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アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』を読む。

ほら貝、つめた貝、日の出貝、牡蠣、たこぶね。これらの貝によせて、一人の女性の思索がつづられる。

新潮文庫の裏表紙には「現代女性必読の書」とあるが、男女の役割分担の前提が崩れかけている現在、さまざまなリミット、メリット、デメリット、の洪水に心を押しつぶされそうな人であれば、誰でも一度は読んでみてほしい本だ。

もっと根本的に、生活が何かと気を散らさずにはおかない中でどうすれば自分自身を失わずにいられるか、車の輪にどれだけの圧力が掛かって軸が割れそうになっても、どうすればそれに負けずにいられるか、ということなのである。

新潮文庫『海からの贈物』27、28ページ

「自分自身を失わずにいられる」とはどういうことか?
経済的自立、精神的自立、強い意志、孤独に耐える心……これらは間違いではないが、まったくの正解というわけでもない。

世捨て人になるか、慌ただしい生活のあれこれをすべて受け入れて自分自身を見失うか。そのような極端な二択を、著者は否定する。
自分自身を失わずにいるための方策として「気を散らすものを切り捨てる」ことをあげるも、同時に「そんなことはできないし、望んでもいない」と反駁する。

章が進むと、著者の筆は他人との関係にも及んでいく。それは友人関係、恋人関係、親子関係、結婚などにまつわる思索であるが、どの関係においても大切なのは「自分自身を失わずにいられる」ことであるようだ。

もちろん、いついかなるときも自己中心的であれという話ではない。
本書でいう「自分自身を失わずにいられる」状態とは「自足した一つの世界」を持ち自立した人間となることだ。
そして自立したもの同士の結びつきこそ、成熟した理想的な関係と言えるのだ。

しかし各個人がこうして完全に自分になり、自足した一つの世界になれば、男と女はそれだけお互いから離れることになるのを免れないのではないだろうか。

新潮文庫『海からの贈物』97ページ

著者の思索はただ一方向に突き進むのではなく、寄せては引く波のようにゆるやかに、心のうちにうずもれていた言葉を洗い出していく。

持続ということは、真偽の尺度にはならない。蜻蛉の一日や、天蚕蛾の一夜は、その一生のうちで極めて短い間しか続かない状態だからと言って、決して無意味ではないのである。

新潮文庫『海からの贈物』74ページ

今の気持ちや環境が快いものであった場合、私たちはついついそれが永遠に続くことを願ってしまう。しかし、人間は常に変わりゆくものだし、感情にはブレがある。だから自足した人間がいたとして、そして自足した者同士の成熟した関係が生まれたとして、それでも永遠はありえないのだ。

人が相反する感情や立場を行ったり来たりする様子を、著者は振子の往復にも例えている。そういえば、振子の動きというものは、寄せては返す波の動きにも似ているかもしれない……。

『海からの贈物』は啓蒙本や自己啓発本のたぐいとは、異なる成り立ちの本であると思う。
そのように「使う」ことも可能だが、大切なのは少しずつでよいので、ゆっくりと一人でこの本を読むこと。これにつきる。



おまけ

ちくま文庫の『ザ・フィフティーズ』という本を読んだことがある。アメリカの1950年代という時代がどのようなものか、当時のアメリカ人女性がどのように生きていたのかが見えて、面白かった。
『海からの贈物』と併せて読むと、執筆当時の背景がわかりやすくなるかもしれない。


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