見出し画像

『燃ゆる女の肖像』批評 主に火と神話と、中絶に関して ※ネタバレあり

先日ネットフリックスで公開された『燃ゆる女の肖像』を見たので、作品の批評というか感想をば。

18世紀のフランス地方、女性画家のマリアンヌが自分のアトリエと思われるところで婦人たちに絵の手ほどきをしている。アトリエには一幅の絵画が飾られている。『燃ゆる女の肖像』と名付けられたそれが描かれることなった経緯を、マリアンヌの回想という形で語られていく。そこには、モデルとなった令嬢エロイーズとマリアンヌとの間にはぐくまれた、静謐で美しい恋が関係していた……。

LGBTQ映画であり、しかしそうした映画にありがちなものが描かれない。例えばこの映画には殆ど男性が出てこない。また、二人の恋路を気持ち悪がったり、出刃亀したり邪魔するような、視野の狭い人も存在しない。そのせいか、映画そのものが大変クィアだな、という印象をうけた。舞台となるのは本格ミステリに出てきそうな世間から隔絶された孤島で、なるほどそのおかげだろうか。当時の価値観では考えられないくらい、あっという間に二人の距離が縮まってしまうのだが、さほど不自然さはない。

最初マリアンヌはエロイーズの母親から「娘に気取られないように、こっそり彼女の肖像画を描いてほしい」という無理難題を依頼される。というのもお見合い用の写真よろしく、それは先方に送るための肖像画なのだが、当のエロイーズがどうやら結婚に前向きではないため、黙って描かせてくれないらしいのである。

そんな訳で、前半はその無茶なミッションに挑むマリアンヌの奮闘を描いており、どこかスパイ映画のようでもある。散歩の付添人としてマリアンヌはエロイーズとともに時間を過ごす中、彼女をチラ見しては陰でスケッチに残したり、本来いるべきはずのモデルがいないので、仕方なくエロイーズのドレスをこっそり持ち出して自分で着て、鏡に映った自らを基にデッサンしたり、という四苦八苦が描かれる……のだが、それが妙にえっちだったりする。当初はエロイーズに対して恋愛感情なんてないのだが、そういした肖像画を完成させる努力の中で、エロイーズをつぶさに観察したり、その身体性に自らのそれを重ね合わせたりうちに、マリアンヌは彼女に魅了されていくのだから。恰も型にはめられるかのように、だ。

本作の重要なモチーフとなるのは、「火」と「オルフェウス神話」である。電気はおろか、ギリギリガス灯もない時代(ガス灯ができるのは18世紀の末だが、一般に普及したのは19世紀ごろらしいんで)なので光源として頼れるのは、蝋燭や暖炉、焚火で熾される火なのだが、その光源によって醸されるグラデーションや陰影が大変美しい。また、作中の絵画『燃ゆる女の肖像』ではエロイーズと思われる人物のドレスの裾に火が移って燃えているだが、とても象徴的だ。それは恐らく、マリアンヌがエロイーズに対する愛情を自覚した瞬間を描いているのだが、それは両者の燃え上がる激しい恋を表す一方、そんな激しい炎もいつか自然と消えてしまう、そんな解釈ができないだろうか。つまり愛や恋もまた儚くてあえかなる存在なのだという側面を映し出しているのだ。いつか無くなって消えてしまうからこそ美しくて尊い。オルフェウス神話のおいて、冥府から帰る途中、呼び止める亡き妻の声に振り返ってしまったオルフェウスは女神たちに八つ裂きにされてしまう、というくだりを女性たちが本で読むシーンがある。何気ないシーンではあるものの、それはクライマックスにおけるシーンでまるでトラップのように発動する。許されざる恋、そしてそれをはぐくんだ楽園を振り切って、一度は振り返ってしまうものの、最後には元の現実に戻っていくマリアンヌの心情と重なり合う。

本作には主要人物としてソフィとという女中が出てくる。使用人というより二人の良き友人として交流を深めるのだが、後半、妊娠してしまった彼女が中絶することになる。ところで世の中には中絶に対し、極端に反対する人たちがいる。それは本来ではあれば、当事者の選択次第であると私は思うのだが、中絶は世の中の重要なトピックとして、しばしば中絶そのものが「悪」の行為として俎上に上がる。最近であればアメリカの最高裁での判決が記憶に新しいのではないか。

どうやら中絶を十把一絡げに「悪」や「殺人」としてみなす人たちが世の中に沢山いるようなのだが、本作の中絶はそのような偏った価値観は伴っていない。その行為はもちろん、当事者に痛みや苦しみをもたらし、何より精神的にも辛いことには変わりないから、この映画でも真正面からそれを描いている。が、それと並行するかのように、別の文脈として語られているのがかなり特徴的だ。というのも堕胎処置を受ける際、驚くべきことにソフィが寝かされる二人の子供が川の字になって寝そべっているからだ。恐らくだが施術中、ソフィのような女性をリラックスさせるために配置された要員なのだろう。我々の価値観からすれば信じられないことだが、しかしそこに本来いないはずであろう子供を配置することによって、その現場にある種の「祝福」や「解放」といった文脈が付与されるのである。中絶が殺人か否か、はかなり慎重な議論を要するとは思う。しかし中絶にはひどくネガティブなイメージが貼られがちだし、先にあげた最高裁の判決など、司法や政治のシーンでは、公平性を欠いた偏った視点で認識されているのでは、と不安になる。

そうした議論に『燃ゆる女の肖像』は一石を投じるかもしれない。そういう意味でも、本作は遍く色んな人に見て欲しいなぁと感じたりもした。


燃ゆる女の肖像 - Netflix


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集