こんにちは、はじめまして。 ホリスティックライフコーチ、 エネルギーヒーラー、 調香師、 タロットリーダーの mami です。 4つのお仕事をしていますが、 これらの中心にあるのは ”癒し” です。 私のストーリーお寺の長女として生まれました。 住職の父は、絶対的な存在で、幼少の頃から常に彼の顔色を窺って生きていました。 母は心が繊細で身体も弱く、その上アルコール依存症でした。 そのため、母のこともコドモ心にいつも心配をしていました。 その生き方は成長してもいつも私の中
私は、私の人生しか歩けない。 あなたは、あなたの人生しか歩けない。 隣の人の歩む人生を見て、 「いいなぁ、私もあんな人生を歩めたら」 そんなふうに思ったことも、 もちろんあるけれど。 でも、今は違う。 私は私の人生を自信を持って 前を向いて歩く。 私の人生は 私にしか歩けない。 私の人生は 私だけが歩くことができる。 これって、 すごいことだと思いませんか?? 他の誰も あなたの人生を歩くことはできないなんて。 今いるところから 次に踏み出
どうして自分はこんなふうなんだろう……..。 あの人みたいになれたらいいな。 自分のここが嫌い。 これがなくなって、あの人みたいになれたら、 今とは違って きっと、もっと楽しくなれるのに…….。 そんなふうに思ったことはありませんか? ちょっと、想像してみてください。 あなたの目の前に もの凄~~く大きい木、 葉っぱが80億枚もついている もの凄く大きい木があります。 その中の一枚がこう思いました。 「隣の葉っぱはツヤツヤしてきれいだなぁ。 なんで
「人生の目的は喜びである」 そう聞いて、 あなたはどう思いますか?? もし、あなたが今 人生を楽しめていなくても どちらに向かって進めばいいか 分からなくなっていたとしても でも、 いまここから 新しく人生をクリエイトすることができるのです。 今まで どの瞬間も 人生は「選択」の連続です。 朝、起きてから このブログを読んでいる今まで カーテンを開けて、窓を開ける コーヒーを飲む 服を着替え、メイクをして 出かけるetc. etc. 無意識にしているようで 実は
~香楽~ 「KOUGAKU こうがく」 と読みます。 「調香」のように 難しい計算や化学反応について 考えることはありません。 「アロマテラピー」のように それぞれの香りの役割が すでに決まっているのではありません。 「香楽」は文字通り 「香り」を「楽しむ」 世界です。 「香楽」では、匂いを香りと捉え 「想像力」へと結びつける「アート」です。 「アート」であるので、 そこに優劣や比較は存在しません。 ですから、自由に感じ、それを思い切って表現す
子供の頃から他者と比較され、他者と競争し、 もう少し成長すると、イイ学校に入るため頑張り、 なぜイイ学校に入ったかといえばイイ会社に就職するためで、 だから就活を頑張り、無事にイイ会社に就職できたら、 イイ生活をするために仕事を頑張る・・・。 想像するだけで、グッタリと疲れます。 でも、多くの方が、多少なりとも そんな経験をしているのではないでしょうか? イイ生活って、どんなことをいうのでしょう? 情報が溢れ、物質的には恵まれているようにみえても、 本当に
自由に楽しく、ハートの羅針盤に従って 本当にしたいことをして 人生を創造していきませんか? でも、本当にしたいことって、何? すぐに答えられますか? 私たちは長い間、 「本当にしたいこと」ではなく 「誰か・何か に求められた役割」を 演じてきたのではないでしょうか。 そうしてハートの声を封印した結果 ・本当にしたいことが分からない ・したいことはあるのに、 お金や時間のせいにしてできない ・変化するのが怖い ・そもそも自分にはできない etc. そんなふうに思
長年、我慢がスタンダードになっていて 感情に蓋をして 相手や周りが求めている(であろう) 言動や行動をしていたけど 本当の私は 「超自由」なひとだから 時々、周囲がビックリするような 言動や行動を平気でしたりしてきた。 そんな、 「超自由」な私の 目に見える部分しか 見ていない人たちからすれば 私は 「自由奔放」で「ワガママ」で「強気」 に見えているよう。 見えない内側の部分には 超繊細な感性と感受性を持ち 微細に様々なエネルギーを キャッチしている。 だから、周囲に合
所詮、この世は夢の国 ならば 何を恐れることがあるのだろう? 窓の向こうで大木が 風にあおられ揺れている。 揺れるたび無数の葉が 光を受けて きらきら きらきら 美しく輝く。 大木は大地にしっかりと根を張り 風にも 何にも 逆らわず ただ、いつもリラックスして ただ、そこに存在する。 「ただ存在する」 何も握りしめず 何にも囚われず 自分が大木であることも知らず ただ、愛の顕れとして 存在する。 大雨が降っても 強い風が吹いても 不安も恐れもなく 全てに身を委ねて
通帳にゼロが7つ並び 私のことが大好きな彼が 週に2回会いに来て 欲しいモノは買ってもらえ 慣れた仕事に これといって不満もなく 漫然と、ぬるま湯のような毎日 いつの頃からか 囁き声が聞こえる "こんなぬるま湯のような人生でいいのか?" そうだね、いいのかな? 私、こんな人生でいいのかな? 小さかった声がだんだん大きくなり 頭の中で鳴り響く "こんなぬるま湯のような人生でいいのか?" そうだよね、こんなの違うよね。 もっと、ちゃんとしないとね。 そして私は、全て
・・・私が本当にしたいことは、何.........? 私が本当にしたいことは、..............だよ..... 私が本当にしたいことは・・・ カーテンの隙間から、朝日が差し込む。 まどろみの中で、 誰かが私に話しかけたような気がする。 アラームが鳴り、慌ただしく いつもと同じ一日が始まる。 顔を洗い、鏡を見る。 ・・・?? 誰?? ?誰? あら、私でしょう。 イヤだわ、まだボンヤリしてるのかな...? でも、そういえば 私は、私を見ることができな
実は私、けっこう飽きっぽいのです。 子供の頃の習い事も、 友達が始めたから私も!と飛びつき、でも、 元々どうしてもしたいことではないから フェイドアウトする.....。 食べ物も、これ好き!となると、 同じメニューが何日続いても平気だけど ある日を境にパッタリ食べなくなる...。 熱しやすく冷めやすい、 というのでしょうか。 そんな私がここ数年、続けていること。 瞑想と、香りを感じて表現すること。 どうして続けられているのかな?と思ったら もっと長く続けていること
真夜中に、目が覚める。 真っ暗闇の中、独りぼっちみたいで、 急に不安になる。 毛布にすっぽりくるまって、身体を丸めて、目をギュッと瞑っても 淋しさで凍えそうになる。 ふと気配を感じ、そろりとベッドから降り、カーテンを開ける。 青く白く、銀色の月が、 冴え冴えとした冷たい輝きを 温かく放っている。 窓を開けて、 銀色の輝きを含んだ冷たい空気を 胸いっぱいに吸い込む。 みるみるうちに光に満ち、 内側から輝き始める。 あっ、と思った瞬間、私が輝く月であり、 月を照らす太
窓辺でやわらかな日差しを浴びながら、何も考えず、ただ、ぼ~っとする。 目を閉じて暖かさと、明るさを感じる。 自然に、ゆっくりと、深い呼吸に変わる。 テーブルのディフューザーから、いい香りが漂っていることに、気付く。 本当は、さっきまでだって香っていたはずなのに、感じていなかった。 それが、ゆったりと、リラックスしていつもより深い呼吸の変わったら、 なんていい香りなんだろう、って、自然に湧き上がってくる。 そのまま、香りを感じて、心地よさに浸って、力を抜いて、 存在そのも
今日もこうして身体を使ってブログを書いている私はmamiですが、 本当は、私はmamiでもなければ、この身体でもありません。 この身体がmamiという私であるなら、身体を動かしている心臓を自由に動かしたり止めたりできたり、何処からともなく湧いてくる思考を、自由自在に操る事ができるはず。 あなたには、できますか? 私には、できません。 この身体が、この思考が自分ではないのなら、本当の自分って、何? 知っている私は、いつの頃からか分かりませんが、 「この身体が自分ではな
あなたは、幸せですか? あなたにとっての幸せって、何でしょう? 素敵なお家に住んで、理想的なパートナーがいて、何不自由ない暮らし? 本当にそれが、あなたの求めている幸せでしょうか? もしそれらが全て手に入ったら、あなたはこの先ずっと幸せでしょうか? 全ては移ろい、変化するお天気だって、晴れて清々しい日もあれば、雨で鬱陶しい日もある、それと同じで、念願だった素敵なお家も理想的なパートナーも、いつまでも変わらずいつまでも同じではなく、いつも刻々と変化し続けているのです。