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読後雑感 翻訳をジェンダーする

翻訳をジェンダーする 吉川弘子 ちくまプリマ―新書
2024・9・10 初版

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ずいぶん前に、私よりもかなり年配の品の良い女性が、
「あたくしね、お花を少々たしなみますの。お免状もいただいておりますのよ」と言った、でなくて、おっしゃったのを聞いたことがある。
驚いた。
現実でこんなふうに喋る人がいるなんて、あるんだ。
昔の映画(小津安二郎とか)、翻訳ものの古典名作(嵐が丘とか)、もしくは日本の文豪小説(夏目漱石とか太宰治かな?)の登場人物みたいではないの。

自分を振り返れば「あたくし」なんて、思い出すまでもなく1回も使ったことがない。「たしなむ」も同様。そのうえ「おりますのよ」なんて、どこをひねっても絶対に出ない。

同じことを言うにしても私なら、
「わたし、生け花をやっていて、お免状をもらっているんですよ」
ならましで、だいたいは、
「生け花やっててさあ、お免状もらってるんだよね」
ぐらいのものだ。

本書に挙げられた例で、なるほどと思わされるものがある。“It’s warm today” を日本語でなんと訳すか。
「今日は暖かいね」「今日は暖かいよ」「今日は暖かいわ」「今日は暖かいぜ」
語尾によって話し手のイメージが固定される。あの品のよい、あたくしの女性なら「今日は暖かうございますわね」とか言っちゃったりするんだろう。キャラクターが全然違う。

英語みたいに性別を問わない話し方をする言語を和訳するとき、どの言葉を選ぶかでキャラクターが決まる。なるほどだ。

そして日本語の現代小説よりも、翻訳小説のほうが、女らしいとされる言葉が使われる頻度が多い。なんで? と、いうことをジェンダーの問題に絡めて説明してくれている。

タイトルの【ジェンダーする】というのは、著者によればご自身の造語で、ご飯する?と言えば、ご飯食べる?という意味になるように、
名詞+する、でジェンダーについて考えるという意味だそうだ。

1章の女性らしい言葉に翻訳されがちなのは、日本女性としてこうあるべきという規範、ジェンダーでの縛りがそうさせているのではないかと、著者は言い、おもしろい例を挙げている。
ハリーポッターのハーマイオニーのセリフだ。
「あら、魔法をかけるの? それじゃ、見せてもらうわ」(1巻)
このときハーマイオニー11歳。だいたい小学校5年生。現実で小学5年生の女の子が「あら」とか「見せてもらうわ」なんてほぼ言わない。
もしも言われたら、違和感満載だ。
 
なんか特別な躾でもされているのかなあとか、何かを真似してるのかなあとか、意味わかってんのかなあとか、素直に聞けないし、背中がむずむずしそうだ。なのに、小説のキャラクターが言うのなら、違和感ないのはなんでだろう。

そういうものだと思わされているから。
女はこういうふうに話すものなのだと、無意識に刷り込まれているからだ。
さらに、創作内のキャラクター的な喋り方が現実に進出して、(真似をして使っているうちに広まるから)、しだいに現実とのギャップが埋まる例も挙げられている。

よくよく考えれば、これはある意味怖いことだと思う。
こうあるべきという社会の規範に束縛されることだからだ。

という1章の内容を受け、女らしい言葉を使わずに翻訳をするには、という実践の例として、2章では1970年代に「女のからだ」という本が翻訳されるに至った経緯が取り上げられる。

当時としては画期的な内容だったらしい。女性自身が自分の体のことを決める、という考え方は、このごろ一般的になりつつあるが、これは半世紀も前のことだ。

ウーマンリブとかフェミニズムとかの概念が、日本で広がるきっかけになったともある。
原典が書かれた理由や、日本での出版の経緯が、どう翻訳に関わるのだろうという疑問は、日本では希薄だった概念を、翻訳によって輸入したと考えれば、まさに翻訳の力そのものについて書かれていることになる。

そこに思いあたれば、なるほどなるほど、どうして女性運動の話が翻訳についての本で出て来るんだろう???? 飛び回る疑問符はいっきに消滅、疑問解決。

そういえば、日本が明治になって、西洋からいろんな文化や考え方が伝わったときに、当てはまる日本語がなくて、たくさんの新語が生まれたと聞いたことがあった。
いまでは普通に使われている【社会】とか【科学】とか【自由】とかもそうだったらしい。

3章で日本語では当てはまらない言葉、日本語にもあるけれどふさわしくないだろうと考えられる言葉を、どう置き換えるかについて書かれている。
いかにふさわしく正しく、旧来にとらわれない言葉をさがす、これは翻訳の仕事そのものでしょうね。

中でも、これは困るよなあ、というのが【彼女】【彼】以外の三人称。
このごろでは、性自認が男女どちらでもない場合、アメリカでは”she”でも”he”でもなく”they”が使われることがあると教えられたことがある。電子メールなどの文末に”they”と書いて、自分は”she”でも”he”でもないので”they”を使ってくださいと、自らの意見を表明するのだそう。
本書によれば現在では”ze””ey””xe”なんかも使われるそう。
スウェーデンでは”hen”という性別を分けない三人称が公に認められていて、これを和訳するとしたらいったいどうしたらいいんだろうか。
ちょっとだけ考えてみたけど、せいぜい「彼女は」とするところを「その人は」とするぐらいしか思いつかない。

世界が動いてゆくと、新しい言葉が必要になって、新しい言葉を作るには、概念の理解が必要で、そのためにさまざま考えて、理解しなければならないのだと、まったくあたりまえなのに、知らないでいたなあ、翻訳は単なる言葉の置き換えではなかったのだと、新しい知恵の実をひとつもらった、そんな感じです。


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