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最近読んだ本あれこれ〜熊楠はイギリスで怪談を回想〜  もりたからす

巷で話題の新書によると、人はどうやら働いていると本が読めなくなるらしい。あまりちゃんと働いていないことで日々の読書が捗っている私が糾弾されているようでやや肩身が狭い。水泳をやっていたせいか、人より肩幅が広いので、狭めると窮屈で仕方ない。

以下、最近読んだ本の中から数冊を選び、感想なぞつらつら書いていく。

(1)南方熊楠/鶴見和子/講談社学術文庫

私は水木しげる『猫楠』を読んで以来、南方熊楠が大好きである。しかし日常においてはそのことをつい忘れがちで、ふと彼にまつわる文庫本なぞに出会っては募る思いを再燃させ、早速購入しては「曼荼羅〜粘菌〜」などと唱えつつページをめくることを繰り返している。

熊楠はギリギリ幕末の生まれ。同い年には夏目漱石がおり、そりゃあこんな大天才が複数生まれちゃったら慶喜だって慌てて何かしら奉還するしかないっしょ、と1867年に変な同情まで抱いてしまうほどだ。

本書は3章立てで、1章では熊楠思想の概観、2章では伝記、3章では著作を扱っている。著者が『これは私の南方登攀記の発端である。』と記している通り、略年譜あり、付録に熊楠自身の文章ありと、読者にとっても格好の入門書となっている。

著者鶴見和子は社会学者。私は学生時代、社会学のゼミに所属していた気がするが、名前に鶴が付く社会学者は上野千鶴子でお腹いっぱいだったのでこの人に触れる機会はなかった。丸善の社会学コーナーを探したところ、ずらりと著作が並び、ネームプレートも据えられていた。いつか読まねば。

しかしこの人、柳田国男が好きすぎるようで、本書でもやたら長く論述している。何度か「いやいや、このくだりの主語、熊楠じゃないんかい!」とツッコミを入れてしまったほど。民俗学の一方の権威と比較することで熊楠思想の位置を定める、という試みは成功していると思うが、それにしたって柳田国男の話が長すぎる部分があったような。

(2)イギリスはおいしい/林望/文春文庫

著者の名前がまず良い。漢字2文字で「はやしのぞむ」。著者HPのURLには音読みで「rymbow」の表記が使われている。私の本名は上も下も難読で、大袈裟に言えば「愛新覚羅溥儀」の方がまだ音読みゴリ押しで済む分、初読者の正答率が高いレベルなので、スラリとした名前には憧れてしまう。

本書はイギリスにまつわる飲食エッセイ。ケンブリッジ、オックスフォードに研究滞在の経験がある著者が、世間では評判の悪いイギリス料理の、真の姿を紹介していく、という方針ではあるが、著者にとってもやはり、イギリス料理というのは多くの場合、とても褒められたものではないらしい。そのことがひしひしと感じられる点で、本書はユーモアエッセイであり、英国紀行としても、料理紹介としても楽しめる。
文章は文句なし。挿絵も著者自身の筆によるもので、柔らかな線が良い。こんな知的で軽やかな文章を書いて、こんな素敵な絵を添えて一冊の本にできるのなら、イギリスの茹ですぎた野菜くらいいくらでも食ってやるぜ、という感じ。

イギリス伝統の菓子スコーン(正確にはスコン、と発音せねばならないらしい)についての描写は屈指のもの。これは本当においしいようで、本編と文庫版あとがきとでそれぞれ別のレシピをこと細かに掲載している。ぜひ試してみたいところだが、無精な私としては

『しいていえば、ケンタッキー・フライド・チキンで売られている「ケンタッキー・なんとかビスケット」というものが大体イギリスのスコンに近いかと思われる。』

という一文に出会えたことで充分満足してしまった。

(3)怪談 牡丹燈籠/三遊亭円朝/岩波文庫

明治の言文一致に大きな影響を与えた三遊亭円朝の怪談噺の速記本。こちらは以前読んだ『真景累ヶ淵』よりも端的で、読みやすかった。

しかし端的で読みやすいことが、読書において重要な価値であるか、と問われるとやや戸惑う。本書には、『真景〜』を読んで味わったあの興奮、「誰が誰だかさっぱり分からないし、何が起きているかまるで理解できないけど、私は今、とてもすごいものを読んでいる!」というあのエクスタシーが希薄だった。私は円朝に、ロシア文学的な、あるいはガルシアマルケス的なものを求めているのかもしれない。

そもそも本書が怪談なのかどうか、やや疑問が残る。有名な「燈籠を持って愛する人の下へ通う幽霊」の部分が本筋にあまり関係がない上、終盤の伴蔵の発言には幽霊を否定するようなものがあった。飯島平左衛門の最期の描き方の鮮やかさ、円朝らしいご都合主義の「実は関係者みんな親戚だったので探してみると意外とあっさり見つかります!」システムもはちゃめちゃで楽しいだけに、幽霊部分だけ拍子抜けのような。

最終盤に現れ、全てを引っ掻き回した上、多分何一つ真っ当なことをしていないのに美談を体現しているっぽい孝助の母が本書の「なんじゃこりゃ大賞」を受賞するのは確実だろう。

(4)湛山回想/石橋湛山/岩波文庫

石橋湛山の回想録。公職追放期に記されたものなので、後年の総理大臣就任などの描写はない。

石橋湛山の評価は高い。特にここ数年やたら高い気がする。私としては大平正芳あたりが「実は優れた宰相だった」的な再評価を受けるよりは、石橋湛山の方がよほど好印象であるので否やはない。湛山は戦前からの自由主義者で、軍部に屈することも阿ることもしなかったのはやはり大きい。病気退陣で2ヶ月の超短命政権に終わったことで総理としての批評が難しい上、後任が悪名高い岸信介、という点も湛山評価としてはプラス要素だろう。

そんな湛山の出生から終戦直後の追放までを自らが記した本書は、イメージ通りの素晴らしさ。そりゃあ記者だから文章は上手いし、知的で、穏やかで、誠実で、政治家の回想録としては非常に質が高い。早稲田騒動で立て籠っている所に三木武吉がふらっと忠告に現れたり、森鷗外がちらっと出てきて湛山の議論に感服していたり、明治生まれならではの人間関係も見所。

全体に抑制の効いた筆致で、早稲田〜東洋経済新報〜政界と、時代ごとに湛山が身を置いた世界の人間模様が綺麗に描かれている。ある日突然、どうしても石橋湛山のことを好きにならなきゃいけない事情に迫られたら、とりあえず本書を読むことをお勧めする。仏門に生まれた人間が、哲学を、後には経済を真摯に学び、時流に流されることなく思考すると、こういう立派な人になれる、という意味での立志伝でもありそうだ。それを全く偉ぶることなく書いているから、やっぱり湛山は偉い。

そんなベタ褒め湛山だが、軍隊生活の描写だけは、私としても擁護のしようがなく、困り果てている。

『夏の行軍にはしばしば日射病で倒れる者が出るが(不思議と頭の悪い兵隊がこれにかかった)、〜』

『ところでここにおもしろいことが起った。ある時私は班中で一番頭の悪い、ぼんやりした兵隊をつかまえて〜』

後者は自分はかからなかった催眠術を別の兵隊に試す場面。

この突然の選民意識、非科学的な侮蔑表現、一体どうしたことだろう。湛山よりずっと後の総理大臣で、「自分のそばに来る人間は東大卒なのが当たり前だから、初対面の相手には学歴を聞かずにゼミの教授の名を聞いた」という、どう考えても選挙で与党の議席を減らしそうなエピソードを持つ人がいたが、湛山も似たようなエリート意識を持っていたのだろうか。古い時代の「大卒」は今よりずっとインテリ様で、湛山のように早稲田からコネで新聞社に入った人間からすると、例えば当時の地方から徴兵された新兵などは愚かの極みだったのかしらん。挙句に、大卒の幹部候補生待遇という恵まれた立場から、軍隊は兵卒を粗末に扱ったりはしない、などと擁護するのだからどうしようもない。緊急で石橋湛山に好意を持つ必要のある読者は、第4章は飛ばした方が良いかもしれない。

ところで、湛山が老人性肺炎で潔く総理を辞任したのは73歳の時。失礼ながら、なんとなくそのまま儚くなったと思っていたが、実は湛山、88歳まで生きていた。

私はこういうしぶといじいさんが大好きである。一番好きなのはトルコ共和国第3代大統領ジェラル・バヤルで、彼は軍事クーデターで逮捕された時70代後半だったので高齢を理由に死刑は見送られたが、その後103歳まで生きた。

本書の年譜によると湛山もその後、日中、日ソ関係に貢献したり、選挙に落ちたりと愉快痛快な老後を送っているので、関心は尽きない。湛山関連の著作を集中して読む機会を作らねば。


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