あり得べき歴史の事実として許容できるものならとにかく、何の根拠もないものの上に立って私たちは勝手な想像をしたり、史実を変えて叙述したりすることは許されない
色川大吉『歴史の方法』岩波書店、1992年。
他研究室の廃棄図書として並べられているのを見つけて手に取った本である。ある先生に聞いたところ、「良い本」ということだったので、手に取ることにした。
色川大吉の名は、歴史学を齧ったことがある人間なら、大抵知っているのではないかと思う。私も知っていた人物だが、具体的にどういうことをした人物で、どのような業績・著作があるのかは記憶の彼方に行っていた。
さて、本書の内容に入っていこう。
私が興味を持ったのは、歴史家と歴史小説家の相違点についてである。色川によれば、両者の違いは史料を尊重するか否か、つまり史料収集に対する姿勢の違いにある。
歴史小説家は史料から主人公となる人物を見出し、その人物を主人公として描き出す。それに対して歴史家は、特定の個人よりもある集団など、大きなものを重視する。より客観的なものを見出せると期待するからである。
しかし、色川は両者が水と油の関係と述べているわけではない。
厳密な歴史叙述と厳密な歴史小説は近接するという。それは両者は似たような認識を持つに至るからである。ただ、それは容易なことではない。同じ理念を共有するに至ることができる人物はごく一部であるという。
本書の出版から時間が経った現在では、歴史家が歴史小説家と理念を共有することは、非常に難しくなっているのではないかと思う。歴史小説家を標榜する側には、「これが歴史の真実だ」という主張を展開している方もいる。このような状況では、史料を丁寧に読み込んで、歴史叙述をしていくというのは困難であるだろう。
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