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人の顔が×印で見えない理由|映画レビュー『聲の形』

初めてこの映画を見た時、私は冷淡だった。
そのとき、学生だったから、こんな人がいるから「いじめ」は無くなることはないんだろうな。
なんとしか思わず、淡々と物語を見て、あらすじを見ただけだった。

ヒロインに共感をすることは無かったし、
主人公が哀れすぎるし、
個性があるが、こんな人いるよなと思わせる登場人物がいた。
それだけだった。

学生から社会人になって、地方から上京した。
再度、私はこの映画を見ることになった。
そのとき、主人公の目で見ていた姿を私も見ることになった。

主人公が心を開いていない時、顔にバツマークがでていた。
物語を通して、そのバツマークが出てきたり無くなったりしている。

1回目見た時、面白い表現だと思っただけだったが、
でも、2回目は違った。私は同じ光景を見たことあった。


上京して、人が溢れかえっている中、私を知る人が誰もいない。
どの人に話しかけても、笑顔で対応してもらえるが、相手が何を考えているのか見当がつかない。
なぜか、相手の腹の探り合いをしていた。

私は、もし何かあったら誰に頼ればいいのだろうか。
そもそも頼るというより、話しかけるのも無理ではないのか。
私は存在を認識されているか。そんなことを考えていた。

どの人を見ても貼り付けた笑顔の気がして、
顔にバツマークをついているように見えた。

相手の表情はなんとなくわかるが、その人の顔の特徴はぼんやりとしかわからない。不思議な感じだった。

生活のためには働いていたコールセンターでは、全然電話対応ができなかった。
そのため、同僚や上司からあしらわれていた。
昼休憩では、ご飯を食べる気もしないでうつ伏せになって寝ていた。
今思えば、自分を守っていた姿だと思う。


それから、昔の友人に会ったり、
職場で親しい人ができたり、
旅行先で優しい人と関わってきた。

その中で、顔にバツマークはつかなくなった。
信頼できる人が増えたからかもしれないし、
自分が変わっていったからかもしれない。

だから、この映画を再度見たときには驚いた。
初めて見たわけではないのに。
でも、以前見た時よりも感情を揺さぶられた。

この映画の主人公も、私と同じように、少しずつ世界を人との関わりから取り戻していった。

彼の周りに優しさが生まれ、それを受け入れられるようになったとき、彼の世界は変わった。
バツマークは消え、表情が和らぎ、心が通う瞬間が生まれる。

そして、最後に彼が笑ったとき、私は思った。

「ああ、私も、ここまで来たんだな。」

映画を見ながら、私は自分自身を振り返っていた。

あの頃、心を閉ざし、誰にも頼れなかった私が、今は信頼できる人たちに囲まれている。

世界は変わらない。変わったのは、自分自身だった。

エンドロールが流れる頃、私は静かに目を閉じた。
この映画を初めて見たときには分からなかったことが、今は痛いほどわかる。

誰かとつながることは難しいが、できないことはない。
難しくしているのは、自分自身だ。

バツマークをつけているのは自分自身で、
自分を守るために必要な保護フィルム。

でも、傷つくことが煩わしくなるほど、自分に柔軟性が出てきて
傷ついても、自分を信じることができるようになった。

人との関係に悩んだこと、自分の殻があると思っている人は、ぜひみてほしい映画です。

美しい作画はもちろんのこと、人の気持ちが細やかに描かれているこの映画を見てほしいです。

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飛鳥井はる
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