見出し画像

コミュニケーション  ~伝える・聴く×主観・客観~

こんにちは! あたたけ です。

都知事選も終わりましたね。
まぁ、あたたけは都民ではないんですが。

さて、都知事選とは関係ない?ですが、コミュニケーションについて考えさせられることがありましたので、今回はその辺りでも。

1.伝える・聴くのバランス

コミュニケーションと言いますか、会話をしてて『自分の話ばっかりで他人の話を聞かない人』っていませんか?
(まぁ、あたたけもその傾向はありますが。。。。)

今さらですが、『会話はキャッチボール』ですので、投げっぱなしはダメだろうという話なんですけどね。
自分の伝えたいことがいっぱいあるんやろうけど、キチンと相手の言葉・考えを受けてから、それにあわせて返そうねってことですね。

と、ここまでは使い古された感もある話なのですが、一方で『話を聴くのが大切』という認識が広がった反動なのか、たまに?『他人の話を聴くだけで、自分の意見は何も出さない・伝えない人』もいるんですよね。

はっきり言って、そういう人はとてもコワいです。
だって、何を考えているかわからないってことは、行動・判断が読めない≒信用して良いかわからないのですから。
キャッチボールなんやから、ちゃんと『受ける≒聴く』と『投げる≒伝える』をバランスよくして欲しいものです。

あと、コミュニケーション能力の高さに直結するのが、『どこに球を投げるのか』『ちょっとそれた球をどのように受けるのか』という点かなぁと。

先日、たまたまエライ方々に報告する機会があったのですが、ご質問の内容であったり、言葉の選び方であったりがスゴイなぁと感心しました。
わかりやすい言葉を選んでご質問いただきつつ(≒受けられる範囲に球を投げる)、あたたけの言葉足らずの説明(≒暴投気味の球)を丁寧に、かつ、行間を正確に洞察して受け止める姿勢には尊敬?感動?するばかりでした。
(質問が鋭い分、返答が大変でしたけどね)

何にしろ、『伝える・聴くをバランスよくできる』ことが良好なコミュニケーションの大きな要素なんだろうなぁと思います。

2.主観・客観の区分

『自分の話ばっかりで他人の話を聞かない人』と同じくらいメンドー?なのが、『事実と意見を混同して話す人』だとあたたけは感じています。
個人的な意見(≒主観)を一般論(≒客観)として話す人、いわゆる、『主語を大きくして話す人』ですね。
あたたけに知見があれば主観/客観を見分けられるかもしれませんが、あまり知らない分野の話だとまんまと騙されかねないのがコワいところです。
とりあえず、『こうあるべき!』みたいな話をする人は要警戒ですね。

で、食品企業の品管担当をしていると『法規制等の客観』に対し『品管担当の主観』が過剰で、現場の負担が大きくなりすぎている組織を見かけることがあります。
『その品質管理の取り組みは形骸化、机上の空論になっていませんか?』と投げかけることもありますが、なかなか伝わらない。。。。
それってあなたの感想ですよね?』って品管担当に言いたいところです。

さてさて、そんな話をしていると『客観が善、主観が悪』と思うかもしれませんが、『主観が全くない話』ってただの情報でしかないんですよね。
『ネットで調べれば出てくるレベルの情報交換』なんてコミュニケーションじゃないですからね。
そんなの、人とするよりも生成AIとした方が確実&効率が良いですし。
それってただの情報ですよね?』とツッコみたくなりますね。

コミュニケーションというのは『意見(客観的な情報に主観的な考えをのせたもの)の交換』じゃないと意味がないとあたたけは思います。
言い換えれば、『主観もキッチリ持ってる相手じゃないとコミュニケーションが成り立たない』ってコトでしょうか。

そう考えていくと、コミュニケーションで大事なのは『主観を排除する』ではなく、『主観と客観を区分できる』という能力なのかなぁと思います。

あたたけ自身ができているかは別にして、『伝える・聴く×主観・客観』はコミュニケーション(≒社会生活で重要な能力)の要素として忘れずにいたいものです。

ご意見・ご質問等、▼こちらからお願いします!

ではでは。今回はこの辺りで!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?