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映画レビュー『市子』|自分という不確かな存在の証明

映画好きの友人から、邦画でイチオシのおすすめとして『市子』を紹介された。
映画タイトルを見た時、主演の杉咲花の力強い目に惹きつけられた。
さっそく家に帰って、見ることに。
国内外の映画祭で好評だとも聞いていたので、私は期待でいっぱいだった。

3年間一緒にいた恋人「市子」に婚姻届を出して、プロポーズをしたら、
翌日市子は姿を消してしまった。
悲しみの中、プロポーズした長谷川は、愛しい彼女の行方を追いながら、彼女の過去が明らかになっていく。

さあ、長谷川と市子は再会できるのか?
彼女が行方をくらました理由とは?
本格ミステリーだぁって気楽に思いながら、再生ボタンを押した。


そのお気楽な私を、存分に、地面に叩きつけてくれた。
それくらい、心は沈んでいた。

正直、映画を見終わったとき、放心状態。
エンドロールが流れた時に、手には汗がすごかったのを覚えている。


この映画は、フィクションだけど現実だ。
これでもかと、突きつけてくる。
自分が当たり前にいるのは、当たり前ではない。
自分が生まれて、生かされている現実を教えてくれる。

生物学的にではなく、社会的に生きること。
人は一人では生きては行けないからこそ、群れを作り、社会を形成してきた。
当然かも知れないが、その社会で生きることは、一人ではできない。
この社会から外れた場合、どのように生きればいいのか、私はわからない。

昔のように村八分にされたとかではないのだ。
だったら、私は少しの可能性をかけて、その村から出る選択をする。

でも、それよりも深刻に、人としての存在が認められていなかったら、どうしたらいいのか。
正直、わからない。

現代では、確かに個人主義や多様性が認められている社会であっても、
1番の根本はみんな持っているし、認められているのが前提だ。

自分が今いる社会によって、生かされていることを痛感した。

両親や親戚の顔が浮かんで、私は唐突に感謝をひどく伝えたくなる。


だからこそ、この作品のスポットライトにいる「市子」の生きるたくましさが美しかったのと同時に悲しかった。
市子は強かった。
でも、その強さゆえに、一人で生きることになってしまった。

一般的に見たら、愛しい恋人からのプロポーズは嬉しいもの。
だけど、市子にとっては苦しく悲しいものだった。

もちろん、市子は確かに恋人と幸せな時間を過ごしていた。

けど、誰もが喜ぶモノなんてないのだ。
一人一人の背負っているものは、違っていて、どのように受け取れるかは、その人自身。

私は人一人を全部を知ることは難しいと思っている。
なぜなら、ずっと見てきた自分だって、全部を知ることができていないから。
自分以外の人なら、なおさら、知らないことがあって当たり前。

親だとしても、子供でも、双子だったとして、人一人の全部知ることはできない。

だからこそ、対話と、理解しようとする気持ちが大事になってくる。
全部を知ることはできなくても、一緒に生きることはできると思いたいから。

この映画を見た後、市子の過去を知ったあとに、もう一度映画を見た。
最初に見た市子の見え方が変わってくる。
この場面では、市子はどんな気持ちだったのか、心の中が複雑になってくる。

この映画を見ていない人は、少しの覚悟をして見てほしい。
できるだけ、自分が精神的に落ち込んでいない時に。

ぜひ、たくましく生きる市子の姿を見届けてほしい。
そして、心をぐちゃぐちゃにして、一緒に悩んでみてほしいと思っています。


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飛鳥井はる
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