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ず~っと続けていること

実は私、けっこう飽きっぽいのです。

子供の頃の習い事も、
友達が始めたから私も!と飛びつき、でも、
元々どうしてもしたいことではないから
フェイドアウトする.....。

食べ物も、これ好き!となると、
同じメニューが何日続いても平気だけど
ある日を境にパッタリ食べなくなる...。

熱しやすく冷めやすい、
というのでしょうか。

そんな私がここ数年、続けていること。


瞑想と、香りを感じて表現すること。

どうして続けられているのかな?と思ったら
もっと長く続けていることがあることに気がつきました。


生まれてから、
一日も休まずに続いていること。

それは


「生きる」ことと
「呼吸する」こと。


肉体を持ってここに存在した日から
何も意識しなくても一日も休まずに
呼吸して、生きている。


凄い!私、出来てるじゃん!! 
と思うのと同時に、

「何も意識しなくても」ということは
私がやっているのではない!
と、改めて気づきました。


ここに生まれ出でてからずっと、
呼吸を通じて
源である大いなる命が私に吹き込まれ、

大いなる命が私として顕れ

こうして私は今日も
生かされている。

それを感じると
「ありがとう」とか「感謝」なんて言葉が
薄っぺらく思えてしまうほどの
なんとも言えない感覚が
彼方から大きな波のように押し寄せて、
涙と
でもやっぱり、「ありがとう」と
嬉しさに溢れかえる。

そして、
こうして存在している私自身が
愛おしくてたまらなくなる。

愛によって生かされている私は
愛そのもので、

ということは
私以外の存在する全ても
愛の顕れで、愛そのものなんだ。

そう思うと
私自身にも
世界中の全てにも
kissしたいほど
歓びでいっぱいになる。


瞑想は、
ともすると思考でがんじがらめになり
愛から離れてしまったように感じる私を
リラックスさせ、
愛とのつながりを感じさせ、
安心していいんだよ
そのままでいいんだよ
何故なら
私自身が愛そのものなのだから 、と
私を元いた場所へと誘ってくれる。

本当は、何も心配することなんてないけれど
何かあっても、
瞑想すれば、いつでも
何の心配もない
元いた場所に還れることを
奥深くで知っているから
安心して
この肉体を離れるときまで
私は私として生きればいい。


香りを感じて表現することは
私自身を生きること。

この肉体があるからこそ、
感じることができる。

この香りは好き、この香りは嫌い。
どんなふうに感じるか、
つぶさに見ていくことは
自分の内側と繋がり、観察し
自分をよく知ること。

そして、
感じたことを表現していく=行動することは
人生を創造すること。

本当は、制限なんてなくて
果てしなく自由なのだから、
感じたままに生きたらいいのに、

ややもすると
思考の大きな声に飲み込まれ
右へ倣えの行動にでてしまう。

勿論、正解も不正解もなく
全てO.K なのだけれど、

でも、私は
感じたままに従って
自由に生きることを選びたい。

だって、それが
私を生かし
私を流れる命がしたいことだと感じるから!

思考に絡め取られ
感じることを忘れそうになったら、
いつでも、香りを感じて
湧き上がる何かに身を任せればいい。


最後の一呼吸が終わるその瞬間まで

私を生かしてくれている
その流れを信頼し、
その大きな流れに安心して身を委ね

私自身が愛として
人生を創造していく。

そんなふうに
永遠の一瞬、一瞬を
一呼吸を大切に感じると、
私を流れる命もまた
「ありがとう」と
歓喜に震えるのが伝わってくる。

私の方こそ、ありがとう。

ここに生まれてからずっと、
私を信頼し、生かしてくれている愛を
私も信頼して
感じるままに、自由に生きていきます。


最後の一呼吸が終わるその瞬間まで......




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