本の中の気になる一節:知能指数と親から子への遺伝について
今回は,この本『知能低下の人類史: 忍び寄る現代文明クライシス』を読んで気になったところを書いてみたいと思います。
Amazonの本の紹介には,次のように書いてあります。
「遺伝的な劣化」というのは,この手の文脈でよく使われる言い回しです。一通りすべて読んだのですが,一種の終末論のようなものかなと感じました。
気になった部分
さて,読んでいて気になった部分は,いくつかあるのですが,今回は27ページについて,本のなかでは結構最初のほうです。
どうでしょう。正しいと思いますか?
遺伝率とは
まず,知能の遺伝率がとても高いという部分は,その通りです。あくまでも双生児の研究の中で,ですけれども,たしかに推定される遺伝率は他の心理特性に比べると高い値が報告されます。
しかし,その次の文章が問題です。
いやいや,それは違います。遺伝率というのは,ある特性について,その「個人差の分散(ばらつき)」が,遺伝と環境によってどれくらい説明されるかを表す数値であって,「親と子の類似度」ではありません。
親からの予測度か
次の文章も間違っています。
正しくは,遺伝率が1であることは,ある特性の個人差の分散(ばらつき)が,すべて遺伝によって説明されることを表し,遺伝率が0であればすべてが環境(家庭内も家庭外も)によって説明されることを表します。ここで表される数値は「親の知能による子供の知能の予測度」ではありません。遺伝率は親の特性がそのまま子どもに伝わる程度ではないのです。
親と子は似ているのか
では,この文章はどうでしょうか。
この文章は,行動遺伝学の遺伝率を,親から子に伝わる比率だと考えてしまう,「よくある勘違い」(授業で心理特性の遺伝の話をすると学生もよく勘違いをします)をそのまま表しています。
親と子が類似しているかどうかは,親の知能指数と子供の知能指数との「相関係数」で求めることができます。わざわざ一卵性双生児と二卵性双生児を比べる必要もありません。親子からデータを得て,関連を検討すればよいのです。
そして,親子のあいだの知能指数の相関係数は,せいぜい0.3程度です。親の知能指数の情報がわかっているときに,子供の知能指数が予測できるのは「9%程度」であり,8割(80%)にはほど遠いと言えます。
相関0.3
別のところを読んでいても「こちらはこっちで解釈するのか」と思ったのですが,それはこの部分です。
この一節では,イギリスや日本やアメリカなどでは,近代社会において親とこの社会階層の移動が「かなり高い」という文献を引用しています。そしてここでは相関係数0.3で「社会階層の移動がかなり高い」と,変動の方に注目しています。
もっとも,この部分は一連の論述の中のほんの一部なのですけれども。
でも,親と子の知能指数の相関も0.3ほどしかないのです。ですから同じように,「親と子の知能レベルの変化の程度はかなり高い」と結論づけることができるのではないでしょうか。
優生学の基本
さて,これまでの歴史からも明らかなように,何かの長短所が「親から子に直接そのまま伝わっていく」と考えるのは,「優生学的思想」の基本です。「そのまま伝わっていく」と考えるから,「劣等な遺伝子がそのまま受け継がれていってしまう」という発想へとつながりやすいのでしょう。
ちなみにこの本の趣旨は,優生学と宗教的保守主義と科学的思考を結びつけるような方向へと進もうとするものです。
この本自体は,こういった思想を学ぶにはとてもよい本ですし,読みやすい翻訳には頭が下がります。批判的に読むには良いのですが,巧妙なのと直感に訴えてくるので難しいかもしれません。また思想としては危険な本ですし,個人的にはこの結論には反対ですけどね。
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