陰極まって
信じている、期待している、というノイズなしに如実に事実を見る。
むしろ、認識の支えとしていたものを、失う事で得られる事実の姿。
想像火傷と同じではない、事実に基づく有機的で生きた経験則を得る。
失望から事実と運命学の接点を見出し、実占で通用する目安を発見する。
陰極まって陽。
その経験則と直観を同時に用いて結果を出す。
占術に失望、ではないが、似たような事例が他にもある。
桑野式内画法姓名学 初代宗家 桑野燿齊(嘉都朗)である。
私は二十一歳になると同時に、名前を変えようと思った。
姓名判断に興味があったわけではなく、ただ突然そう閃いた。
でもやはり名前は名前屋だろうと思い立ち、姓名判断の本を漁った。
私は迷う事もなく、桑野式内画法姓名学を選んだ。
初代が母親を失った絶望から生まれた姓名学。
手探りの厖大なデータ研究でもあるという。
波木星龍も母を不慮の事故で失った事に始まり、
手探りの厖大なデータ研究から活路を見出した。
共に、一流実占家である点も興味深い。
私が依頼した時には二代目になっていた。
当時の桑野燿暠、現在の くわの擁齋である。
当時、地方の出張先に住んでいた私は、
鑑定なしに命名を依頼し、名前を郵送してもらう事にした。
十日ほどで名前が届いた。
友人がそれを見て、私の印象そのものだと言って驚いた。
私は くわの擁齋に興味を持ち、鑑定を依頼する事にした。
今思えば、これが初めての運命学鑑定だった事になる。
本は読んだが、正直、名前で何がどこまで判るんだろう、と思った。
出張先から上京し、中野に向かった。
それは東中野にあるマンションの一室だった。
神棚が飾ってある小綺麗な待合室に通され、少し待った。
和室に通されると、くわの擁齋がゆっくりとした口調で言った。
「すぐ わかった?」
私が "はい"と答えると、
「そう、よかった」
と、言い、テーブルの上に積み重ねてある紙に素早く数字を書き連ねた。