最高のアイシャドウを使ってうまれた違和感について
私は昨年、とある事件によって、最高峰のアイシャドウ、トム・フォードのアイカラークォードを手に入れた。
・・・のはいいが、人間というもんは怖いもんである。
トムフォードがくい込んできたことにより、贅沢を覚えてしまったのだろうか、
トム・フォードのアイシャドウを使ってる私の眉が、
なぜセザンヌなのだ、と意味不明な違和感を抱くようになったのだ。
大した収入もないくせに、まったく、偉そうなもんである。
こないだまで「眉はCEZANNEで満足♪」なんて本気で思っていたのだから。
それが、ちょっとトムフォードのアイシャドウを手に入れたからって、自分の身勝手さといったらない。
ハッキリ言おう。
トムフォードのアイシャドウが、ずば抜けて良いかと言われたら、使ってる時に実感は全くない。
アイシャドウよりも、店員さんにタッチアップしてもらって即決したアイプライマーの方が正直感動した。腰を抜かしかけた。
だけど、トムフォードのアイシャドウを使って初めてメイクしたとき、夫に「あれ?なんか今日キレイじゃない??」と言われたのだ。
その言葉には完全に同意だった。
メイク中にはあまりピンとこないのに、仕上がりは普段の1.5倍増し。
発色が絶妙で、自然なグラデーションが作れる。そして、瞼を彩る艶めきは、夜、家に帰ってからも健在なのだ。
ずば抜けていいかと聞かれると、使っている間はそれほど実感がないので、仕上がりがなぜそうなるのか、大変不思議である。
なんでもかんでも良いものを使えばいいってもんじゃない。
ましてや、オペラのS席と同価格のアイシャドウですら、使用中に実感が伴わないのだから、尚更だ。
眉毛なんか描ければなんでもいい。
というか、ペンシルに関してはエレガンスのアイブロウスリムが圧倒的にお気に入りである。リピしまくりである。
にも関わらず、切らしてしまった際に凌ぎで購入したセザンヌを未だに使っている。エレガンスのアイブロウスリムがあるにも関わらず。そう、ケチっているのだ。
私は基本的にどんな物もストックは持たない主義だが(キリがないからね)、こういう時、ストック買いしておけば、無駄な買い物をしなくて済むと感じることがある。これはミニマリストのルールには反するのだろうか。
まあそんなこと知ったこっちゃないな、私はミニマリストは名乗ってないからな。なんの話や。
セザンヌのアイブロウペンシルは、悪いことはない。
エレガンスより若干持ちは悪いが、それ以外で不満はない。
何度かリピしてる、アイブロウパウダーも同様である。
良くなかったのは、「これでええか。」「この色が無難か。」とテキトーに選んでしまった自分自身の選択だ。
眉毛アイテムは特にこだわりないしな、ととりあえずセザンヌを選び、色も何選んだらいいかよくわからんから無難なのにしとくか、とこだわりもなく購入してしまった。セザンヌが悪い訳ではない。
結果、なんとなく髪色と合わず、夕方になると消えかかっている眉尻にモヤモヤした気持ちを抱えながら、過ごす日々が続いている。
つい先月、友人のコスメを借りる場面があったんだが、友人のコスメポーチには平成ギャルが愛したKATEのアイブロウパウダーがあった。色味がめちゃくちゃ良くて、「この色いいな…」と呟いたところ、友人は「眉毛といえばKATEやで!✊🏻」と半分ネタだろうが言い切ったのだ。
自分にもそんな時代あったな、と思った。
眉毛なんか描ければなんでもいい。
そういう、雑な選び方をしてしまった自覚があるから、トムフォードの存在で揺らいでしまうのだ。
次、アイブロウやシェーディングを購入するときは、もう少し吟味し、ちゃんと意志を持って選ぼうと思う。
安かろうが高かろうが、どうせ使うなら、愛情を持って使いたいもんな。
そんなことを思いながら、アットコスメを開き、キャンメイクやセザンヌのアイブロウのカラバリを改めて見ている。
KATEちゃうんかい。