救う響き
当時の妻とその父親は、思いのほか素直に応じ、くわの擁齋と対面した。
私はさすがに席を外し、妻と待合室で待っていたので、
具体的にどのような話があったのかは分からなかった。
妻の父は、戻ってくると血の気が引いていた。
改名を依頼した、と言っていた。
全て お見通しだと苦笑いしていた。
それ以上、何も話したくないようだった。
それから、二~三ヶ月だったろうか、銀行が四千万ほどの借金を、
損金で計上するからとかで、チャラになったという報告を受けた。
突然の命拾いに、一家は唖然としているようだった。
私はこの事を、くわの擁齋に報告した。
「ああ、そう」
と、彼は応じ、いつも通り 独特の優雅な口調で言った。
「よかったね」
あの時、当時の妻に掛けた、くわの擁齋の言葉は気休めではなかった。
"大丈夫"
それは 強く、穏やかで、人の心と困難を救う響きだった。