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京都の話④ 『作品から人生まで、全てを綺麗に折りたたんだ男の話』シモン・アンタイ展。

京都から大阪に移動し、大阪の心斎橋でシモン・アンタイという人の展覧会を見てきました。

エスパス・ルイ・ヴィトンという大阪のヴィトンの最上階にあるギャラリーで作品が展示されています。

なんかいいなって思ったのは、会員制バーの入り口みたいなビルの裏手に入口があるところです。

シモン・アンタイは殆ど日本で作品を見る機会はないのですが、本国フランスでは(元はハンガリー人)すごく有名な画家で、3度もポンピドゥーセンターで個展が開催されているほどの作家です。
彼はプリアージュという独自の折り畳み技法を使って絵を構成する作家として知られています。

シモン・アンタイの代名詞と言えるのが、キャンバスを無作為に折りたたんでしわを寄せ、色を塗った後にキャンバスを開くことで絵画化する「プリアージュ(折り畳み)」の手法。

出典:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/simon-hantai-espace-louisvuitton-osaka-news-202308

アンタイの「プリアージュ pliage」は、しばしば「折りたたみ」と訳されることが多いが、この名詞は「曲がり、折り目、折り込み、折り曲げ」といった細かいニュアンスを持っている。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/simon-hantai-folding-yasuhide-shimbata-review-202312

絵を描くというといわゆる絵筆をとって手で描写するようなイメージがありますが、ジャクスン・ポロックを筆頭にそう言った既成の概念はこの時代から打ち破られていきます。

出典:http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress/aaa/世界の洋画家/0米国/new-york-scool/5531-2/

絵の上に乗っかりながら描くように、アンタイは絵の具を塗ったキャンバスを折りたたんで開いた時に出る模様で絵を作っています。日本の絞り染めみたいな感じですね。

これが一体何を表しているのか、正直全くわかりませんが、折れ目の一つ一つを丹念に見ているとそれぞれに違いがあって非常に面白いです。規則的な四角の中にある不規則な模様のズレ…。

こういう絵を見ていて思うのは、おそらくこういった機会がなければこんなキャンバスを折りたたんだ時の絵の具の痕跡をまじまじとみることはないだろうということです。そういう普段全く見もしないものに目を向かせる、新たな見方を提示させることがアートの意義本質だと思います。

続け様に素晴らしい作品を制作していくアンタイさんですが、

1982年、現代美術のもっとも権威のある国際展のひとつ「ヴェネチア・ビエンナーレ」にフランス代表作家に選ばれるのだが、しかしその数カ月後、突然自らの意思で表舞台から姿を消してしまうのである。

出典:https://www.gqjapan.jp/article/20231014-simon-hantai-23

なぜかミスター・アンタイはここで突然『引退宣言』をします。
え?ここに来て引退っすか!?なんで!?

人気絶頂の中スポーツ選手が急に引退することが稀にありますが、なぜに?と思ってニュースなどを見ていると本人曰く「もっとも力があって美しい状態の時に引退したい」などが理由だそうです。

最近では宇野昌磨選手が引退して話題になりました。

銭湯の休憩所でこのようなニュースが流れると『まだ早い!まだやれる!もっと魅せてくれよ!!!とか叫んでいるおじさんたちがたまにいますが、そういうのを聞くと『じゃあこれで引退が遅くなったらあなたが面倒を見てくれるんですか?』と思ったりします。

そしてさらに思うのは、そういうことを言う人たちは大抵かなり腹が出た半裸のおじさんたちだったりして、風呂上がりに扇風機の前でコーヒー牛乳を飲みながらそれらを言っていたりすると、そもそもおまえが言うな!!!!と怒鳴りたくなります(笑)

確かに肉体が資本のスポーツ選手なら20代半ばや30代前半における引退宣言もわからなくはありません。老いてだめになる前に表舞台から姿を消す。引退後だってセカンドキャリアのことも考えなければならないわけですから。

対して画家は長生きの人が多く生涯現役率も異常に高いです。というか自分で引退宣言とかする人をあまり見たことがありません。

例えば画家がかつての千代の富士のように、金屏風の前に立って『体力の限ッ…界ッ…!!ゴフッ…!』とか言ってたらおかしいでしょう。

では、特に肉体資本ではない画家のアンタイはなぜ急に引退したんでしょうか?
アンタイさん、あんたは別に引退する必要はないじゃないか、なぜに今…

と思ったら実はミスター・アンタイ、ひっそり制作を続けていたようです。

68年から76年まで、「Etude(習作)」「Blanc(空白)」「Tabula(タビュラ)」といった作品シリーズにおいてプリアージュの手法を多様化させたが、80〜82年の「Tabula」の2つ目のシリーズの後、彼は「引退」を発表。絵画制作を辞めることはなかったが、十年以上におよぶ長い沈黙を経て、98年には「Laissées(落とし物)」展を開催。2001年にはデジタルプリント作品「Suaire(聖骸布)」シリーズを制作した。2008年にパリにて逝去。

出典:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/simon-hantai-espace-louisvuitton-osaka-news-202308

なんだよ、引退詐欺じゃないか!『閉店セール』と言って永遠に閉店しないでずっと営業を続けている近所の雑貨屋みたいだ。

ちなみに引退宣言の理由は『当時の商業主義のアートシーンにうんざりしていたから』らしいです。

心配させんなよ、もぉ、このツンデレが!笑

AをEにしたら変態になりますね。

すいません、小学生みたいなこと言って。

そんなアンタイさん、なんちゃって引退後もひっそり作品を作り続け最後はデジタルプリント作品まで作ったりしてガッツり資本主義社会のテクノロジーと手を組んでいます。やる気満々ですね。

なお今回のエスパス・ルイ・ヴィトンの展覧会では世界初公開の未発表作品も展示されていました。

こちらと下の一枚がその作品です。

これらはシモン・アンタイ亡き後のアトリエで発見された幻の作品だそうです。

久しく日本は円安の影響や不景気によって『給料が上がらない』『物価高で欲しいものが買えない』などと取り沙汰されていますが、なぜかこういった時は切符よく他国に先駆け日本が『世界最速』で未発表作品を公開したりしています。

映画でも音楽でもそうですが、なぜか日本は景気が悪いという割には『世界最速』とか『世界に先駆け日本独占〇〇』とかをよくやっている気がします。そういうのを目にすると、お前本当にそんなことやってる余裕あんのかよ!?とツッコミたくなります。そして我が国は本当はお金あるんじゃないの?と疑念が湧きます。

学生時代、テスト前によく『お前勉強した?』と聞いたら『全くしてない!やばい!』とか言いながら、実際試験が終わるとものすごくいい点を取っていて実は裏でしっかり勉強していたような奴を思い出しました。

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Simon_Hantaï

今回訪れた京都、大阪での展覧会はどの展覧会も素晴らしいものでしたが、特にアレックスカッツ、塩田千春、シモン・アンタイの展覧会は開催場所が小さなギャラリーのような場所だったからか恐ろしく人が少なかったです。

これだけの労力と作品の質に対して、これだけの鑑賞者の少なさに相変わらず唖然としながら地上一階に戻ると、ヴィトンの入り口前にはルイ・ヴィトンの本店に入ろうとする長蛇の列が出来ていました。

我が国ではどんなに景気が悪いと言われようが、ハイブランドとパチンコ屋だけは常に行列になっている気がします。

そして資本主義の権化のような企業のビルの最上階で、共産主義国出身の作家の展覧会が、ガラガラの状態でひっそりと開催されているのを見ると、もぉこのビルそのものが現代美術のアイロニーを表しているようにさえ思えてきました。

突然の引退宣言という大風呂敷を広げた後も密かに活動を続け、パリのポンピドゥセンターでは3度も個展を開催し、本人亡き後も本国および異国の地のルイ・ヴィトン財団のギャラリーでは世界に先駆けた未発表作品を展示する。そんな完璧なマスタープランの下に最後は自分の人生までをも綺麗に折り畳んでしまったシモン・アンタイ。

こういうのを見るとなんだかんだで『シモン、上手くやったな』という感想を抱きました。そして、お前テスト前とか絶対友達に嘘ついてこっそり勉強するタイプだっただろう!とも(笑)

シモン・アンタイの展覧会を見て、出来れば自分もこんな風に人生の最後を折り畳んでみたいと思ったものですが、多分自分の最後はポストに投函されてはグシャグシャに丸められてゴミ箱に葬りさられる、いらない折り込みチラシの末路みたいになってるような気がしてなりませんでした(苦笑)

そして、もし今シモン・アンタイが生きていたら、大阪のダフ屋で売っていた偽物のルイ・ヴィトンのTシャツに『安泰』の漢字2文字をプリントアウトして、綺麗に折り畳んで渡したいなとも思いました。

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