#1『アングロ・サクソン年代記』古英語-現代英語-日本語対訳「序文」
今回は『アングロ・サクソン年代記』のE写本Peterborough Chronicleの序文を訳していく。
古英語の現代英語にないアルファベットとして3つ紹介する
Æ, æ (ash)・・・bat, hasのaの音。
Þ, þ(thorn)とÐ, ð(eth)・・・that, thunderのthの音。
注意点として、
数字の7=and
綴りが写字生によって変わり一定ではないため異形が大量にある。
この目的が筆者の古英語力向上なこともあり、訳には間違いがあるだろうからもし見かけたら教えてほしい。
序文 Introduction
Brittene igland is ehta hund mila lang. 7 twa hund brad.
The island Britain is 800 miles long and 200 miles broad.
「ブリテン島は長さ800マイル、幅200マイルである¹。」
¹実際はスコットランド・インショアーイングランド・ワイト島間が約560マイル(約900km)でウェールズ・セントデイヴィッズーイングランド・ヘムズビー間が約300マイル(約480km)。
7 her sind on þis iglande fif geþeode². Englisc³. 7 Brittisc. 7 Wilsc⁴. 7 Scyttisc⁵. 7 Pyhtisc⁶. 7 Bocleden⁷.
And here there are five peoples[languages] in this island; the English, the Britons[Welsh], the Scots, the Picts, and Latin.
「そしてこの島には5つの民族がいる。イングリッシュ、ブリトン人(ウェールズ人)、スコット人、ピクト人、ラテン人(ローマ人?聖職者?)である。」
²geþeodeは民族?言葉?文の構造上þeodは複数・主格となりそれがþeoda/þeodeである民族が妥当か。
³Englishの訳は難しい。書かれた当時の文脈ならイングランド人としてもよい。アングロ・サクソン人として5世紀ごろ現在の北ドイツおよびユトランド半島から渡来した者たちの総称。8世紀から10世紀にかけて共通のアイデンティティ「イングリッシュ」を作り出していく。
⁴ローマによる征服以前からブリテン島に居住し、ローマ征服下ではローマ文化と融合しローマ・ブリトン人ともいうべき層を形成した。ローマ撤退後に徐々にその性格は薄れた。アングロ・サクソン人はブリトン人のことをまとめてwealas「余所者」と呼び、これが現在のWelshやウェールズの語源になった。
⁵アイルランド北東部にいたゲール人(ケルト系)。6世紀ごろからブリテン島西部を荒らし、最終的に北部に定住した。国名スコットランドは彼らに由来する。
⁶どのような民族であったのかよくわかっていない。ローマ軍の侵攻前から現在のスコットランドに住んでいた。ケルト人説、ケルト人以前の先住民族説などがあるようだ。
⁷「ラテン語をあやつる者」と解釈し「聖職者」とするのが妥当か?
Erest weron bugend þises landes Brittes. þa coman of Armenia⁸. 7 gesætan suðewearde Bryttene ærost.
The first dwellers of this land were the Britons. They came from Armenia and first settled southward Britain.
⁸アルメニア(現在のトルコ東部)はノアの箱舟の上陸地点だと考えられていたようだ。それと関係している?ブリトン人はそもそもケルト系なのかという疑問もあり、さらにはケルト系という分類自体が性格なのかという疑問もある。アルメニアという遠方から「ブリトン性」(仮にそういうものがあるのなら)を維持してブリテン島にまで来たというのは無理がある。
Þa gelamp hit þæt Pyhtas coman suþan of Scithian⁹. mid langum scipum na manegum. 7 þa coman ærost on norþ Ybernian¹⁰ up.
Then it happened that the Picts came from the south of Scythia with long ships, but not many, and then came first in northern Ireland.
そして以下のことが起こった。ピクト人はスキティア南部から、多くはないが長い船で初めにアイルランド北部に上陸した。
⁹前述したようにピクト人についてはよくわかっていない。スキティアは現在の黒海北岸。ピクト人の性格をスキタイの野蛮性と結びつける?
¹⁰ローマ人は現在のアイルランドのことをヒベルニアHiberniaと呼んだ。
7 þær bædo Scottas þet hi ðer moston wunian. Ac hi noldan heom lyfan.
And they(the Picts) asked of the Scots that they(the Picts) be allowed to dwell there. But they(the Scots) did not wish them(the Picts) to remain.
そしてピクト人はスコット人に、彼らがそこに住むことを認めるよう求めた。しかしスコット人は彼らに留まってほしくなかった。
hi cwædon þæt hi ne mihton ealle ætgædere gewunian þær. 7 þa cwædon þa Scottas. we eow magon þeahhwaðere ræd gelæron. We witan oþer egland her be easton. þer ge magon eardian gif ge willað. 7 gif hwa eow wiðstent. we eow fultumiad. þet ge hit magon gegangan.
They said that they could not all dwell together there. And then the Scots said "however, we can give you advice. We know another island to the east of here. You can dwell there if you wish. And if anyone withstands you, we help you gain it.
スコット人は言った。「皆がここに住むことはできない。しかしあなたがたに助言を与えよう。我らはここから東にある島を知っている。あなた方が望むのならそこに住むことができる。もし誰かが抵抗するなら我らが手助けしよう。」
重ねて言うがピクト人についてはほとんどわかっていない。
Ða ferdon þa Pihtas. 7 geferdon þis land norþanweard. 7 suþanweard hit hefdon Brittas. swa we ær cwedon.
Then the Picts fared northward this land. And southward the Britons possessed it, as we before said.
そしてピクト人はこの島北部に行った。先に述べたように南部はブリトン人が領有していた。
And þa Pyhtas heom abædon wif æt Scottum. on þa gerad þet hi gecuron heor kynecinn aa on þa wifhealfa¹¹. þet hi heoldon swa lange syððan.
And the Picts asked for wives from the Scots, on condition that they chose their royal family always on the female side; which they have kept so long since.
そしてピクト人は女系の王(女系の王家)を常に選ぶという条件でスコット人の妻を要求し、それはそれ以来長く続いた。
¹¹疑義があるときに女系王を選ぶことがあったらしい。
7 þa gelamp hit imbe geara rina. þet Scotta sum dæl gewat of Ybernian on Brittene¹². 7 þes landes sum dæl geeodon. 7 wes heora heratoga Reoda gehaten. from þam heo sind genemnode Dælreodi¹³.
And then it happened, in the course of years, that some party of the Scots departed from Ireland into Britain, and conquered some part of this land. their chief was called Reoda, from whom they are named Darleathians.
そして以下のことが起こった。長い年月ののちスコット人の一団がアイルランドからブリテン島に出発し、この島の一部を征服した。彼らの首長はReodaと呼ばれ、彼女から彼らはDalreodiと名付けられた。
¹²スコット人はアイルランド北部からスコットランド西部に進出した。
¹³後のダル・リアダ王国Dalriada?ダル・リアダ王国は北東アイルランドからスコットランド西部にかけてあった国。後にスコットランド東部のピクト王国と合体しアルバ王国(スコットランド王国)が生まれる。
お疲れ様でした。次回は本文に入っていきます。