日本のセクシュアリティの歴史の本の調査

 フーコーの性の歴史を30年近く読んで色々広げている。参考文献や関連文献を読むうちに別の本に軸が移っても良いだろうと思っていたが定期的に戻ってきてしまうのだからしょうがない。
 それとは別に、ロマネスク美術のことを調べているとデリダやラカンなどの現代思想をKirk Ambroseが話のきっかけに持ち出したり、フーコーも「周縁のイメージ: 中世美術の境界領域」マイケル・カミールに引用されていたが、フーコーの「性の歴史4巻」では肉の告白としてキリスト教2ー5世紀の文書を取り扱い読んでいるとヴェズレーへの注釈に使えるものがありついついのめり込んでしまった。
 またアベラールとエロイーズの読み解きにも活用することができた。
 フーコーの性の歴史は性技の歴史ではなく今でいうセクシュアリティの歴史である。セクシュアリティという言葉が一般的でなかったころに日本語に翻訳された。それくらい新しかったと言える。ジュディスバトラーなどの本はフーコーの参照から始まる
 逆にフーコーを読んでいるとボーヴォワールを彷彿とさせる。なぜだかあまり指摘されていないが。またフーコーはボーヴォワールを参照していない。
 前回キリシタン時代の性の告白を取り上げてフーコーで解析したいと宣言してしまい全く原稿を進めていないのが心苦しいのだが、つらつら考えていて、性の歴史2、3巻の内容を日本の江戸時代から明治さらに現代を含みに入れて議論できたら面白いと考えた。がそんな本はいくらでもあるのではなかろうか?それで調べると次くらいしかない

 内容紹介:

近代日本のセクシュアリティ言説形成過程に見出された一定のパターンをオナニーに関する言説に焦点に検証するとともに、「性=本能論」「性=人格論」が拮抗し交錯して慣習や制度を形成してきた様を素描。哲学、理論社会学、フェミニズムなどセクシュアリティ研究の成果に理論的検討を尽くし、資料を検証する方法論の確立を目指す。

でもこれでは性の歴史の1巻の4つあるテーマの一つしか扱ってない。2、3巻にあるのは、(←以降は筆者コメント)
2巻 快楽の活用
第1章 快楽の道徳的問題構成 ←重要ギリシア語解説
第2章 養生術 
第3章 家庭管理術  ←妻との関係、家業の運営
第4章 恋愛術  ←ギリシア時代の恋
第5章 真の恋  ←ソクラテス、プラトンらの禁欲的な男同志の恋愛

3巻 自己への配慮
第1章 自分の快楽を夢に見ること(アルテミドロスの方法;夢幻の行為) ←ギリシア時代の夢判断。フロイトのようにエロい。
第2章 自己の陶冶 ←最も哲学的思索がまとまっている
第3章 自己と他者(結婚の役割;政治の働き)←自己というものを自分自身だけでなく大きく捉えている。
第4章 身体(ガレノス;快楽の営みの養生法) ←キリスト教時代の肉の概念の準備
第5章 女性(夫婦の絆;独占の問題;結婚の快楽) ←ストア派の婚姻生活で4巻での第3章結婚していることへの橋渡し
第6章 若者たち(プルタルコス;擬ルキアノス;新しいエロス論)←ギリシア時代のおっさんと若者の肉体的な恋、禁欲的な恋が帝政期にどうなったかの報告

このようにセクシュアリティと言いながら哲学の要素が盛り込まれ、グレコ=ローマン哲学の説明が非常に深まりフーコーは独自の解釈も出してくるのでなかなか難しい。新しい巻では:

4巻 肉の告白
第1章 新たな経験の形成(“天地創造”、子づくり;労苦を要する洗礼;第二の悔い改め;技法中の技法)←帝政期ストア派の禁欲的な節制・実践の上にキリスト教的な考えが築かれたことを指摘
第2章 処女・童貞であること(処女・童貞性と節欲;処女・童貞性の技法;処女・童貞性と自己認識) ←修道士たちの実践について。修道士の中で哲学が育まれた。
第3章 結婚していること(夫婦の義務;結婚の善、その複数の善;性のリビドー化)←結婚していることは子供を作るためでなく男女をお互い一人とすることによって姦淫を避けるため、とクリュソストモスによって説明された。

と見てもらえばわかるように、一貫して女性、家庭生活、子供を産み育てることが展開されている。
 あえて言えば4巻は1巻の次に書かれたので自己への配慮などの概念が組み込まれていない。また平凡社の中世思想原典集成を読みながらでないと頭に入ってこない。
 さて、日本に目を向けよう

日本の江戸時代の文献で言えば、

中の渋沢栄一によってディスられた女大学。その渋沢栄一の論語と算盤に「女性と教育」がある

女性と教育は今に引き継がれている。女性は子供を育てるのが天職、女性を侮蔑視、嘲弄視してはいけない(つまりしていたということか)、人類の半数は女性だから活用すべし。現代の女性の活躍の論旨と同じ。の割には渋沢栄一は妾を多数もったということが引っかかる。それは女性の地位を不当に引き下げるものではないのか。フランスで一夫一妻制を見ても妾を持ち続けたーしかもたくさんーメンタルにはびっくり。

紙幣の上では立場が変わる福沢諭吉であるが、貝原益軒に対抗して「新女大学」がある。青空文庫にあり読み始めたところ

例えば世の中に普通なる彼の百人一首の如き、夢中に読んで夢中に聞けばこそ年少女子の為めに無害なれども、若しも一々これを解釈して詳つまびらかに今日の通俗文に翻訳したらば、婬猥(いんわい)不潔、聞くに堪えざること俗間の都々一(どどいつ)に等しきものある可し。

こういう本音トークには頭がさがる。

畢竟ひっきょう婦人が家計の外部に注意せざりし落度おちどにこそあれば、夫婦同居、戸外の経営は都すべて男子の責任とは言いながら、其経営の大体に就ては婦人も之を心得置き、時々の変化盛衰に注意するは大切なることにして、我輩の言う女子に経済の思想を要すとは此辺の意味なり。

目についたところをコピペしただけどなんだか先進性がすごくない?古めかしいところも探してみたい。

というわけでその後戦争もあったりして良妻賢母の概念が重要視されてくるだろうけど、その時の考え方や実践などで倫理を再構成された本を探したい。和辻哲郎の倫理思想史は実質討幕へと向かう思想史であって各時代の武士や庶民が儒教や仏教、神道でどのように家庭を運営したか、妻に対してどのように振る舞ったかなどの情報はほとんどないように思われる。
 探せばあるのかもしれないので図書館の本やアマゾンで検索して調べてみたい。もしヒントなどあれば教えていただけると幸いです。


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