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『東大生の論理』(高橋昌一郎、ちくま新書)
概要
本書は、筆者が東大で論理学の講義を担当した時の内容について書かれたものである。授業の本筋というよりかは、授業の導入やそこでのディスカッションについて扱ったものといえる。
授業での学生の反応から、東大生に共通するであろう「東大生の論理」を導きだす。各章につき1つの論理が示され、それが最終的には10個にまとめられることになる。
最後に、学生の側から見た筆者の講義はどうだったか、ということが示される。授業評価アンケートの結果であったり、筆者が見つけた?受講者と思しき人のブログの内容を示したり。
東大生はブロガーが多い?
本書で取り上げられている講義は、受講者が200名以下である。そして、筆者が見つけた受講者らしき人が書いていたブログが2件示されていた。割合としては100人に1人以上の人がブログを書いていることになる。これは結構高い水準なのではないかと思う。
東大生に限らないことではあるかもしれないが、ハイレベルとされる大学には、自分の考えていることややっていることなどを、自分の文章で表現することが得意な人というのが大勢いるということなのかもしれない。かくいう私は、文章を書く練習としてnoteに投稿しているわけだが。
受講者のなかで、たまたまブログを書いている人が多かっただけという可能性も考えられることではあるが。
論理・理屈は万能ではない
ここまで論理とは無関係な話を書いてきたので、論理についても少し書いておきたい。
たとえば恋愛。どのような行動をとるべきか、その答えを論理は教えてくれない。では、論理は何を教えてくれるのか。それは、取り得る選択肢はいくつあって、どのようなものがあるか、ということである。つまり、論理はあらゆる可能性を提示することができるということだろう。その中から、一つの結論を決めるのは人間である。その結論は、あらゆる可能性のなかの案の一つであるから、倫理的におかしいものである可能性もある。それも選択肢の一つではあったということだ。
論理は「正しい」結論を教えてはくれないが、論理的に考えていくことによって、これまで考え付かなかったり、別の可能性の影に隠れていたりしていたような選択肢を見出すことができるようになるのである。
論理は万能ではない。しかし、人間だれもが持っている主観を取り払うことができる点が、論理の強みなのだろう。
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