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何のためにそれをするのか

今回は,さいきん時々考えていることをざっと書いてみようと思います。

原因になる変数のことを独立変数と言い,結果になる変数のことを従属変数と言います。別の言い方をすることもありますが,まあ原因になるものと結果になるものということです。

研究をするときには,何を原因として何を結果とするか,ということを考えることがよくあります。

たとえば,知能と勤勉性(自己統制やまじめさ)の性格特性を独立変数にして,学業成績を従属変数にしたりするわけです。この場合,知能と勤勉性で学業成績を説明したり予測したりする,つまりその因果関係を検討する,ということを研究で行なっていきます。

知能の高さも勤勉性の高さも,実際に将来の学業成績を高める方向に予測しますし,学歴も高くなることを予測します。さらには少しだけ寿命が長くなる方向にも予測します。勤勉性は,知能と同じくらいこれらをうまく予測することが研究によってわかってきました。

また,勤勉性が高いことは喫煙しないこと,過度な飲酒をしないこと,無軌道な性交渉をしないこと,危険な自動車の運転をしないことについても,ある程度の範囲で予測します。

もともと勤勉性の性格特性は,心理学の研究の中であまり注目されてこなかったのですが,こういったことを予測する変数なのだということで,しだいに注目されるようになってきました。

そして,こういう研究結果が示されると,「勤勉性の性格特性を高めるような教育をした方がいいのではないか」という話になったりします。

そしてこれに拍車をかけるのは,遺伝率の研究です。双生児を対象にしたデータから,心理変数の遺伝率を推定することができます。そして,知能はけっこう遺伝率が高く,それに比べると勤勉性はそこまで高くない,ということが明らかになったりします。すると,遺伝率の高い知能よりも,遺伝率がそこまで高くはない勤勉性の方が,教育によって変動する量が大きいような気がしてきます(実際には個人差の分散の説明という話なのですが)。

ただし,「そういった性格がよい結果をもたらす」とはいっても,影響力は微々たるものです。個人の生活にとってはほとんど誤差のようなものかもしれません。でも,国全体にとってはほんの1%の改善が大きな意味をもつことはあります。そういう意味で,この介入は政治的な視点のものだと考えられます。

そもそも,性格に介入してその特性を伸ばすことは,何にとって良いことなのでしょうか。個人にとってでしょうか,それとも社会にとってでしょうか。

寿命が延びたり無軌道な行為をする人が減ったりすることは,社会にとって良いことのように思いますが,それは性格に介入しなくても達成できるような気がします。むしろ,性格に介入するような間接的なことをするよりも,経済的な支援をしたり,問題そのものに直接的に介入したりする方が効果があるようにも思います。

では性格を変えることは個人にとって良いことになるのでしょうか。どのような性格特性にも良し悪しがありますので,ある側面を伸ばせば副作用が生じると思った方が良いでしょう。勤勉性を高めることの副作用は,柔軟な思考をしにくくなることや完全主義的な思考に陥りやすくなることではないかと思います。それは,他の人に対する厳しい見方にもつながります。

さらにいえば,何をすれば本当に性格が変わるのか,ということについても不明確な部分が大きいと言えます。生活スタイル全般を変えれば変わっていくでしょうが,お手軽に変わるわけではないように思いますし……。ついつい,ダイエットと同じように「これさえすれば」という考え方に陥ってしまいがちですが,同じようにリバウンドするかもしれません。

「よりよい人間にする」ことはひとつの教育の目標ですので,そこに性格を持ち込むこともあり得ると思うのですが,「何のために」というところは常に考えておきたいな,と思ったのでした。

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