたのに、
だんだんと恐怖が増してしまったせいか言えなくなります。

そして空気を読むことに慣れてきてしまうんですね。

この頃に今の自分は形成されたなとも時々振り返ったりします。

そして今に通ずる性格なんだなあとつくづく思う出来事があるのですが、
ある日バスのお迎えで私はバスから逃げたんですね笑

逃げたくて逃げたくて、彼女に会いたくなくて嫌で嫌で仕方なかった。

それで父が私を鬼ごっこの本当の鬼みたいな顔で追いかけて、
すぐに捕まえられてしまったんです。

でもその日は父の車で幼稚園に行くことになって、
母が車内に置いておいた「いやいやえん」の本を手に取るんです。

ひらがなは少し読めたのと、母が何回も読んでくれた本だったので、
何なく初読書を経験したんです。

心のモヤモヤは「いやいやえん」のしげるの気持ちに重なった気がしたのをうろ覚えですが覚えています。

そのおかげか泣きべそはどこかへ消え、幼稚園に行くことが出来ました。

毎日辛いことや苦しいことも「本の中」にある世界が私に勇気をくれたのは確かです。

幼稚園から帰宅した後の読書とおやつは私の心を支え、日々の楽しみになりました。

中川李枝子先生の作品では「ぐりとぐら」のシリーズが有名だと思うのですが、絵本の「ぐりとぐら」を読む前に愛読していた「おひさまはらっぱ」で初めて「ぐりとぐら」に出会った思い出も懐かしいです。

その後、絵本があると知り、図書館で可愛らしい大村さんの絵と共に中川先生の子どもの素直で鋭く楽しい世界に入り耽っていました。

「いやいやえん」で、しげるも憧れた絵本じゃない本を読んでいる自分に、子供ながらに酔っていたのかもしれません。

そんなきっかけで私は読書を好きになり、今も好きな本がたくさんあります。


大人になるまでの今まで、読書はかけがえのない存在です。
私にとって読書を好きになれて本当に良かったなと今は余計に思う時があります。

だから大好きな人が残してくれた作品たちに囲まれていることに安らぎを感じ、また一抹の寂しさを感じて心が揺さぶられたのかもしれません。

これを何となく言葉で残そうとここに書き起こした次第です。

久しぶりにあの頃読んだ「おひさまはらっぱ」や「いやいやえん」を秋の夜長と共に読もうと思います。

ちなみに幼稚園の頃の本、いまだにちゃんと持ってます。ずっと大切にしていました。

30年以上の月日がたった熟成本

では。


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