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息子の「学校へいかない…。」が、私の価値観を揺さぶりまくった9月。

「大人だって疲れるもん。子どもだってさ、たまには休みたくなるよね!」と、本気で思っていた。

そして、「休む」という選択をしている子たちの芯の強さを感じながら、どこかうらやましいなとも思っていた。

たまには休みたくなるよね?

たまには...
それって、毎日っていうことじゃない。
いつまでかわからない期間ずっと、って意味じゃない。


「学校に行かない」を続ける…これって本当に大丈夫なの?


「わたし基準のあたりまえ」は、「子どもたちは元気に休まず学校に行く」ことなんだ。
口では「お休みって必要だよね!」なんて言っている私なのに。

この「私に染み付いたあたりまえ」を強烈に自覚させる出来事が、現在進行形で起こっている。
私が握りしめているこの観念が、ダイレクトに感情を揺さぶってくる。


突然始まったように見えた、登校渋りと学校にいけない日。

5人姉弟の末っ子長男、小学5年生。
1学期は、たまに、お休みをしていた。
周りの子たちに比べて身体も小さいし、疲れやすいんだろうな。

そんな彼が「学校に行かない」と本格的に訴えだしたのは、夏休みが明けようとしているころだった。

帰宅後にランドセルを放り投げて、クラスメイトと学校でよく遊んでいたし、休日には、近くの公園で友達と待ち合わせて遊ぶこともあった。
勉強はそんなに好きじゃないみたいだけど、男の子はこんなもんなのかな。

時々休んだら元気になるから、そんなに気にかけていなかった。
それが正直なところ。

夏休みに入るころ、担任の先生との個人面談では「クラスではずっとニコニコしていて、よくお手伝いをしてくれます!ただ、周りに気を利かせすぎるところが少し心配です。」(授業中でも先生のお手伝いを買って出てやるくらい…)

そういえば…
新年度早々の、5月の個人面談でも「とても大人の顔色を見ていて、空気の変化にとても敏感に反応している。少しでもピリッとした空気が流れると、とても緊張するようで、気になっています。」と言われていたんだった…。

思い当たるのは、4年生の頃の担任の先生がとても苦手だったこと、くらい。大きな声で叱責する女性の先生。
連日練習が続く運動会シーズンから一気に嫌いになったようだった。
(息子は4人の姉たちのように不満なことをこと細かく話すタイプではないので、「だれがどんな風にどうなった」まではよくわからなかったのです…。)
4年生の3学期は「担任の先生が嫌いだから、学校に行きたくない。」ってよく言っていたなぁ...。

先生が、友達が、学校が嫌いなわけではないという。
じゃあ「今、学校に行きたくない」原因は何だろう。
本人に聞いてみても、「学校は疲れる…」それしかわからない。
もしかしたら、私に言えないことがあるのかもしれないし、本人にも理由がよくわからないのかもしれない。「学校が疲れる」のは、ホントみたいだ。

このころの私は、そんな風にとらえていた。


あぁ、なんでこうなっちゃったんだろう。

まず、この思いがわいてくる。
結局、母である私は、自分のことしか考えていないんだ。

「仕事のこと」「日々の生活にまつわる家のこと」
「彼以外の子どもたちのこと」「自分に使う時間のこと」…
どうしよう。諸々決まっていた予定が崩れるじゃん…。

どこまで自分勝手なんだ、私は。という気持ちと、
もう、どうしたらいいんだろう。という気持ちと。
休ませ続けて大丈夫かな…。という気持ち。
親としての対応を間違えたくない!という気持ち。

もう脳内と感情はぐっちゃぐちゃでした。
そして、今も時々、そうなります。


それを乗り越えた人たちの経験を、知りたい。
同じことで悩んでいる人たちと、つながりたい。

ぐっちゃぐちゃの感情のままだと、親子ともどもアカン方向に行ってしまうのは容易に想像できた。(ぶちギレたこと数回…泣)

「学校は行くもの」という「わたし基準のあたりまえ」を今の時代にマッチしたものにアップデートしていきたいと思えるようになってきた。
(実際は冷静なんてもんじゃなく、必死でした…)

9月にやってみたことは、長くなりそうなので次回に続きます…。

数秘も絡めて綴っていきたいと思っていますので、こうご期待!

今日もお読みいただき、ありがとうございました。


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