また世田谷に住みたい。
再び上京して、再び世田谷に住みたいと強く願っている。
(免許こそあるが)一回の車の運転で酷く精神を疲弊する自分は車社会の地元ではとても生きていけない(公共交通機関の類も貧弱)とか、同居してる家族(特に父)と反りが合わない点が多すぎるとか、そういった細々した理由は今回は省く。
単純に『何故東京の世田谷なのか』という点に焦点を当てていきたい。
2020年11月。
半年遅れで大学を出た自分は世田谷にある某社への就職を決め、会社から電車で30分弱ほどの場所の部屋を借り、川越から一度実家を経由して、世田谷のとある地域に移り住んだ。
最寄り駅から徒歩5分以内、6畳半の1K、風呂トイレ別。
これで月6万弱の家賃は相当お得だったと思うし、トイレの便座が温座ウォシュレットにできなかった(体毛がかなり濃いので無いと尻を拭く時結構苦労する)事を除けばかなり快適な暮らしだった。
大学時代は家具家電付きのレオパレスで部屋を借りてた訳だが(その頃の話がこちら)、今回は一般的な町の不動産屋で借りた賃貸。当然家具家電は自分で揃えなければならない。
だがそれも楽しみの一つだ。前回以上に、自分好みの『自分の城』を形作っていくのはとてもワクワクする。
元々『どうぶつの森』とか『スプラ3』とかのゲームにあるような、自分に与えられた自由なスペースを好きなように模様替えする要素が好きだったのもある。
ウーバーイーツの存在も大変便利なものだった。
少々割高ではあるが、多種多様なチェーン店のテイクアウトを、そこに足を運ばずとも家まで届けてくれる。結構なグルメの自分にとってこれほど嬉しいことはない。
(ちなみについ最近今の実家の地域もウーバーイーツの範囲内になったのだが、なんと驚異の対象店舗0!!考えたら周辺にチェーン店の類が皆無だもんな……範囲広げた意味ある?)
自らレイアウトした居心地のいい空間で、好きなものに囲まれ、美味いメシを食らう暮らし。
今思うとあの時が現時点での人生のピークだった。
周辺の環境もとても良かった。
駅から近いというのはつまり、駅の周りにある店にも近いわけで。コンビニ、スーパー、ドラッグストア、100円ショップ、銀行、散髪屋、各種病院・歯医者、駅ナカの本屋、ファストフード、牛丼屋、ラーメン屋、その他様々なジャンルの飲食店…至れり尽くせりとはこの事である。
特にこのラーメン屋の家系ラーメンがとにかく美味い。ほぼ毎日のように通っては柔め・濃いめ・多めの外道早死三段活用(本当の早死三段活用は麺硬め)でライスと共に食らっていく。至福の時だった。
加えて、駅とは反対側へそこそこ歩いたところに銭湯があったのも非常に嬉しかった。
一人暮らし中自宅ではまずシャワーしか使わなかったが、そんなシャワー漬けの日々の中でも、気軽にゆったりと湯船に浸かれる場所が近場にあるというのはとても精神面の拠り所になった。
精神の拠り所とは少々大袈裟な表現だが、やはり人間というのはシャワーより湯船に浸かった方が身も心も安らぐものなのだ。大学時代、シャワー漬けの日々の中実家に帰ってきた際に久々に湯船に浸かるという経験をしたからこそ分かる。
人はもっと湯船に浸かるべきだ。シャワーを捨てよ湯船へ出よう。銭湯が無いなら普通に家の湯船にお湯を張ろう。面倒かもしれないが、シャワーだけ浴びるより絶対に気持ちいい事は保証する。
…そんな感じで日々出歩く範囲内にそんな最適な環境が整っていて、それでいて程よい静寂とささやかな喧騒が両立する土地柄なのも、まさに理想的だった。
これこそが東京で最も心穏やかに過ごせる場所、世田谷なのだろう。
首都圏特有の交通の便の良さも挙げない訳にはいかない。
電車に乗って10分足らずで明大前や下北沢などのちょっと大きめの町。
近所には無い専門店の飯は勿論、近所のより大きな本屋やニトリなんかもあるから日々の暮らしにも困らない。
そしてもうちょっと先に行けば新宿や渋谷といった山手線圏内に。
ここまでくれば最早無いものは無い。バーキンも、映画館も、イベントも、水族館でさえも!全てが文字通り満ち足りている。
地元のクソ田舎じゃあこうはいかない。そもそも行く場所の選択肢が限りなく少ないのだから…
とはいえ当時の情勢的に結局こっちでもあんまり出かけられなかったが、休日が常に彩られているというのはそれもまた心弾むものだった。
ところで、世田谷で暮らし始めた頃に聴き始めたアーティストがいる。
宮川愛李さんという方だ。
名探偵コナンのED曲を何度か担当されているそうで(これとか)、ある時実家のリビングで流れてたコナンのCMでこのMVを使ったものをふと見て、やたら心に刺さったのがキッカケだった。
そして氏のYouTubeを見て特に刺さった曲が『欠落カレンドラ』。
なぜこの曲が好きなのか。あの曲のどこが好きなのか。
それを説明できるだけの技量は未だに自分には無い。
ただ「とても良かった」のだ。
しかし曲を好きになる理由というのは、実際それくらいでもいいと思っている。
都会暮らしを始めたばかりの自分とどこか重ね合わせていたのかもしれないが、とにかくいつでもどこでもこの曲を聴き続けた。
故に、この曲は今でも自分にとっての『東京・世田谷での一人暮らし』の象徴となっている。
それと同時にある種の呪いにもなっているのだが……
東京暮らしを始めて1ヶ月ちょっとが過ぎた年明け。
モラトリアムと発の達と社会不適合をひどく拗らせた(と今の自分は見ている)結果、うつと診断される状態に至った。
そのまま仕事も辞めた。
収入源が無くなった以上必然的に実家に戻らなければならなくなり、幸福の絶頂の日々は約2ヶ月半弱で終わりを迎えた。
それからは今に至るまでまさに地獄のようなドン底の日々を送っているが、ここでは割愛する。
それから約9ヶ月後。
ふと思うところがあり前述の『欠落カレンドラ』も収録されている宮川愛李のファーストアルバムを購入した。
別に↓のYouTubeMusicでいつでも聴けるのだが、こういうのはストリーミングより手元に置いておきたいのだ。とはいえDL音源だが。
先述の『欠落カレンドラ』は勿論、『メランコリック』や表題曲の『スマホ映えの向こうの世界』がとても気に入った。
だがこのアルバムを聴く度に、世田谷で暮らしていた頃の情景が浮かんできて苦しい気持ちになる。
感傷的な心地よい痛みのようで、今の自分との大きなギャップにより刃を向けてくる、鋭く、とても重い痛みだ。
それでも、それすらも包んで心に沁みる良い曲なので、今もなお頻繁に聴き続けている。
『ある種の呪い』と言ったのはそういうことである。
東京・世田谷での暮らしには全てがあった。
田舎で産まれ育ってきた自分にとっては、川越での学生生活以上に満ち足りた、幸せな日々だった。
だが目先の苦しみから逃避したいが為に、それを自分はみすみす手放した。本当に愚かだった。
あの時少しでもその身勝手な苦しみに耐えようとしていれば。
その身勝手な苦しみに少しでも立ち向かおうとしていれば。
こんな思いをしながら虚無の現実を生きる事にはならなかった。
今でもそんな後悔が後を引いているが、過ぎてしまったことなのだからもうどうしようもない。
ならばこれから、
もし社会復帰できたなら。
もし今度こそ長く働き続けられる状態まで回復したなら。
もし十分な収入を得られる仕事に就けたなら。
もし再び親元を離れ自立できる人間になれたなら。
その時は。
心満たされることも、世界と自分への希望も、カイショウも、金も、何も無い今の自分だが、それでもこの夢だけはずっとある。
そのために今は、道程の手がかりを模索し、トライし、失敗し、またトライを繰り返し、人並み未満なりにもがき続けている。他の誰でもない、自らの力でその夢を掴むために。
俺は、また世田谷に住みたい。