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自分らしく働きたい君へ

こんにちは、atteyaaのマツイです。

自分らしくありたい。
そして、自分らしく働きたい。

そんなことを漠然と思う若者は多いのではないでしょうか。
私たちの会社でも社員個人の強み(らしさ)をどう活かすか?
ということを日夜考え続けたりしていますので
とても強く共感します。

自分らしさとは何か?

ある意味で成熟し、効率化しすぎた現代社会です。
そのなかで、抑圧的なシステム(仕組み)から距離をとって
より個人の有り様を深く考えていく
そんなことが見直されたり価値があるとされ始めています。
なので若者が「自分らしくありたい!」
と願うのは当然の帰結なのだと思います。

一昔前であればこれが、
「がんばって出世したい!」というようなエリート志向や拝金主義、
もう少し前であれば、
「お国のために貢献したい!」というナショナリズムや忠誠心なのかもしれません。

ですが、これらの社会的思想の変容は
潮流としては確かにあるものの
社会全体に通底して浸透しているかというと
それとはまったく別の話だということも理解しなくてはいけません。

若者の早期離職につながる、社会に出てから初めて知る理想と現実とのギャップ。
いわゆるリアリティショックはこのあたりが重要な因子だろうと推測します。

では、「自分らしくありたい!」という思いは
どういうリアリティショックを招くのか?
若者はこれを理解しておけば
行動も結果も大きく変わってくるのではないでしょうか。
知っておけば対処が可能です。

自分らしさとは何か?
主観的に「私は◯◯な人間だ」と定義することもあるでしょうし、
心理学や統計に基づいた様々なアセスメントの結果から導き出されるものもあります。
平たく言えば、「傾向や特性」です。

これを大事にしたい。
これを活かして伸び伸び仕事がしたい。
そんなことを密かに(?)、大胆にも(?)若者は願うわけです。
そして昨今トレンドになりつつある人的資本経営、
ここに注力している組織なんかはちゃんとそれを尊重したいと考えるわけです。

がしかし、
ここでもう少し「らしさ」や「強み」、「傾向や特性」というものを
正しく理解しなくてはいけません。
これらは人が生きる上でどういうものなのか?
こんな問いが必要です。

「らしさ」や「強み」、「傾向や特性」はその人の「OS」なのです。
WindowsOSとかiOSとかコンピューターのOSと同じです。
その人独自の強みや特性を兼ね備えたオペレーションシステムということです。

「自分らしい」ということは万能薬なんだ!
みたいに都合の良い解釈をしている若者をたまに見かけますが
(若者だけではないかもしれませんね)
そんなことはありませんよね。
考えてみて下さい。
コンピューターもOSだけでは
優れたパフォーマンスを発揮することはできません。
アプリケーションがないと無意味な筐体(きょうたい)、邪魔な有機物です。

なので、大事なのはOS(独自の強みや特性)をどう活かすか?です。

OS(独自の強みや特性)だけで何かを達成できると思っていて
結果が出なかったり、仕事が面白くないなと感じると、
それは環境のせいだなと考え「自分らしくありたい」に固執する。
私がよく見るリアリティショックのパターンはこれが多い気がします。
そしてこれは環境を変えてもしばらくは繰り返すのです。

パフォーマンスを発揮する能力の構造

成人発達理論の領域において
パフォーマンスを発揮する能力の構造として
OS部分とアプリケーション部分があるとする理論があります。

そこでは前述のように個人の人格的な特性をOSとし、
加えて認知構造(どう理解し、判断するか)もOSとしています。
このOS部分は不変ではないものの、OSとして代え難いもの。
その価値(らしさ)を大事にしつつ、少しずつアップデートしていくものです。

このOSをベースに駆動するアプリケーションは様々で
一般教養知識、コミュニケーション能力や戦略的思考など普遍的能力、
専門性やマインドセット(役割に応じた意識や自覚)などがあるとされています。

「自分らしくありたい!」と願う気持ちが強いあまりに
このアプリケーション部分を磨かない、磨くことに意識が向かない。
先輩やお客さんからしたら
「自分らしさは分かったよ。で、お前は何できんの?」となるのです。
これが「らしくありたい」が招くリアリティショックの正体です。

プレイステーション5のような立派なOSがあっても
販売されているゲームソフトがなかったり、クソゲーばかりだと誰も買いませんよね。
OSが多少古くてもゲームソフトが充実していたらそっちが売れますよね。

OS自慢してる暇があったら、
勉強したら?
技術を磨いたら?
一般教養やマインドセットを高める機会を持てば?
そんな感覚でしょうか。

厳しいようですけど、これが現実です。
自分らしくあるだけで、幸せな社会人生活を送れるほど社会は成熟していないのです。

自分らしさをどう活かすか?
そのためにどういったアプリケーションを伸ばすのか?
自分自身に問い続けること
これが「自分らしく働く」ことへの近道ではないでしょうか。

守破離

これは武道など道を教わる際の守破離の思想にも近いと感じます。
「守」は、師匠からその流派の型や技を忠実に教わり、身につける段階
「破」は、他の師匠や流派ついても考え、取り入れ、発展させていく段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出す段階。

「自分らしくありたい!」が故に「守」を疎かにする。
もっと言えば、ひと足飛びで「離」を目指す。
リアリティショックという言葉の裏では
そんなことが横行しているのかもしれません。

ここで言いたいのは、
「成長というものは時間をかけて成すものだ」とか
「師匠(先輩)の教えは絶対に守るべし」とか
そんなことではありません。

自分らしいというだけでは、
まったくもって「守」は破れないぞ!ということです。
もし、型や技から早く逸脱したいのであれば
そのための努力を相応にしなければならないし
そのためのアプリケーションを磨かねばならない。

もし、
自分らしくパフォーマンスを発揮する方法や「守」を破る方法、
それらが見つからないなら、迷わず王道、守破離でコツコツいきましょう。

自分らしく働きたいみなさん、ともにがんばりましょう!

読んでくれてありがとうございます。

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