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出稼ぎのコスミン🇷🇴#オランバナシ34

こんにちは、オランダのアスナです。
文章を書くことと人間観察が
すごく好きなので、
#オランダバナシ     で生活の一コマを
書いてみることにしました。    
いつまで続くか分からないけど、
読んでもらえたら嬉しいです。


オランダは人種の坩堝だから、
そのレストランの従業員たちが
多国籍であったことに
なんの違和感も抱かなかった。

あのレストランで働きながら知った、
見たことのない世界は多分一生忘れない。

兎に角、送れ!

このレストランでの仕事を見つける前、
私は時間を持て余していた。

持て余していたというと、
もっと忙しく過ごしたいのに、
それができてなくて不満足。
みたいなイメージになるかな?

不満足とは真逆、

私は時間を持て余している状況に
幸せを感じていた。

日本から持ってきた貯金に安心していたのか、

働くよりも知らない世界を知ることへの
時間が欲しかったのか。
仕事探しの優先順位は高くなかった。

しかし、
世界を知るために
出かけるためにもお金が必要。

身近なところで
小遣い稼ぎができたらいいなと思い、

始めは真面目にIndeedや
在蘭日本人向けの求職サイトなどを
眺める日々だったが、
なんだか全くやる気が起きなかった。 

お金を稼ぐためにもう自由を奪われたくない

という生意気な気持ちが勝っていて
好きな時に働けるところを
職種よりも重視するようになっていた。

そんな時に言語交換サイトで出会った
ユリア(オランダ人)も
大卒後の就職先を見つけるのに手こずっていて
兎に角、幾つもの会社に
履歴書を送りまくっていることを知った。

ユリア、すんごいガツガツやるじゃん!
イケてる!と、思っていたら
求人がないところにも
オランダ人は自分から連絡するのが
普通であることを後々知った。

求人が出ているところだけしか、
空きがないと思っていた石頭の自分が
バカバカしく思えるともに、
オランダ人の積極性とオープルマインドさが
とても魅力的に思えた。

オランダではオランダ人を見習え


そこから私はGoogleマップを開き、
家の近くをズームして、
付近にある大小さまざまな店に
直接メールをしまくった。

Googleマップに登録してある店舗は、
なんとなく信頼がある気がするし、
住所やホームページまでも
地図上に記載されているから、
直接連絡をしたい身にとって、
このマップは最強だった。

ユリアのおかげで
私は恐れ知らずの堂々とした
求職者になることができ、

オランダ人と化した私のもとへ
近くのレストランから
「すぐに店に来て!話そう」と連絡が来た。


そして仕事を得た。

冒頭に戻るが、この店には
オランダ人、ルーマニア人、シリア人、
イタリア人、ポルトガル人、アフガニスタン人、トルコ人…。いろんな国籍のスタッフがいた。


この職場では、色んなストーリーがあるのだが、
今回は出稼ぎのコスミン(仮名)の話を。

コスミンの原動力

当時23歳だったコスミン(男)は
レストランの正規社員のシェフで
柔らかい雰囲気のルーマニア人だった。

インテリアの配置、清掃、食材の搬入など、
細々としたことを担当していた私は
店の外のテラス席で
作業していることも多かった。

テラスにいると休憩時間にシェフたちが
バーから好きなドリンクを取り、
ドリンク片手にスマホをいじったり、
タバコを吸ったり社員同士で喋ったりする。

私はテラス席に座り電話をする
コスミンの話に聞き入っていた。


彼の話す言葉は生まれて初めて聞いた音で
コスミンがどこの国の人なのか
全くわからなかった。

電話をしていた彼に
私が何の言語か探るような気配が
伝わったのか
それがルーマニア語であることを教えてくれた。


テンポが良くてご機嫌なリズミカルな音、
ラテンっぽいなーなんて勝手に思い、
電話を切ると彼はまたみんなと
英語で話し始めた。


コスミンとはあまり話す機会がなかったが、
休憩時間が被ったときに、
「ルーマニアから出稼ぎに来てる」
と教えてくれた。

「ルーマニアの賃金で働いてたら、
将来何もできない」と。

「オランダで稼いだお金は、
家族に送金をして生活を支えている」と。

「兄はもう亡くなってしまったから
自分だけが家族の頼りなんだ」と。

両手両腕全体に複数のタトゥーを入れ、
ダメージジーンズに真っ白なスニーカー、
タバコを吸って煙を出しながら
ため息をついた。

こういう話に対してどう反応したらいいのか
正直分からなかった。

何も知らないのに、大変だねとも言えない。
話を変えるのも、おかしい。

私は自分の気持ちに従って、
静かにうなづいていた。

私がコスミンの年齢だった時を思い出し、
生きることへの勇気と信念が彼とは
比べようにもならない気がして、
自分が小さく感じた。

どうやらこのレストランは、
ルーマニアの若者たちと何らかの方法で
繋がっているらしく、
このレストランのシェフの大半が
ルーマニア人であることをのち知った。

ここでは彼らに職場を提供しているだけでなく、
住居も支援している。
なんだか見えない色々な複雑な世界が
奥底まであるようだった。

あの時の私をもし、
チコちゃんが見ていたら、
ボーッと生きてんじゃねぇよって言ってたかも。

とはいえ、今の私はあの時の私のことを
何も後悔はしていないけれど、
現地で働くってお金以上の学びが
多いことを知りました。

働くってお金だけじゃないね。
海外生活をしている間に
人の生き様から
もっと学びたいと思ったのでした。

何を?人生を。


それでは、最後までお読みいただき
ありがとうございました。
❤️くださるととっても嬉しいです‼️


これからもお楽しみに。

Doei!


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