8月31日の夜、思ふコト
たかが1日、されど1日。
私にとっては「何気ない1日。」
でも他の誰かにとっては「1年前から楽しみにしていた1日。」
かもしれない。
noteのお題にあった「8月31日の夜に」というものを見て
どこか懐かしいような、切ないような、そんな気持ちになった。
私たちに平等に与えられたもの
「1日が24時間ということ」
これは生まれてきたばかりの子供にも、人生80年くらい生きてきたひとでも時間は平等に与えられている。
2021年8月31日
多分私はいつも通り朝の6時に起き、8時30分から仕事がはじまり
17時15分まで働き、すぐには終わらなくて18時過ぎくらいに帰るであろう。仕事後、特に予定がないから晩御飯を作って、食べて、お風呂に入って寝る。そんな1日の予定。
社会人となった今、仕事を中心に動き、休みの日には趣味や友達と遊ぶ。
それは○月○日という感覚よりは○曜日だから遊べる、○曜日だから仕事が忙しい、というふうに考えることが増えていった。
時を戻そう
20年近く前の8月31日。
私は中学生もしくは高校生くらい。
今は夏休みが早く始まるようで9月1日より前に始業式になるところも増えたらしい。けれど、私の学生時代は9月1日が始業式。
8月31日とは1月半近くあった夏休みの最終日。
「あー終わってしまう」
という気持ちがあったり
「早く友達に会いたい」
という気持ちがあったり。
終わってない仕事をどうごまかすか考えたり
夏休みの朝からやっていたアニメが中途半端で終わるのがもどかしかったり。
まだまだ暑いのに
「あー夏が終わってしまう」
という感覚になっていた。
夏休みが終わる=夏が終わる
担っていたのだと思う。
その夏が終わる最後の夜。
学生の私にとっては特別な日。
だって夏休みになる前に終わりがわかっていて、
1日ずつ過ぎていく最終日。
やっぱり「終わってしまう・・・」という気持ちが強かったように思う。
少なくとも20年近く前の私にとっては今よりは特別な日で
翌日から始まる新学期にワクワクとだるさを感じていただろう。
8月31日の夜に思ふコト
「私」という同じ人間でも
この「8月31日の夜」の時間を月日と共に感じ方が変わっている。
冒頭に書いた他の誰かにとっての1日は私自身だったかもしれない。
過去の私にとっては特別であった8月31日の夜。
今年はちょっと特別な日にしてみようかな。
夜にキャンドルをつけてみたり、テレビも音楽も何もつけないで明日からの未来を考えてみたり。普段は飲まないお酒を少し飲んでみようかな。
夏の終わりを感じながら、平等に与えられた時間をゆっくり感じてみる。
あなたにとっての8月31日とは?
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