ご縁を紡ぐ海街diaryの世界
映画「海街daiary」を観ました。
マンガ版と比べ、ギャグパートの少なさや多田君がいないこと、福田さんがたくさん話すことなどに寂しさや違和感を覚えつつも、日常にある幸せや人との縁の大切さ、自分の根幹となっているものと向き合うことは映画でも感じ取ることができました。
自分を形成する家族の存在
「海街diary」は「ラヴァーズ・キス」「詩歌川百景」と世界観が重なっていて、登場人物をあらゆる角度から知っていくことになります。
その人物を知るのに家族の存在って大きいな、と感じさせるエピソードがたくさん出てきます。
幸、佳乃、チカは父親が不倫した相手と家を出ていき、母親も後に家を出て新たな家庭を築いています。すずは母親を病気で亡くし、父親は別の女性と結婚するが亡くなってしまう。
子どもの頃に親の存在がなくなってしまうのは、藤井さん(なぜか藤井さんだけはさんづけですが)や和樹も同じです。
親から得られるものについて考えてみました。
・絶対的な愛情
・どんなときでもあなたは大丈夫という肯定感
・ここにいても良いという安心感
私のイメージで書いてみましたが、自分自身が親から得られたかというと、少し違うかもな、と思います。
前回の記事で生きづらさについて書いています。
私の生きづらさとは、自分のことを大切にできない、自信がない、どこにも居場所がないと感じることです。
私は親に抱きしめて欲しい、褒めてほしい、もう少し自分の気持ちに寄り添って欲しいという気持ちがありました。
子どものころに親から与えられる愛情や肯定感、安心感が少なかったから生きづらさがあるのではないだろうか、と思ってきました。
映画では、親の不倫や自己勝手な行動によってどこか不安定な姉妹の様子を描きます。
そんな姉妹の周りには大叔母や上司、友人、恋人、サッカーチームのコーチ・メンバー、海猫食堂に集う人たちがいます。
姉妹で助けあい、さまざまな人との関わりによって姉妹は鎌倉で生きています。
おばあちゃんの漬けた梅酒、おばあちゃんのちくわカレー、お母さん(都さん)のシーフードカレー、すずのお母さんとお父さんが食べていたであろうしらす丼としらすトーストが出てきます。またチカが父親も釣りが好きだったと知る場面があります。父親が好きだった場所で泣くこともあります。
育ててくれる親はすでにいません。
しかし姉妹の中に祖母や両親は生きていて、姉妹の思考や行動の根幹にあることがわかります。
与えることで得られるのかもしれない
幸はすずに、初対面で鎌倉で一緒に暮らすことを提案しています。
すずが山形で生活を続けるのが明らかに困難だった、というのは勿論あるでしょうが、映画を観ていると幸の表情や言葉が変化しているのに気づき、すずの生活を心配していただけではないような気がしました。
幸は長女として母親のグチを聞き、佳乃とチカの面倒をみてきました。
本当は母親にもっと甘えたかったでしょうし、言いたいことはたくさん飲み込んできたのではないでしょうか。
すずと一緒に住むようになり、幸は姉として、時には母のように、関わります。少しづつ距離が縮まり、すずと一緒に父親が鎌倉で好きだった場所に行きます。
その時に幸が叫んだのはすずが溜めていた思いを出せるようにではあったのでしょうが、幸の中にもあったのだと思います。その後すずの肩に手を回しますが、過去の幸が今の幸に救われる場面だったと感じました。
未来は自分で決めていい
映画では姉妹の今後についても触れていましたが、マンガでは、姉妹がご縁をいただいた人たちと関わり、自分を確立し、成長しながら未来へと進んでいきます。
海街diaryではこのようなことを感じました。
・幸せは特別なものではなく、日常にある
・人とのご縁で未来は広がっていく
・愛情や自己信頼、安心感は必ずしも両親から得られない場合もあるが、ご縁のある人からいただける
幸がすずに一緒に暮らそうと伝え、すずがすぐに鎌倉に住むことを決めたように、自分の直感に従うことが望む未来へ進むのに大切なことなのだと思います。
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