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【エッセイ】僕は上手く言葉を使いこなすことができない

僕は上手く「言葉」を使いこなすことができない。
どうしたら世の小説家やエッセイストのように、自在に言葉を操れるようになるのだろう。
そこそこ長い年月日本語を使ってきたが、一向に乗りこなせる気配がない。
いつまでたっても言葉は難しい。

そもそも、昔から言葉で表現することが苦手だった。

小学生の頃に書いた作文。
大した作法も習わず作文を書けと先生から丸投げされたわけだが、初めて書いたときはそれなりの自信があった。
知らなすぎると謎の自信が出てくるアレだ。

ところが、いざ発表してみるとクラスメイトや先生の反応は他の多くのクラスメイトの発表と同様、とてもとても薄いものだった。
発表後に先生から特別な評価をもらうこともなく、僕の文章が平凡な、あるいは凡人以下の文章に過ぎないという現実をつきつけてきた。

やがて、当時ちょっと気になっていた女の子の順番がまわってきた。
どんな事を話すのか、内心ウキウキしながら耳を傾ける。
衝撃を受けた。
彼女は内にある言葉を、なんのオブラートにも包まず、赤裸々に語る。
気づけば引き込まれていた。

全て聞き終わって感じたのは、むき出しの心情描写に対しての共感羞恥的なものと、自由に表現できる彼女への嫉妬心だった。
幼い自分が文章を書くという事に対して劣等感をいだくようになるには十分な出来事だった。


それから十年以上が経った。
気付けばいつの間にか小説家を目指し、物語を書くようになっていた。
今となっては動機を思い出すことはできないが、何か発散したいものがあったように思う。
文章に対する劣等感は残ったままだった。

完結させて応募した作品は全部で10作くらい。
僕にしてはそれなりに頑張った。
とは言っても、焦って短期間で作った作品は今読んでみると、どこに面白みがあるのかわからないような物語だ。

一次、二次選考で落ちるような駄文を制作しては出版社の新人賞に送り、箸にも棒にも引っかからないという事を繰り返していた。
やがてタイムリミットはやってくる。
大学4年。僕は大局に飲まれるように大人しく就活を始め、運よく拾ってくれる会社を見つけることができた。

社会人になってからは細かいミスやら上司との衝突やら紆余曲折がありながらも、なんとか上手く荒波に乗ることができた。
時間をかけて上司から信頼してもらえるようになり、僕自身はボチボチだったが後輩も良い感じ育ってきた。

そしてプライベートでは諦め悪く、まだ物語を書いていた。
社会人になって2作目の作品はそれなりの自信があった。
もしこれで1次選考にも通過できないのであればもう書くのはやめよう。
筆を折る覚悟で投稿をした。

1次選考通過者の発表日、そこには僕の名前がのっていた。
最終的な結果は二次選考落ちだったが
「あと少しで3次選考に出してたよ~」
という評価をもらい自信をつけ
「次はもっと時間をかけてプロットを練ろう!」
なんて気合を入れなおしたものだった。

しかし会社の部署移動で状況が変わる。
移動先の部署に「無理」な人がいた。
愚痴溜息舌打ち陰口が止まらない通称「モンスター」。
彼が左隣に座って3年。
3年耐えた。
しかし日々蝕まれていった僕は、うつ病と診断されるに至った。

会社は辞めた。


僕は上手く「言葉」を使いこなすことができない。
そこそこ長い年月日本語を使ってきたが、一向に乗りこなせる気配がない。
いつまでたっても言葉は難しい。

でも言葉を紡ぐのは好きだ。
だからこれまで物語を書いてきたし、いま、これを書いている。

うつ病はなにかと邪魔をしてきて、現在、思うように生活ができていない。
映画を見たり、漫画を読んだり、お風呂に入ったり、外出したり、人と会ったり、全てに苦痛を感じる。
なによりも苦しかったのが、文章を読むのも、書くのも以前の比ではないほど苦労するようになったことだった。

社会人2作目の作品以降、1作も書けていない。

まるで人生の谷底にいるように感じる。
深く暗い場所だ。
でもそこに何もないわけではない。ちゃんとこれまで手に入れてきたものは持っている。文章を書くのが好きと言う気持ちはまだ残っている。
多分僕は、文章が書ける限りは大丈夫なんだと思う。

言葉を紡ぐのが好きだから。


言葉をうまく扱える自信はない。
時には人を傷つけることもあるかもしれない。
でもきっと、僕の書く文章が少しでも誰かのチカラになることを信じて、これからも言葉を紡いでいきたい。

また会いましょう。

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