すべてのものは移ろいゆくと悟る
変わらぬものなどない
と聞いて、あなたはどんな印象を受けるだろうか?
虚しさ?
諸行無常?
でもどうだろう?
それは昨日書いた、「空(そら)」のようなものだ。
すべては移ろいゆく。
だからこそ、「救い」である。
苦しみの渦中にいる人も、その苦しみが永遠に続くことはない。
絶望の淵に追いやられている人も、必ず希望の糸を手繰り寄せることはできる。
逆の視点から見てみよう。
……今光の中にいるというのに、それすら変わりゆくというのは悲しすぎる?
本当にそうだろうか。
否、永遠には続かないと知っていればこそ、その喜びを、輝きを、瞬きを、抱きしめるように慈しむことができるのではないだろうか。
やがて命は潰える。
その事実すら、この世で喜怒哀楽のあらゆる感情を楽しむための「演出」のように思える。
命は始まり、いつか終わる。
人は出逢い、いつか別れる。
花は咲き、やがて散り逝く。
その始終の美しさたるや。
その輝きの美しさたるや。
昔は、「終わってしまう」ということが悲劇のように思えた。
すべてが終わるというのに、どうして一生懸命生きなければいけないのだろう? と。
でも、最近はその事実があるからこそ、「生きる」ということに意義があるような気がしている。
いつか「生きる」という営みが終わったとしても、その人が「生きた」という証は残り続ける。
それは、見えざる証として、空気となって、エネルギーとなって、この世界に何某かの影響を残し逝く。
だから、投げやりにならずに前向きに生きていこう。
たとえ、終わってしまうとしても無価値ではないと信じてやり続けよう。
その意義は、あなたの残した足跡(そくせき)にこそ見出されるもの。
移ろいゆくから、美しいのだ。