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長女の呼び名

先日、2年間の夢が叶いました。
長女と学校帰りの制服姿で
スーパーに行って一緒に買い物をする夢。

私が食料品を選びつつ、カートを押していて、
「晩ご飯、何?」
「何がいい?」
「肉食べたい。」
「じゃあ、野菜炒めは?」
「唐揚げがいい。」
「揚げ物面倒くさいなー。」
「じゃあ、惣菜でいいよ。」
「ありがとう、助かるー♥」
「見てくるー。」

持って帰ってきたのはティラミス。
「頑張ってるから、いいの。」
「・・・まあ、いいけど。唐揚げは?」
「あ!苦笑」
もう一度離れる。

もう泣きそうでした。
なんで?泣きそうなの?
それが夢?と思われるでしょう。

今までは一人で買い物して、
喜びそうなものを何か買って帰っても、
ちらっと見るだけで
食べてくれなかった日々。
これじゃなかったか…と思いつつ、
辛かったな。

その頃、子どもさんと制服姿で並んで、
買い物をしている様子を見ると
強烈に羨ましかった。
私にもいつかそんな日が来るのか。
この子が笑って、制服を着た高校生になれるのか。
想像できなかった。
嬉しくて、嬉しくて、
いつもまでも浸っていたい時間でした。
ああ、やっとここまで来た と思えました。
優しくて、穏やかで幸せな光景。
これが幸せだと、
この当たり前とも思えるこの日常こそが
幸せだと。
私が忘れてしまいませんように。
ちゃんと覚えていられる自分でいますように。

そんなことを思いました。



今の長女を表現するなら、
何と呼ぶのがいいのだろう?

とにかく家から出ることが
できなかったときは
「引きこもり」?「こもり人」?
買い物は行けるけど、
学校には行けないときは「不登校」の子?
じゃあ、今は?

学校に行けるようになるまでの練習中の人?
高校生になって間もない人?
中学校まで不登校の人?

不登校から復活、
というと不登校をマイナスなイメージ。
そんなイメージは持ちたくない。
元不登校と呼べるほど時も経っていないし、
これからはどうなるか分からない。

新生活を不安ながら頑張っている人。
これだろうか?
でも、それなら新しい環境に身を置いている人、
家族が新生活を始めた人ならみんな一緒だなあ。
一緒でいいのかなあ。

トンネルを抜けつつある人。だろうか?
外から引っ張られる力が強すぎれば、
少し休ませてやればいい。
内側から頑張りたい気持ちになれば、
背中を見守ればいい。
口で言うほどたやすくはない。
本人にとってちょうどいい負荷など、
コントロールできなくて。

今私が気をつけていることは、
何か話したそうにしていれば、
時間を取って聞くこと。

聞いてあげるではなく、「聞く」

聞いてあげるになると、
とたんに余裕がなくなり、結論を急いでしまう。

「今日ね、
友達に話しかけた方がいいのかな?と
思ったけど、
後でしんどくなりそうだと思って、
我慢して黙ったよ。
 私頑張った。」
「頑張ったから、何かご褒美買って。」

こんな素直になる長女は
多分生まれて初めてなのかもしれない。

いつも先回りして、
親や他人が何を求めているかが第一優先で、
自分がどうしたいか、
自分を大事にすることが
いつも後回しになっていた長女にとって
自分の心の真ん中に聞いて、
そこに従ってみると言う練習。
やってみたことを言語化して、話す練習。

その後、ぎゅーっと抱きしめる。
今までの突っ張っていた気持ちが緩んで、
こちらもほっとする。

子どもが本当にしんどいときに、
イライラしてひどいことを言ったり、
無かったことにして抑圧したりせず、
その気持ちをそのまま開示できたり、
甘えたりできるのって
もしかしたら、
こちらの余裕の問題なのかもしれない。

暴言を吐いた時に、
「あらあら、思春期の揺れは
大変そうだな?」と思えるか、

「親はお金も出して、
毎日弁当を作ってこんなにしてやっているのに」
と思うのでは、
子どもの余裕も全然変わるんだろうな。

私も思春期の二人の子育てで成長してます。

まとまりのない日記。
きょうはおしまい。

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