メタアーキテクトの頭の中 ~熱海の崖に家を建てる【VUILD】
熱海Case Study House(通称、崖の家)のメタアーキテクト、秋吉浩気さんが初の単著「メタアーキテクト-次世代のための建築」を上梓されました。崖の家の今後は、秋吉さんにかかっています。その頭の中を理解しようとじっくり読みこみました。今日はその読書感想文。
第1印象
表紙の第1印象は「攻殻機動隊っぽい」です。
実際の攻殻機動隊の表紙と比べてみると全然違うのですけどねw。
ちなみに、我が家では攻殻機動隊を「予言の書」と呼んでいます。最大の誉め言葉となります。
見開きの左側が写真や図面、文字は右側だけなので、さらりと読めるかと思いきや、これがものすごく読みにくい。シンクタンク勤務の私は小難しい文章を読むことに慣れているのですが、これをもってしても難しい。本書をいただいた日の夜に一通り目を通しましたが、まったくもって、頭に入ってこない。
理由はカタカナ言葉が多すぎること、そして、同じ用語が多義的に使われていること。
とりあえず、一晩寝てみることにしました。
ざわざわする
翌朝、なんだかこの本が気になる。
ざわざわする。
その理由を求めて、二度読みすることにしました。しかも、気になるフレーズの抜き書きをしながら。博士論文を書いた時以来の熟読っぷりです。
こうして整理した"ざわざわする理由”を通じて、本書をご紹介しようと思います。
何のために誰のために建てるのか
「はじめに」から、挑戦的なもの言いで秋吉さんの物語はスタートします。
そうだろうとは薄々感づいていましたが、やはり施主のために建築をつくろうと思っていないと、宣言されてしまいました。
そして彼の建築の目的は「次世代への贈与」であると言います。
「次世代への贈与」。一体何であれば、次世代への贈り物にふさわしいのでしょう?
読み進めると、今の社会の問題を「行き過ぎた資本主義経済と格差社会」であるとした上で、その原点が「余剰の誕生とそれに伴う分業化」にあると指摘しています。これを解消する未来社会は「ポスト資本主義」。
すなわち「ポスト資本主義」に貢献する建築が「次世代への贈与」になるのだろうと読み解きました。
「ポスト資本主義」といっても、かなり抽象的。秋吉さんはこんな表現で望ましい未来社会の一断面を語っています。
建築が建つまで、さらには建った後も、豊かさや愉しさを周囲の人々と共有できる仕組みを内包した建築。これが秋吉さんが言う「次世代への贈与」としての建築なのではないかと考えました。
振り返って熱海Case Study House Project。
土地の取得、森の整備、そしてこれからはじまる建築。今そこにある技術・アイデアを実装した現代のCase Study Houseを目指し、カーボンニュートラルを実現したいとか、社会貢献っぽいことも言ったりしています。
私たちも、周囲のみなさんの力を借りて取り組んでいます。でも、豊かさや愉しさをご提供しようという高邁な志で動いているわけではありません。単に困っているから相談しているに近い。
一方で、豊かさや愉しさがなければ、みなさん力を貸してくださらない。志がこんなに美しいものではないけれど、結果論としてコンセプトに近い建築をつくろうとしているのかもしれません。
だから趣旨に共感できる。“ざわざわした理由”の1つはこれかな。
アーキテクトとメタアーキテクト
秋吉さんは、既存の建築家像を「強く・固く・大きな建築家」とし、その在り方に疑問を呈します。
設計料(建築費の総額の10%)になぞらえて、既存の建築には10%の影響力しかないと喝破。この限界を超えるためには、既存の建築の枠をはみ出し、ソーシャル、クラフト、デジタル、ビジネスを学ぶ必要があるとしました。
ご自身でも、修士課程では建築学科ではないところに進学。請負を中心とする設計事務所の開設ではなく、スタートアップとして起業し、境界を超えるを実践。目指す建築家像は「弱く・やわらかく・小さな建築家」。
枠をはみ出していくにあたり、これからの建築にまつわる職能を2つに分解して説明しています。
「建築をつくる方法を模索する人」
=アーキテクト「建築に参加する方法を考える人」
=メタアーキテクト
都市計画を学んだ身としては、「建築に参加する方法を考える人」は都市計画家だと脊髄反射で思うのです。街をつくるプロデューサー的役割を担う人。これぞ、若かりし私たち夫婦がそれぞれの職場で目指した姿。
実際には、日本でこの役割を担い、食べていける可能性がある人は、自治体の職員、大学の先生、地元の大地主さんだけでしょう。民間企業で働く私たち夫婦はせいぜい、大規模開発の計画をするとか、街の一部で事業を行うくらい。本当にやりたいことをやると食えないなと断念、軌道修正して今に至ります。
秋吉さんは別の章で、メタアーキテクトを「日本型大工を現代にアップデートした概念」とも言っています。これは彼が言う「弱く・やわらかく・小さな建築家」を起点とした発想。Windows95時代に社会にでた若かりし私たち夫婦は、発想が「強く・固く・大きな」だったのかもしれません。デジタルが仕事を変えた今、"食えるメタアーキテクト"が生まれる土壌がとうとう整ってきたか。
そんな可能性を感じたことが、2つ目の"ざわざわした理由”。私はやはり、まちづくり業界に戻りたいようです。
デザインビルドからビルドデザインへ
ザハ・ハディドといえば、曲線を多用したり、屋根や外壁が特徴的だったり奇抜なデザインで有名な建築家。国際コンペで優勝しても建設されなかったものが多く、"未完の建築家"と言われています。秋吉さんはザハこそ、デザインビルドの典型例と言います。
これに対抗する方法論としてビルドデザインを提示、「建てることを通して設計する方法論」と定義しています。「具体的な部分の作り方から全体の形や機能を構築していく」アプローチ。
実際にVUILDと設計を進めている立場から彼らの仕事ぶりをみると、意匠設計者と技術者・施工者は対等であり、ビルドデザインという方法論を実践しようとする意志を感じます。意匠は彼らが起案したとしても、構造・設備のプロに教えを乞うたり、施工の観点からの意匠の在り方を施工者とともに考えようとしています。
一方で大変申し訳ないのですが、我々夫婦は、秋吉さんは“現代のザハ”なのではと不安に思っていました。なぜなら、魅力的な設計はしてくださったのですが、前に進むことにかなり苦労しているから。ビルドデザインを実現しようと試行錯誤、苦戦中ということでしょうか。
なぜVUILDを設計者として選んだのか。いまだクリアにその解をみつけられずにいます。本書を読んで、「ビルドデザイン」という方法論に1つの解があるのかもしれないと感じました。秋吉さんがガウディの統合性に憧れたように、科学・工学・美学を統合し、かつコストコントロール可能な建築をつくりあげる過程にぜひ参加したいと強く願っています。
まとめ
長い長い読書感想文を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。「メタアーキテクト-次世代のための建築」はものすごく読みにくい本ですが、読んだ人それぞれのビューからのものの見方に補助線を与えてくれるように思います。
そして、新しい組織形態としてのVUILDの社員さんや巻き込まれる周囲の方に対する求心力として、VUILD物語である本書が有効に機能することを祈ります。
次書では、より多くの人に秋吉さんの物語が伝わるよう、カタカナ語が少ないといいですね。建築の民主化を目指すのですから、理解者は多い方がよいと思います。