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過労死直前→複数事業を経営

初めまして。
atelierity onlineです。

自己紹介記事です。


[コア事業]+[サテライト事業]の事業群の中で
オーナー 兼 クリエイターとして生きています。

僕は今、複数の事業(一つのコア事業と枝分かれしたサテライト事業群
を展開する起業家
ビジネスオーナー 兼 経営者でありながら
自らの事業群内で
フリーランスとして働くライフスタイル
送らせてもらっています。

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建設業をコアとして
その中に

・建設施工業
・オーダー金物製造業
・金物メーカーの施工代理店事業

を展開しつつ

サテライト事業として


・ボタニカル事業
・雑貨製造販売事業
・イラストデザイン事業
・webデザイン部
・音源コンテンツ事業
・動画コンテンツ部

を運営。

その中で
3Dプリンター
ドローン活用
幾つかのecサイト
コンテンツサイトの運営
環境整備の技術開発
などを行っています。

その中で常に新しい発見課題に向き合い
学び続けることを継続して

新しい事業のヒントを見つけ

見つけたら投資して事業化する
増殖型事業運営を行っています。


今は納得のいく生き方を出来てますが…


現在は自分の好きなライフスタイルの中に生き
その中でさらに最適化できる部分を見つけ出し
そこを更に好きにする活動を行い

その中で生まれる仕組み
様々な人と共有する為
事業展開を進めています。

が、数年前までは
非正規雇用働き詰めた結果
食べる事も寝る事も満足にできない程
弱りきっておりました。

体重は夢の40キロ台まで減少
食べ物も喉を通らず
点滴で栄養補給をして
時々発作的に動けなくなるまでに
衰弱していました。

そんなコンディションでは「勤め人」は出来ず
退職
無職に。

そんな僕がどうやって
今の状況まで立ち直り
歩んできたのか
についてお話しします。

これはハウツーではなく
イントロダクションです。

こうすれば、立ち直れる!
という話でもなく
独立起業しよう!みたいな話でもありません

prologue:三度の引きこもり期

僕は今までの人生の中で
三度ほど、引きこもった時期があります

一度目は高校受験の時。
希望の高校に行くには
偏差値が30も足りなかった上に
内申点は15しかない超劣等生だった僕。

普通に勉強していては到底無理だったので
過去問題5年分、予想問題を買えるだけ買って
全てで満点が取れるまで引きこもりました。

結果、希望高校に合格
この1回目の引きこもり体験が後に僕を救います


2回目はバイク事故
全身包帯ぐるぐる
引きこもり、というよりかは
外出出来ない状況でした。

柔道をやっていたお陰で
受け身を取れたのか骨は無事だったのですが
腕や背中と足の一部の皮膚
アスファルトとの摩擦で
ズル剥け

動けないので自宅療養。
その期間に受験期の引きこもり体験を思い出し
猛勉強

この時はアニメでした。
全く流行りのアニメを見てこなかった僕
この期間に狂ったようにアニメを見て
その後雑貨店でキャラグッズを売りまくり。

そして、三度目は数年前の病気。

病名は
・統合失調症
・消耗性疾患

この時はひたすら読書。

何故、僕がこうなったのかについて
本を読んで調べまくりました。


①step.1 なぜ弱るまで、働いてしまったのかを見つけた。

始めに調べたのは
何で病気になったのかについて。
理由は簡単。働きすぎ。

職場に寝泊まり
スナックやジュースで食事を済ませ
ひたすらに働いていました。

そして次に
何故そこまでワーカホリックになったのか

それは自己肯定感が病的に低かったから。
と言うのが当時の結論でした。

そこから、
心理学系の本
経済の本
様々なストーリー

読んで読んで読んで読んで…

自分の過去と向き合い、
改善するとしたら、どうするか
について計画を立てて過ごしていました。

②step.2 ダメで元々、働いてみる。

スキルを身につけるという成功体験が必要だと感じたので
全くやった事のない造園業に挑戦しました。

ずっと引きこもっていたので
太陽の下で
汗を垂らして過ごす
のは
新鮮でとても気持ちよかったのを
覚えています。

その中で
新しいスキルを身につけていく流れを
確認していった結果
既に自分では意識していない
幾つかのスキルがあった事
に気がつきました。

③step.3 自分にできる価値提供をする為に起業

ここからはある程度、明確な記憶があります
逆にここまでは病気のせいか
記憶が断片的にしかありません。

H26.6.1

起業。

始めはありとあらゆる思い付くままの事業内容

自分が出来て
人の役に立ちそうな事を
片っ端からやりました。

その中で現在のコアとなっている
建設施工業が成長していきました。

意識していたのは常に「僕達は価値提供が出来ているか

それが僕自身の肯定感の為
そしてバランスの取れた働き方を保つ鍵だと信じました。

そして、建設施工業を先兵として
複数の事業を布陣

今に至ります。

まとめ

ここまで随分と長いプロフィールを読んで頂き
誠に有難う御座います。

僕が辿ってきた経緯をまとめるなら

①自分の世界にこもり、学ぶ
②自己肯定感を取り戻す
③やるだけ、やってみる

このスリーステップで僕は
過労死寸前から複数事業を展開する起業家
になりました。

今はこのスリーステップを

①仲間と動きながら共に学ぶ
②物事の実現抵抗値を下げる
③楽しんでやってみる

に進化させて、事業として楽しんでいます。

そして
その中で
あんな事も出来る!」
「こんな事も面白い!」

という感覚を

少しでも多くの人と共有し
沢山人と共に創造性の発揮
が出来る様に
日々、業務に勤しんでおります。




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