平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯 を読んでいます。
岩波文庫の『モンテ・クリスト伯』を読んでから早云年、新訳が平凡社ライブラリーから出ているぞ。やったね!ということで、平凡社ライブラリー版『モンテ・クリスト伯』の感想を書こうと思いました。前置き終わり。
『モンテ・クリスト伯』は無実ながら投獄されたエドモン・ダンテスの復讐譚である。と同時に、エドモン・ダンテスを妬み、憎み、自己保身のために陥れたやつらが、身を滅ぼす物語でもある。
陰謀渦巻くものの『モンテ・クリスト伯』には湿っぽさはほとんどない。しかし悪人の凋落っぷりにとにかくスカッとするかといえばまた違う。目的を遂げるためすべてを利用する復讐者には、安息のときはおとずれない。モンテ・クリスト伯爵においても例外ではなく、敵の不幸がそのまま自身の幸せには直結しない。むしろ過去の幸せを思い出すきっかけともなる。失った時間や幸せは戻ってこないのだ。
悪人たちの人となりを考えながら読むと『モンテ・クリスト伯』は余計におもしろい。この復讐譚の焦点となる4人の人物について、少々書いてみようと思う。
1.嫉妬と憎しみの虜 ダングラール
ダングラールが持っていないものすべてを、ダンテスは持っている。
船乗りとしての確かな腕。
周りの人間からの信頼。
快活で聡明な彼は船主のおぼえもめでたく、将来の出世も間違いなし。
この物語はエドモン・ダンテスと仲間の船乗りたちが航海を終えて、マルセイユ港に戻ってくるところから始まる。なので、ダンテスとダングラールの航海の様子は二人の話す内容から察するしかないのだが……ダングラール、よくこんな人望のない状態で数か月同じメンバーと船に乗っていたな。針の筵では?
地の文でもはっきり書かれてしまっている。でしょうね。
まだ二十歳くらいのダンテス君はたしかに優れた能力を持っているし気立ても良い奴なんだろうけど、自分の正しさ、強さを全く疑っていない。長い航海のあいだで、何度もダングラールのプライドをぺしゃんこにしてきたことだろう。想像すると泣けてくる。
ダングラールはダンテスを憎んでいる。陰口をたたくくらいで済めばかわいいものだろうが、ダングラールは容赦がない。自分以外にダンテスに悪感情を持っている人間を見つけると、するすると心の隙間に入り込んでいく。
自分が実行犯にならないよう、ダングラールは巧妙に罠を張る。ダンテスがすべてを失う原因となった「密告」についても、ダングラールは成り行きを見守るだけというポジションを崩さない。
ダングラールは陰険な策略家であるように描かれているし、実際そのように行動する。しかし、ダングラールの真骨頂は策謀ではなく「憎しみを煽り立てること」にあるのではなかろうか。
ダングラールが相手を操ろうとするとき、彼は巧みに相手の心から「憎しみ」の感情を見つけ出す。心に秘めている憎しみををほじくりだし、突っつきまわし、容赦なく焚き付ける。
ダングラールはダンテスを憎んでいる。
憎しみを忘れる、あるいは心の奥にしまっておくこともできたろうに(そのほうが楽に生きられることだってある)、ダングラールはそうしない。
ダングラールは自身の憎しみの感情にも、油を注ぎ、より燃え上がらせなくてはいられない人間だったのではないだろうか。
2.嘘と真実の境目があいまいな男 カドルッス
カドルッスはおしゃべりな男だ。酒の席では酔いに身を任せて軽口をたたく。
弱い犬ほどよく吠える、ということわざもあるが、彼のおしゃべりは自身の心の弱さに起因するように思われる。
ダングラールの行動には「憎しみ」という筋が一本通っている。
一方、カドルッスには筋がない。筋がない、というより、彼自身も自分の本音がどこにあるのか、理解できていないように感じる。
カドルッスはダンテスの境遇をうらやむものの、自分の手でダンテスを不幸のどん底に突き落としてやるというほどの憎しみはない。
この後、陰謀により逮捕されたダンテスの行く末を思うと、心にもないセリフのようである。ただ、カドルッスはダンテスを妬むと同時に「いい奴」とも本気で思っていたのではないだろうか。ダンテスが逮捕された際、カドルッスはダングラールに食って掛かるだけの気概はもっていたのだ。
ただし、カドルッスの立場が危うくならない程度に発揮される気概ではあったのだが。
3.報われない恋と執着 フェルナン
エドモン・ダンテスには許嫁のメルセデスがいる。このメルセデスの従兄兼
幼馴染がフェルナンだ。フェルナンはメルセデスに求愛しているが、メルセデスは「愛しているのはダンテス、フェルナンには兄としての愛情しかない」と拒んでいる。それでもフェルナンはメルセデスをあきらめない。
このようなやり取りのさなかに、船旅から戻ったダンテスがメルセデスのもとに駆け付ける。フェルナンは、再会の喜びにひたる恋人同士の様子を見せつけられてしまう。
耐え切れず逃げ出したところを、フェルナンはダングラールとカドルッスに呼び止められてしまう。
良く言えば一途、悪く言えば単純なフェルナン。ダングラールの手のひらでコロコロと転がされてしまう。そしてダングラールが「悪ふざけ」で書いて投げ捨てたダンテスに関する訴状をこっそりと拾い、一人の町に駆けてゆく。
愛する女メルセデスは「ダンテスに何かあれば崖から身を投げる」とまで言った。それでもフェルナンはダンテスを破滅させるために走る。このとき、フェルナンはメルセデスの言葉を思い出しはしなかったのだろうか?
4.出世欲と自己保身にまみれた検事 ヴィルフォール
これまでの悪人たちはダンテス本人に恨みや憎しみを抱いていたやつらだが、ヴィルフォールは違う。
ヴィルフォールは出世がしたい。
というとダングラールと似たところがありそうだが、ヴィルフォールはより階級への意識が強い。たとえば、ヴィルフォールにはダンテスと同じく美しい許嫁がいる。しかし、彼の心中は「若く美しい上流階級の女性」との結婚で得られるメリットに関する喜びがほとんどで、ダンテスとメルセデスのあいだにあったような愛情の交歓は、あまり見られない。
ヴィルフォールの行動原理をざっくりいうと、他人に自分をいかに大きくみせるか、ということになるかと思う。王室検事代理であるヴィルフォールは、告発されたダンテスを尋問することになるのだが、尋問中にこんなことを考えたりしている。
あきれたことに、目の前のダンテスそっちのけで、許嫁とその両親のいるサロンで、気の利いた文句を出せるように準備しているのだ。
ダンテスはいつも通り、善意をもってヴィルフォールの尋問に答える。ヴィルフォールはダンテスの受け答えに無実の証拠がにじみ出るのを感じていた。
と、このままいけばダンテスは晴れて自由の身となるところで、状況は一変する。
ヴィルフォールにとって、この手紙の存在は痛烈な打撃だった。
ダンテスの罪状、それはエルバ島に幽閉されたナポレオンと、ナポレオン派のあいだに交わされる書状を持ち運んだことだった。
今はルイ十八世の治世であり、ナポレオンは「簒奪者」と呼ばれている。
ヴィルフォールは王党派の検事代理である。
しかし、彼の父親はナポレオン派だった。名をノワルティエ・ド・ヴィルフォールという。
問題の手紙は、ナポレオンがヴィルフォールの父親に宛てたものだったのだ。これが他人の目に触れたら? ヴィルフォールに待っているのは間違いなく「失脚」だった。
ヴィルフォールはダンテスにうまいことを言い、証拠の手紙を焼き捨てた。そしてだまし討ちのようにして、重大な政治犯を収監する監獄イフ城にダンテスをぶち込んだのだ。
そこには法の番人としての清廉さは微塵もなかった。
……と、感じた事を書きなぐっていたら4人の話だけで長くなってしまった。
感想なんだか紹介なんだか、よくわからない文章でもある……。
さらに言えば、ダンテスの監獄生活は第1巻の後半あたりからだ。つまり、おそろしいことにまだ第1巻の後半部分は触れていないことになる。
ともあれ、未読の方は読んでみてほしい。
きっとおもしろいので。