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訳 After the Flood (from the Old English Hexateuch: Gen 8.6-18 and 9.8-13)
CambridgeのOld English Reader, pp. 144-145から https://www.amazon.co.jp/Cambridge-Old-English-Reader/dp/110705530X Ða æfter feowertigum dagum undyde Noe his eahðyrl, ðe he on ðam arce gemacode, and asende ut ænne hremn. 40日後、ノアは方舟に作った窓を開け、そこか
要約 Devine, M., 'The Lordship of Richmond in the Later Middle Ages', Liberties and Identities in the Medieval British Isles, ed. M. Prestwich (Woodbridge, 2008), pp. 98-110.
20世紀の後半は、中世後期のイングランド研究において、疑似封建制が議論の焦点であった。しかし封建制の連続性はまだ十分に精査されていない。ここでの封建制は、軍事・法・その他の奉仕という枠組みの中で、領主(lord)と土地保有者(tenants)および従臣(retainers)の間に存在する相互的な義務や関係という点から定義される。本論文は、封建制の残余が中世後期にいたるまで多大な影響を維持していたのか、また、リッチモンドシャーにおいて封建的な関係が社会の全階層で機能して
要約 Holford, M.L., 'War, Lordship, and Community in the Liberty of Norhamshire', Liberties and Identities in the Medieval British Isles, ed. M. Prestwich (Woodbridge, 2008), pp. 77-97.
ノラムシャー特権領(Liberty of Norhamshire)とは、イングランド北東に位置する「王の令状が無効な」いわゆるroyal libertiesの一つである。Bedlingtonshireと同じく、ノラムシャーはタイン川-ティーズ川間を主体とするダラム特権領(liberty of Durham)の一部をなしている。著者は1350年までの英蘇戦争がノラムシャーに与えた影響について焦点を当てる。 英蘇戦争が始まる前の1217年から1296年の間は、王権がノラ
要約 Liddy, C.D., 'Land, Legend and Gentility in the Palatinate of Durham: The Pollards of Pollard Hall'
自分の内容整理、記憶用に読んだ本や論文の軽い要約を上げていこうかな。ほぼ勢いで書いているから翻訳ミス、解釈ミスあるかもそれはごめん。あくまで備忘録だから許して ポラード家とファルシオン(falchion)を通して、中世後期伯領州におけるジェントリ化の過程にせまる。15世紀までポラード家は「教区ジェントリ」[1]であった。しかしウィリアムは1430年代にはエスクワイア(ただし貧しい)の称号を得ていた。この称号は何に負っていたのか?主には、ダラムの地勢によるところが大きい。