仕事と家庭に悩み、キャリアダウンすることにした話。
「アツさんとこ、お子さんいくつだっけ?」
「7歳がふたりで3歳がひとり?上の子が双子なんだね、それは大変だよね」
会社の人にそう言われるたび、ぼくは”家庭を言い訳に仕事に打ち込めない罪悪感”を、チクチクと感じていた。
むこうとしてはなんの他意もないことはわかっている。こちらを気にかけてくれているだけだってことは。
だけど、数年前の自分と今の自分を、どうしてもぼくは比べてしまう。
あの頃は、毎月海外出張に行き、社内の新しい仕事に進んで手を挙げ、毎朝日が昇る頃に出社し、仕事に全力で取り組んでいた。
今は海外出張は他の人に行ってもらい、業務負荷のかかる新しい仕事はセーブし、子どもたちの朝ごはんや学校の準備が終わってから出社するので、始業時間のちょっと前にオフィスに着いている。
そこからノンストップで仕事をし、遅くとも17時にはオフィスを出る。
仕事はなんとか回っているけれど、ぎりぎりのキャパで動いているので、子どもの体調問題で休みを取るとどうしてもこぼれる仕事は出てくる。
そんなときは同僚に助けてもらっているけど、彼らがかけてくれる「小さいお子さんがいるから大変だよね」という優しい言葉を、ぼくは素直に受け取れないでいる。
誰かに助けてもらわないと仕事が回らない罪悪感、今までできていたことができなくなる情けなさ、新しい仕事に挑戦できない寂しさ。
そして、優しい言葉をかけられることで安堵を感じる自分自身への苛立ち。
これは、ぼく自身の捉え方の問題なのだということがわかっている。
わかっているけど、飲み込めないこの気持ちの正体はなんなのだろう?
社内の健康室の方やマネージャーと相談し、今後のぼくの仕事は減らしてもらうことになった。来季からは今より業務負荷の低い部署への異動も考えている。
下の子が小学校に入るまでの3年間。ぼくはキャリアダウンをすることにした。
ぼく自身、このことをどう受け止めたらいいのか、いまだ迷いのなかにいる。
この記事では、自分の心の整理のためにも、ぼくが”選んだ”キャリアダウンの話を書こうと思う。
◇
子どもが生まれるまでの人生は簡単でした。
そんなことを言うと、子どものいない人から怒られそうだけど、ぼくにとって子どものいない人生はイージーモードで、いる人生はハードモードだったんです。
もちろん、子どもたちはぼくにとてつもない幸せをもたらしてくれて、子どもたちの顔を見るたびに、込み上げるような幸福を感じています。
それは否定しようがないし、本当に子どもが産まれてきてくれてよかったと心から感じてます。
だけど、今までの延長線上のキャリアを構築するという点においては、ハードモードだなと感じるんです。
始業時間から定時までの時間をみっちり使って濃密に仕事をし、自分のキャパを限界まで使っているので、少しでもはみ出た仕事ができなくなったんです。
今までなら、夕方遅くの会議に出て細かく仕事をすることもあったり、地方や海外出張にも毎月行けていました。
面白そうな新規事業には手を挙げたり、他の部署を巻き込んでチーム横断した仕事に夢中になったり、ちょっとした学園祭のように仕事を楽しんでいたんです。
(仕事って、終わりのない学園祭みたいだな)って思っていたのをよく覚えています。
10年近く同じ会社に勤めているので、仕事には詳しくなり、新しい人からは頼られ、社内の人間とも親しくなり、新しい仕事に挑戦したり、部下の育成にも熱意を感じていました。
「業務の幅を事業戦略やマネージメント方向に広げ、他部署での異動も経験すれば、昇進できるかもしれない」
上司からはそう言われていました。
だけど、ここ数年間のぼくは、仕事と家庭のバランスにいつも悩んでいました。
ぼくの業務負荷を増やせば、重量バランスが崩れたシーソーのように家庭にしわ寄せがいくんです。
妻の家事育児の負担が増え、それにともない子どもたちの情緒バランスもおかしくなっていく。
話を聞いてもらえないストレスで長男は泣き出し、次男は一人の世界に閉じこもり、三男は足りない愛情を求めて泣き叫ぶ。
妻と一緒に子どもたちの心のケアにつとめるけれど、ぼくが仕事のストレスを抱えたままだと子どもたちのケアに集中できず、彼らを怒ってしまい、自己嫌悪を抱えて落ち込んでいく。
そんなぼくを見て、妻は(自分ががんばらないと……)とムリをしてしまう。
ムリをした妻を見て、ぼくも(自分ががんばらないと……)とムリをし、そのツケは体調の悪化という子どもを抱える家庭にとって最悪の結末で払うことになる。
今の状況を考えれば、家庭を一番に考えて、仕事の優先度は下げないといけないとぼくは次第に思うようになり、負荷の高い仕事は避け、現状の仕事を効率的に回すようになったんです。
決断スピードを上げ、無駄な作業を減らし、今までよりも数倍の速さで仕事をするようにしました。
余った時間はすべて家庭に費やしました。むしろ、主な時間を家庭に使い、あまった時間を仕事にあてたというほうが正解かもしれません。
家庭に時間を使えるようになったので、子どもたちの話を聞いてあげられるようになり、情緒も安定してきました。
だけど、ぼくのところには重要な仕事は回ってこなくなりました。
ぼく自身が避けていたこともありますが、同僚や上司がぼくの家庭を気づかってくれていたからです。
◇
望んでいたことではあったけれど、寂しさを感じたことも確かです。
仕事に思いっきり熱中することで得られた高揚感を感じることはなくなりました。
いかに効率的に終わらせるか、100点ではなく80点でもいいから先に進めていく。そういう仕事の仕方に変わっていったんです。
まな板の上の魚をひたすらさばいていくようにも感じられました。
やりがいはなく、ただただ単純作業の繰り返し。それも自分が仕事を早く終わらせるために作った効率化によって生まれた単純作業です。
それでも、子どもたちの体調が崩れれば、仕事のペースを落とすことになり、今までできていたこともできなくなります。
家族全員がコロナに2回かかったり、インフルエンザにかかったり、下の子が手足口病になったり、小さな子どもがいると、本当にいろんな病気になって、仕事を休まざるを得なくなりますよね。
今年の夏は家族の問題もいろいろあって、ぼくは9月にめまいが止まらなくなったんです。
歩くと空を飛んでいるようにフワフワして、まっすぐ歩くことができなくなったんです。
すぐに脳神経外科と耳鼻科に行き、精密検査をしてもらいましたが、原因はわからずストレスだろうとだけ言われました。
仕事と家庭の両立どころか、自分の体のケアも満足にできていなかったわけです。
会社のストレスチェックでも面談対象となり、会社が契約している精神科医と面談をしました。
家庭のストレスが高いから業務負担を減らしたほうがいいと言われたのですが、ぼくは窓際社員になるんじゃないかとか、簡単な仕事は新人でもできるからクビになるんじゃないかと、ものすごく不安だったんです。
ほら、仕事をあまりしないのに高い給料をもらっているおじさんって、どこの会社にもいるじゃないですか?
ぼくが今まで働いてきた会社にもそういう人たちがいたんです。
(なんで、ぼくより仕事していないのに、高い給料もらっているんだろう?)と不満に感じたことがなんどもありました。
自分がそんなおじさんになるのが嫌だったんです。
だけど、業務量を減らすことを提案された時に安堵を感じたことも確かなんです。
あぁ、これで楽になれるんだって。
今まで背負ってきた荷物が軽くなるんだって。
がんばりすぎなくてもいいんだって。
そんな風にも感じたんです。
流れにまかせるまま、精神科医から会社に手紙を書いてもらい、1週間後にはぼくの業務量は減っていました。上司とも面談し、負荷の少ない部署への異動も話し合いました。
◇
ぼくは、会社から必要とされなくなることが怖かったんです。
お前のように満足に働けない人間は要らないんだと。
いままでがんばってきたとしても、これから先、100%の力で働けないから、お前は必要じゃないんだと。
同僚や後輩から頼りにされなくなることも寂しかったんだと思います。
(あの人は家庭が大変だからお願いするのはやめよう)と遠慮されることが増え、そんな気づかいを寂しく感じていたんだと思うんです。
会社で活躍できなくなる自分を、ぼくは受け止められなかったんです。
仕事で成果を上げることで得られた社内からの賞賛や、自己肯定感や、自己実現を、得られなくなることが嫌だったんです。
そんなことより家庭のほうが大事だってことはわかっているんだけど、ぼくはなかなか受け止めることができなかったんです。
今しかない子どもたちの成長を、奇跡のような時間を過ごすことができるのは今しかないこともわかっている。
それでも……!
という思いを、なかなか捨て去ることができなかったんです。
時間はかかったけど、今ではなんとか受け止めつつあって、ぼくはキャリダウンをする今後3年間を中休みの時間としてとらえようと思っています。
◇
下の子が小学校に入ると、上の子たちは小学校5年生。今よりも育児は多少やりやすくなっているはず。
そのときに新しい仕事ができるように準備期間にあてようと思うんです。
それは今の会社での仕事かもしれないし、外の仕事かもしれない。それはどちらでもいいと思うんです。
もう、ぼくは社内の出世にはそこまで興味がないので(かといって、仕事をサボるわけではないけど)、出世を目指すというより、どこでも働ける準備をしておこうと思っています。
具体的には、この3年間の間に英語を学び直して、仕事で使えるレベルに持っていくつもりです。
今の会社でも過去の経験と英語を掛け合わせた仕事をしたいし、個人でも夫婦関係に関する洋書を読んだり、発信もしたいと思ってる。
いつかは、興味のある夫婦関係という分野と英語を組み合わせた仕事もしたい。
キャリアダウンによって、社内からの賞賛や自己実現は得られなくなると思う。
だけど、今は家庭を優先して、子どもたちとの限られた時間を慈しみながら過ごしたいと思う。
そして同時に、家庭も大切にしながら、自分が幸せを感じられる働き方も探っていきたい。
おそらく、”自分が幸せを感じられる”働き方は、他者からの目を意識していては手に入らないんだと思う。
尊敬されたい。頼りにされたい。
そんな思いが、きっと今までのぼくにはあったんだと思う。今でもそれは残っている。こびりついて消えない鍋底の黒い焦げのように。
キャリアダウンによる不安感の多くはそこから来ていたんだと思う。
新しいことを知りたい。新しいことに挑戦したい。
もしかしたら、そんな思いのほうが、ぼくに”幸せを感じられる働き方”をもたらしてくれるのかもしれない。
まだまだ迷いのなかにいるけれど、これからの3年間を有意義に使いながら、ぼくと、妻と、子どもたちにとって、最適な生き方や働き方を模索していこうと思う。
仕事では頼りにされることは減るだろうけど、家庭ではぼくは必要とされている。
ぼくをもっとも必要としている人は、会社ではなくこの家のなかにいたんです。
そのことにぼくは、気がついていなかったのかもしれない。
遊び疲れてぼくの腕のなかで寝てしまった三男の横顔が、ぼくの首にかかる彼の静かな吐息が、ぼくの胸をあたためる彼の温もりが、それを気づかせてくれたのかもしれません。
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