見出し画像

もうなにも怖くないっ٩(ˊᗜˋ*)و✨✨✨(後編)だってもうひとりぼっちじゃないもの

初めまして✨お久しぶりです✨こんにちは🎵こんばんは🎵

『講演家のひでと申します!』

Twitterアカウントはこちら
ひで@楽話スクール第二期生 (@asuto0529)https://twitter.com/asuto0529

前編のNoteはこちら

年間の自殺者数およそ2~3万人

それだけの人が自分で死んでいっている。
・・・でもなんとなくは知っていた。
毎朝の通勤時間に人身事故で止まる電車。
ニュースでは大物芸能人が・・・。
そしていじめを苦に死んでいく学生。
そんなニュースが巷には溢れている。
でも・・・そこに目を向けずに過ごしていた日々。
すぐそこにあったのに見てみぬ振りをしていたこと・・・

それは・・・・・

姉は重度のパニック障害+統合欠乏症にかかっていて障害者認定されていたそうです。
もちろん障害者手帳も持っていて、そのため仕事が出来ず、生活保護で暮らしたそうです。

ただ、昔から仕事が大好きだった姉は今の現状にとても不満を持っていたそうです。
『ずっと仕事したい仕事したい』
『こんな人様のお金でなんて暮らしていきたくない』
『生活保護が嫌だ!』
と常々言っていたそうです。

姉がパニック障害を患っているのは知っていましたが、障害者手帳まで持っていたとは知りませんでした。
とも疎遠になってた自分はこの事をあとから知ることになります。
パニック障害はいつ発症するか分からないため、おもに人混みに行くことが出来なくなります。
バスや電車にも乗れず、そのため仕事をするのが困難になってきます。
だから基本的には外出を控えて家に居ることが多くなってきます。
そんなの唯一の楽しみは・・・
パチスロだったそうです!人混みはダメだ!!!と周りのみんなが言うのに

お金に少し余裕があるとパチスロに行って勝った負けたを繰り返し楽しんでたそうです。
11月に沖ドキ一撃15000枚出て、そんなに出したことないはかなりビビっていたそうです!
超ドキに入りずっと出っぱなしで見物客も大勢出来、恥ずかしかったそうです。

いざ換金するときにそんな大金持ったことがないとビビりまくり、ボディーガードとして、一番上の兄貴を呼び出して、『私は自転車で帰るから、その大金の入った財布は車で家まで運んで!!じゃないと盗まれるから!襲われちゃうから!!!!!』と((( ;゚Д゚)))ガクブルしてたそうです!

とてもとても可愛らしい姉です。

その勝ったお金で、家族にご馳走したり、なくて困ってたものや必要なものをたくさん買ってくれたそうです。

もしも姉の事を当時、知っていたら・・・
仕事したいと嘆いてた姉、それでも仕事できずに我慢してた姉、でもパチ屋だけはなぜか大丈夫だった姉・・・・・
俺ならその大好きなパチスロを仕事にしてあげられたのに・・・

そんな可愛らしい姉が自殺しました。

第一報は、3年間音信不通だった一番上の兄貴からでした。
『明美(姉)が自殺した、至急電話くれ』
日曜日の夜21時にそのメールが来ました。
それを見て『は!?なんで!?どうして!?』そう思いすぐ電話しました
電話で話すと兄は泣いてました。一言目を聞いた瞬間・・・
『ああ・・・ほんとなんだな・・・』と思いました。

自殺した遺体はまず警察署に送られます。
そこで事件性がないか調べられて、もしも事件性があれば司法解剖に回されます。
明美(姉)は・・・・・首吊り自殺でした。
兄『遺体はまだ警察署にあって今日はなにも出来ることはなくて、明日以降司法解剖するか決まって、もしも解剖しなかったら家に連れて帰ってくることが出来る。だから明日ばーさん(母親)の家に来てくれるか?』
俺『ああ、わかったよ・・・ばーさんはどうしてる?』
兄『今、家に居るよ』
俺『一人で?』
兄『そう、第一発見者が、ばーさんだったから色々堪えてたよ。』
俺『そうかわかった。ばーさんに電話してみるよ。』

そこで兄との電話は終わりました。

すぐさまばーさん(母親)に電話しました。
プルルルル、プルルルル・・・ガチャ
ばーさん『ひでゆき?・・・明美が死んじゃったよー』

第一声から泣きじゃくっていたのが分かりました。

ばーさん『いつも朝の8時に明美から電話が来るはずなのに、今日はなかったの。変だなーって思って明美が住んでるアパートにいったら・・・
ドアを開けた瞬間、ありえないところにありえないものがぶら下がっているのが見えた、すぐ分かった。あれは明美だと。なにやってんのあけみー!!って叫んだの・・でもね・・・・もう冷たかったの・・・』

そう言って泣いてました。
姉の住んでいた所は1Kのロフト付きのアパートでした。
玄関開けたら部屋まで一直線の廊下で、その廊下と部屋の境目のロフトの柱にスカーフを引っ掛けてぶら下がっていたそうです。
ばーさん『でもね・・・首吊り遺体ってとっても汚いっていうじゃん・・・
明美は違かったよ・・・とても綺麗な顔をしてた。』

首を吊ると酸素がなくなり、苦しくてどうにかしようともがき苦しんで、首に引っかき傷や、酸素を取り込もうと口を大きく開けるから舌が飛び出てきたり、あまりの苦しみからおしっこを垂れ流したり・・・・・
でも明美は違いました。
これは後から分かったことですが、明美は首を吊った瞬間自分の体重を首が支えきれなくて、首の骨が折れてしまいました。
明美は今年50歳、体が弱ってきていました、だからこそ苦しむことなく逝ってしまったんです。
ばーさん『でも、今遺体は警察署にあって、家に連れて帰ってきてあげることができなかったの・・・でも明日は帰ってくるとおもうの。
だから明日こっちに来てくれる??』
俺『ああ、分かったよ、明日そっちに行くよ。・・・でも大丈夫か?今一人なんだろ?』
ばーさん『犬がいるから大丈夫。』

そう強がっている母親を心配しつつもその日は電話を切りました。

その日は日曜日

自分の仕事は月曜~金曜まで、姉の出来事は日曜に起こりました。
姉のことを考えつつも、次の日仕事だと思ってその日は早めに布団に就きました。
でも当然寝ることなんて出来やしない。
頭の中は『なんで?どうして??俺に出来ることはなにかなかったのか???』
そんな思いでぐるぐるぐるぐる
寝ることなんで出来るわけがない。

当時、寝る前にしたツイートです。
この文面には後悔しかありませんでした。

そこで自分の取った行動は・・・

『エンプティチェア』

といっても難しいとおもうので自分なりに要約させてもらいます。

エンプティチェアとは
人は自分の都合のいいことしか言わない。
だからこそ相手の立場になって物事を考えると相手に取って都合のいい事を考え始める。
そこで椅子を置いて、一人二役で物事を進めていくと、自分の都合だけでなく、相手の都合を考えてあげることができ、人間関係などの相手の気持ちを理解してあげることの出来る手法の一種。

人の考える悩みのほとんどは、人に対する悩みである。
人にどう思われるか?これを相手に伝えると傷つけてしまうのではないか?
これを言ってしまうと相手に嫌われるから言えない・・・など
もしも自分ひとりであれば悩みなんて発生しない。
だってそこには自分しかないから。

それを自分の言い分だけでなく、相手に立場に立って100%相手の気持ちになり解決する方法が『エンプティチェア』である。

自分はこれを楽話スクール(コミュニケーション+心理学の妖しい学校)で学んでから、脳内でするようにしていました。
(ほんとうはイスを置いて一人二役で声に出したほうが効果的

俺『なぁ明美・・・なんで首なんて吊っちゃったの?』


、(でもやはりどんだけ考えても分からなかった。)


明美『わかんない・・・・・でもね・・・私も色々と辛いことがあったんだよ・・・』





俺『そっか・・・じゃぁさ!なんか心残りとかないの??』





明美『んー・・・心残りかぁ~・・・ひとつだけある!』





俺『なにが心残りなの??』





明美『ばーさんをひとり残してしまったこと・・・・・
だからひでゆき・・・・・ばーさんのことよろしく頼むな』

そこで自分の
『エンプティチェア』は終わりました。

今でもこの時の事を考えると
涙が溢れて止まらない。

母と娘はとても強い絆で結ばれている

母親と娘ってとても仲がよくないですか?
普段冗談言い合ってて、はたからみると喧嘩でもしてんのか!?ってくらいに率直にものを言い合う。
だからこそ互いに信頼しあってるし、互いに助け合っている。

だからこそ姉にとって一番気がかりで在ろう事柄は母のことだと自分は思いました。

布団からの脱出

その日は、日曜日。時間は24時。次の日から金曜まで仕事だ。
そうさっきまで思っていたのに、『エンプティチェア』をして
気付いたら母の家に向かっていました。
俺『今、俺にとって一番大切なもの。それは家族』
『傷つけられ、傷つけあい、そして傷つけた家族』
『仕事が何だ、俺に取ってもっとも大切なのは
そんなもんじゃない』
『ずっと家族をひとつにまとめ上げたくて
奮闘してた姉』
『その遺言ともいえる
『ばーさんのことよろしく頼むな』
それを叶えるために』

実家に着くと深夜1時
でもやはり実家の電気は付いたままで母は起きていました。
あっ!ちなみに実家は玄関のドアが壊れているので開けっ放しです。
親子揃って危機管理能力が乏しいです←

その日から一週間ほとんど母の側に居ました。

ただ問題点がひとつ!トイレが今のご時勢の中、汲み取り式のどっぽん便所!なのは100歩譲っても・・・・お風呂がカチッ・・シュボッ!!
な五右衛門風呂なのがどうにも合わず(もちろん昔はこれが当たり前だった)

お風呂だけは自分の家に帰って入ってました←

空白の15年

母の家に居て一番実感したのがこの空白の15年でした。
話してくれる内容がすべて分からない!だからこそ新鮮味があり、母子一体感ではなく、離別感をもって母と接することが出来ました。

母子一体感とは?

甘えや依存の心理の事です。
母と子の一体感
子供が小さい頃はこの母子一体感がないと子供が生きていけないためとても大事になります。
ただ、大人になってもこの母子一体感を持ったままでいると、とてもややこしいことになります。

親はこうしてくれるもんだ。
子はこういうもんだ。

なんで私の言うことを聞いてくれないの?
なんで親って口うるさいの?うざいんだけど?

前編でお話した、母にお金をぶん投げた話。
自分はあれで母に自分の気持ちが伝わるだろうと思ってました。
でもそれは母子一体感
母なら言葉を言わなくても自分のことを分かってくれているだろう。
そんな思いで言葉を発していました。
『てめぇよ!毎回毎回人の顔みりゃ金かね金かねいいやがって!!』
『たまにはよっ!!!』
『シチュー作ったから食べにおいでとか言えねぇのか!!!!!』


さて・・・この事を母子一体感なしで語ると・・・

『毎回顔を合わせる度にお金を貸してくれと言われると俺もあまり言い気分はしないんだ。』
『だからたまには母さんの得意なクリームシチューを作ったから食べに来てとか普通の親子の会話をしたい。』

これが離別感。

自分と相手は考え方が違う。ということ。
近しい人こそ距離感が近くなってしまい、このくらい察してくれるだろう。
言わなくても分かってくれるだろう。
伝わっているだろう。
でもそれは、はっきり言って伝わっていないです。
それは、相手に伝える言葉が足りないから。
近くなればなるほど分かってくれるだろうという思いが強くなりコミュニケーションが希薄になります。
その結果、伝えたいことが捻じ曲がって伝わり、逆になんで分かってくれないんだ!!!という思いが強くなります。
これは親子に限ったことではなく、恋人夫婦兄弟友達親友家族など、人と人とが接したときに起こりうる問題です。

大切な人に伝えるときに母子一体感ではなく離別感をもって伝える。

そうすることにより、相手にしっかりと自分の考えや思っていることを伝えることが出来、互いが互いを尊重できるようになります。
『親しき仲にも離別感あり』

聴く力を初めて家族に使う


今まで自分が生きる為に‘‘聴く‘‘ということをしてきました。
だからこそ家族と居るときはわがままになって聴くことをしてこなかった。
その‘‘聴く‘‘という力を初めて母に使いました。
そこで聞いたのが親父との馴れ初め・・・
自分は親父のことを母に暴力を振るう最低な奴!そう思っていました。
だから親父が病気で亡くなったときも、葬式にさえ顔を出しませんでした。
だけど母は違う思いを抱いていたみたいで、『お父さんと私に本当に愛されてひでゆきは産まれてきたんだよ・・・・・今でもお父さんに会いたいよ』
そう泣きながら言ってくれました。今でも父を愛していると・・・
35歳にして始めて知った事実。
俺は愛されて産まれて来た子供なんだ。
俺は何のために産まれたんだろうと悩んだ時期もあった。
俺は要らない子なんじゃないかと悩んだ時期もあった。
俺は必要とされてないと本気で思い幼少期に包丁を持ち出し悩んだ時期もあった。
それさえもたったひとつ・・・・
聴くことにより解決された。

姉の事

母と色々話していると、とうとうの話を少しずつですが、話してくれるようになりました。

重度のパニック障害で統合欠乏症も持っていて、障害者手帳を持ち、生活保護を受けていた。

生活保護を受ける前は母と一緒に暮らしていましたが、ストレスが少しでもかかると発作が出て家の中で我を忘れたように暴れだしたそうです。

そんな生活を続けていくと、母の負担が大きくなり、そして、母の収入だけでは暮らせなくなり、やがて姉が一人暮らしを始めたようです。
・・・生活保護を受けるために。

でも、発作が出ていないときは普段の姉と変わらないらしく、ずっと仕事をしてるのが好きだったからか『仕事がしたい仕事がしたい、こんな人様のお金で生活してるのが惨めで悔しくて情けない』と、言っていた。

パニック障害や、統合欠乏症にかかると、いつ発作が出るか分からないため、人ごみなどには行くことが出来ません。
薬である程度は抑え込めるようですが100%ではない。
そのため仕事はおろか、バスや電車などの人が密集してるところに行くことが出来なくなります。
それでもパチ屋にだけは通っていた姉・・・

そんな姉が首吊り自殺

第一発見者は母。
母の元で話を聴いているとこのことを何度も言います。
母は今年73歳、腰も少し曲がりつつある。身長は150㌢あるかないか
『いつも朝の8時に明美から電話が来るはずなのに、今日はなかったの。変だなーって思って明美が住んでるアパートにいったら・・・
ドアを開けた瞬間、ありえないところにありえないものがぶら下がっているのが見えた、すぐ分かった。あれは明美だと。なにやってんのあけみー!!
って叫んだの・・でもね・・・・もう冷たかったの・・・』


姉の住んでいた所は1Kのロフト付きのアパート。
玄関開けたら部屋まで一直線の廊下で、その廊下と部屋の境目のロフトの柱にスカーフを引っ掛けてぶら下がっている姉を見た母はどうしてもおろして上げたかったそうです。

でも体の小さい母にはどうすることも出来なかった。

だから警察や救急車が来るまでの約30分の間じっと明美を見ていたそうです。
この話を何度も何度も・・・・
その時の光景がまぶたに焼き付いて離れないそうです。

後悔

次第に姉の死を実感してくる母を見てて思ったことです。自分も正直、姉になにか出来なかったのか?助けてあげることは出来なかったのか?
と後悔ばかりしていました。
母や兄貴・・・そして姉の長男を見てて強くそう思っていました。
でも・・・後悔からはなにも生まれない
その後悔から得た気付きを、未来に繋げないと姉の死がまったく意味のないものになってしまう。そう思うようになってきました。
それは・・・楽話スクールで学んでいたから
そしてその事を強く実感していたから・・・

姉の死をなかったことにしてはいけない。

自殺はとても残酷です。誰かのせいにしたくても責める相手がいないから。
そして最後には自分を責め始める。
だけど後悔からは何も産まれない。

自責の念にかられる家族を見てて自分はこの事を強く思い始めました。

みなさんは今まで後悔する出来事はありませんか?
その後悔する出来事を思い出したとき、つらい、悲しい、思い出したくない。話したくない。隠したい。そう思うと思います。
でも。。。はっきり言ってその行動に生産性はありますか?
過去の辛い体験を思い出したくがないためになかったことのように扱う。
でも・・・その過去の体験があったからこそ今の自分がいますよね?
過去の体験は変えることが出来ない。
それはもう起こってしまったことだから。
でも受け取り方はいくらでも変える事が出来る。

前編でお話させてもらったように自分はトイレに閉じ込められました。
自分はあの出来事をずっとこう思っていました。
・・・・・おばさんに閉じ込められた・・・と・・・
ずっとあの押しても引いてもなにか重いもので塞がれているようなそんな感覚の扉の向こうにはおばさんが鬼の形相をして抑え込んでた。
と、ずっと自分は思っていました。
このことは今までの人生でずっと辛い体験だと思っていてひとに話すこともしたことありませんでした。話したくない、隠したい過去だったから。

だけどこのことを考えるのは意味のないことなんです。
だってもう確認しようがないことだし、そんなことよりも、この出来事があったからこそ自分には”聴く”という力が身につきました。

聴く力があるからこそ、その後の人生を送れました。
聴く力があるからこそ、楽話スクールで学び仲間が出来ました。
聴く力があるからこそ、いま母の言葉を聴くことができています。

つまり過去のトイレでの体験があるからこそ、いまの自分が作られている。

そう考えるとその過去のトイレでの出来事ってプラスになりませんか???

この物事の考え方、捉え方を変える手法を
心理学でABC理論と言います。

起こってしまった出来事(A)を変えることは出来ない。
でもその出来事に対する、考え方捉え方思い込み受け取りかた(B)自由に変える事が出来る。
それによって産まれる感情(C)は異なる。

自分はトイレでの出来事を
(A)トイレから出られなかった。

(B)おばさんに閉じ込められた、辛い体験として捉えてました。

(C)だから感情が辛い、悲しい、人に話したくない隠したい過去になっていました。(マイナスな感情)

でも、ABC理論(B)の部分の受け取りを変えてみると・・・

トイレでの出来事
(A)トイレから出られなかった。

(B)でもその時の出来事のおかげで聴く力が身に付き助けてくれた

(C)てことは自分にとってなくてはならない出来事、(プラスな感情)

いかがでしょうか?

あなたの過去の出来事(起こってしまった事実)は変えることが出来ません。
だけどそれにより産まれた考え方や、捉え方思い込み受け取りかたでいくらでも変えることが出来る。
てことはその出来事に対する感情はいくらでも自由が効くということ。
マイナスに捉えることも出来るし、プラスにも捉えることが出来る。

実際にその出来事が起こった時は辛い悲しい隠したい過去と捉えたとしても、ある程度時間が経ち、その出来事を真摯に捉え、考えてみるといくらでも変えることが出来ます。

さて・・・ここで自分の人生最大の出来事を考えてみます。

(A)姉の自殺

(B)
姉に自分はなにもしてあげられなかった。
”聴く”力があったにも関わらず、それを使ってあげることができなかった。
仕事したくても出来なかった姉、でもパチスロだけは出来て・・・俺ならその大好きなパチスロを仕事にして上げることができた。
昔から世話になりっぱなしで、いつも俺に笑顔をくれて笑わせてくれて、歳が14歳離れてて、種違いで、なにかあるとすぐ頼り、家族思いで、悩みなんてこれっぽっちも感じさせない姉。
亡くなる少し前にLINEでばばあ(母)に会ってくれと頼んでくれた姉。
だからこそ母に会いに行く勇気を貰ったし、母に会いに行くことも出来た。
でも・・・その姉のメッセージを既読スルーして亡くなってから返信した自分・・・
姉とすぐに向き合おうとせず後回しにしてしまった自分・・・
姉のことを知ろうともしていなかった自分・・・

(C)辛い悲しい憤り怒り無念後悔自責の念

いかがでしょうか?
自殺はとても残酷です。誰かのせいにしたくても責める相手がいないから。
そして最後には自分を責め始める。
だけど後悔からは何も産まれない。

この捉え方では前に進めませんよね?
ですが大多数の人がこの捉え方をすると思います。
その人になにかしてあげたかった・・・
でも何もしてあげることができなかった・・・
思うことは後悔ばかり、助けてあげたくてもなにもしてあげられなかった自分。予兆は必ずあったはずなのに察してあげられなかった自分。

さて!!・・・捉え方を変えますね!!!

(A)姉の自殺

(B)姉に自分はなにもしてあげられなかった。
↑ だからこそ取り残された家族に、いま自分が出来ることはなんなのか?

”聴く”力があったにも関わらず、それを使ってあげることができなかった。
↑ 姉には出来なかった。けど残された家族にはいくらでも”聴く”力を使える。

仕事したくても出来なかった姉、でもパチスロだけは出来て・・・俺ならその大好きなパチスロを仕事にして上げることができた。
↑ 同じように仕事したくても出来ない人は世の中にたくさんいる、その人達に今、自分の出来ることはなにかないか?姉と同じような境遇の方になにかを届けてあることはできないだろうか?

昔から世話になりっぱなしで、いつも俺に笑顔をくれて笑わせてくれて、歳が14歳離れてて、種違いで、なにかあるとすぐ頼り、家族思いで、悩みなんてこれっぽっちも感じさせない姉。
↑ 姉の守りたかったものは・・・家族。常に自分を犠牲にしてまで守りたかった家族を、守れなくなってしまった姉。その気持ちを汲んであげるには俺が家族と向き合うことで、守ることが出来るかもしれない。

亡くなる少し前にLINEでばばあ(母)に会ってくれと頼んでくれた姉。
だからこそ母に会いに行く勇気を貰ったし、母に会いに行くことも出来た。
でも・・・その姉のメッセージを既読スルーして亡くなってから返信した自分・・・
↑ 『エンプティチェア』をして姉の遺言ともいえるこの事。

姉とすぐに向き合おうとせず後回しにしてしまった自分・・・
姉のことを知ろうともしていなかった自分・・・
↑ 姉にはなにもしてあげることは出来なかったかもしれない・・・
でも残された、母にはどんなことでも出来るよね?

だって・・・

母はまだ生きているんだから

(C)この受け取りかたをすると感情はプラスになりますよね?
悲しいわけではなく、辛いわけでもなく、憤りを感じているわけでもなく、残された人に今の自分が出来ること。

その答えが母の側に居て”聴く”ということ

母親と娘

母親と娘ってとても仲が良いですよね??
普段冗談ばっか言い合っていると思ったら、ときには見てるほうが心配するほど思っていることをなんも包み隠さず言い合って喧嘩する。
そして気付いたらケロッと仲直りしている。
母に取って娘であり、喧嘩仲間であり、一番の理解者であった姉が・・・・居なくなりました。

その喪失感はとてもはんぱじゃなく大きなものだったと思います。
そして母の一番の後悔。
そんな姉のことを分かってあげられなかった。
そんな姉のことを理解してあげられなかった。
そんな姉のことを・・・助けてあげることが出来なかった。

ぶら下がっている姉を降ろしたくても降ろせず約30分近く、ずっと側で見つめていたそうです。
自分の愛する娘が、目の前でぶら下がっていて、どうにかしてあげたくても何も出来なくて、ただただ見つめて声をかけて上げることしか出来ない状況。
そんな状況に置かれた母の心はとても傷付いていると思います。
人前では気丈に振る舞い、でもふとしたときに出る素の母、それは見て分かるほど憔悴してました。
だからこそ自分は、母の側にいて聴いてあげることが、今自分に出来ることだと思い実家に通っています。だから稼働時間も激減しています。

今まで姉が母の話し相手でした。姉自身も息子や娘と疎遠になっていて寂しい思いをしていました。母も俺と疎遠になっていました。
だからこそ互いに励ましあい、バカのことをいいつつ、お互いに尊重しあっていました。その片われが急に居なくなる喪失感。
それを埋めるために自分と亡くなった姉の長男と出来るだけ絶え間なく実家に通っています。
母が一人にならないように。
すこしでも母の心を癒せるように・・・
そして・・・母が・・・姉の後を追わないように・・・・・

自分の人生をかけて得た
”聴く”ことを使って。

もしもこのNoteを見てくれたみなさんの中に


・辛い体験
・人に話したくない過去
・隠したい過去
・思い出したくない過去
・消し去りたい過去
があって、でもその過去に囚われてしまっているようなことがあれば、このABC理論を使って、少し考えてみてください。
そしてその思い出したくもない辛い体験から目を背けずに向き合ってみてください。

大丈夫。

あなたならきっと受け取りをかえて乗り越えられると思います。
俺がそうだったように・・・
時間が解決してくれたんではない。
受け取りを変えたからこそ、人の力を借りつつ、もがき苦しみながら、ひとつひとつ乗り越えて行けました。

過去の何かに囚われてしまっている人達にこんな方法もあるんだよ。
と知ってもらいたくて自分はこのNoteを書きました。
初めて書いた文章なので読みにくかったと思いますが、全て読んでくださりありがとうございます。
このNoteが少しでも多くの人達に届くように願っています。
それにはみなさんの協力が必要です。
いいなと思えば”いいね”や”拡散”や”コメント”をよろしくお願いします!

以上!
『癒しの講演家ひで』でした٩(ˊᗜˋ*)و✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?