第一章 小学校に入学する前③
三、どうしてもイヤだったスカート
僕の人生で一番縁遠いもの、それがスカートだった。「女性の服」というわかりやすさが何より「自分は女の子です」と宣言しているようでイヤだった。女の子らしい服という点では、フリフリしている服も嫌いだった。けど、ことスカートに関しては全身で拒絶していたように思う。
普段の生活ではTシャツに短パン、もしくはズボンと活発に遊べるような格好をしていたし、牧場育ちでお隣さんが何100m先にあるという環境で育ったため、女の子らしい服を着ろと言われることはほとんどなく、あまり苦労はしなかった。
困ったことと言えば、卒園式だ、入学式だといった少しかっちりした日。大人になって知ったけど、こういう日を「ハレの日」と呼ぶそうで、大人になるまでに何度かある儀式的な日。そのハレの日というやつは毎度毎度「女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく」を求めてきた。つまり、女の子はスカートを、男の子はネクタイを。今でこそ、その風潮は少し変化し出しているのかもしれないが、僕が生きてきた時代(平成の段階)ではとにかく、大人になるということは男女のどちらかになるということだった。
さて、そんな中で僕の最初の試練は保育所の卒所式と小学校の入学式だった。3月に卒所式を、4月に入学式をする。短いスパンで行われるにも関わらず、同じ服を着るというわけにもいかなかったので2種類の服を用意しなければならなかった。
そして迎えた買い物の日。子ども服売り場でハレの日用の服を選ぶ。もちろん店員は「スカート」を提案してくるがとにかくスカートだけはイヤだったので、僕は「イヤだイヤだ」と必死で抵抗した。そんな僕を見て、母と店員は二人で顔を見合わせて「困ったねぇ、どうしようか」と話していた。「困っていたのはこっちだ!」と当時の心境を今になって吐露するが、僕は性に悩める当事者として、そして母はそんな子どもを持つ親としてお互いに困っていたに違いない。
結局、「イヤだイヤだ」と連発した結果、たどり着いた折衷案は赤いベストと紺色の短パンだった。保育所の卒所式には赤いベストとズボンを、小学校の入学式では、紺色の短パンで誤魔化した。(前者に関しては、ズボンをはいている女の子なんていなかったので、そういう意味では誤魔化せていなかったのかもしれない。)
とりあえずの第一関門はなんとか突破。次の試練は小学校の卒業式なので6年後。それまで僕はスカート問題とは、一次休戦することになる。