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やりたいことが、うまくいかない時

大学院に合格したということをSNSで報告したら、沢山の方からお祝いの言葉を頂きました。

その中には、「私は本当は○○がしたいんだ」っていう希望をお伝えくださる方も何名かいらっしゃった。
本当は○○したいっていうことは、したいけど、なんらかの事情があって出来ないっていうことを含んでいる。
例えば、東京まで通わないと資格が取れないとか、大学院に行きたいけど近隣に通える大学がないとか。

これ、すごくイライラすることだと思う。
やりたいことがあるけど、本人のやる気や実力を発揮する前に、物理的に出来ないっていうのは。
私もそうだったので。

私のようにこだわりを手放してみると、思ったよりも簡単に進み始める場合もあるし、純粋に今はそのモヤモヤを耐えるときなのかもしれない。
そういう時だとしたら、出来るようになるまで、大切に温めておくといいだろうなと思う。
時期が来れば出来るようになるんだと思うので。

今朝、アルケミストの音読会に参加していた。
主人公の少年サンチャゴと同じキャラバンで旅をするイギリス人は、アルケミストから、鉛を金に変えること(何度もやってみたこと)をもう一度やるように言われ、実際にそれをやり始める。
今回は、今までとは違う「大いなる作業」で。
そのとき、イギリス人が言ったことはこういうこと。

僕は硫黄を分解しなければならない。それを成功させるためには、失敗を恐れてはならないのだ。「大いなる作業」をやってみることをさけていた第一の理由は失敗を恐れていたことだった。僕は本当は十年も前に始められたことを、今やり始めたのだ。二十年も待たなかっただけ、少なくとも僕は幸せだよ。

アルケミスト 夢を旅した少年

これ読んで、私も同じだと思った。
2016年に大学卒業した時点で大学院に進みたかった。
だけど、希望する研究科には仕事をしながらでは進学できない。
そうやってモヤモヤしながら9年が過ぎた。
定年したら大学院に通いたいと決意していた。

さて。
私は9年前に始められたことを、今やり始めたと言える。
そして、定年まではあと10年ある。
だけど、あと10年待たなかっただけ、私は幸せだと思う。

それに、この9年の間、何もしていなかったわけではなく、色んな事を学び、自分の糧とした。
もしも、9年前の私がなんとかして大学院に進んだとして、どうだったんだろう。
私がこれから使う「大いなる作業」は9年間の間に身につけたものではないのか。
大いなる作業なしで、大学院に進むと一体どういう結果になっていたんだろう。

それはそれで、何らかの結果を得ているだろうし、きっと満足のいくものになっただろう。
だけど。
9年待ったからこそ、卒業時に得られるものは更に大きなものになっているんじゃないかなと思い、ワクワクする。

なかなかうまく事が運ばないときはある。
そういうときは、そういうときに出来る事をしておくというのが、モヤモヤの抱え方なんじゃないかな。


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