夏目漱石は旧制第五高等学校ボート部だった
コロナ禍でのオリンピックから半年あまり経ちました。選手、大学関係者、限定された観戦者、全員で成し遂げた2020東京オリンピック。声援は限定されていたものの多くの感動の場面がありました。
ボート競技においても全世界から多くのクルーが参戦し、新設された海の森公園のコースで熱戦が展開されました。日本チームは残念ながら男子シングルスカル・荒川選手だけが決勝に残り、32人中11位と今回もメダルは遥か彼方でした。
どの競技に於いてもオリンピックでのメダルの輝きは、ファン層獲得や選手のプライド高揚には欠かせません。このメダルの輝きを我々ボート関係者は残念ながら未だ経験できていません。メダルは無いけれどボートは素晴らしいスポーツであることを少しでも知ってもらいたくて、私はエッセイを通して、ボートに関係する著名人の話題を拾い出し紹介するというささやかな試みに挑戦してきました。
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ある日、聞き流しラジオから「夏目漱石がボート部部長だった」との言葉が耳に飛び込んできました。今までに知ることのない初耳の情報でした。早速ウェブ検索をしてみました。便利なものです、いろいろ出てきました。
片顎ついた明治の大文豪——スポーツとは真逆の顔つきをした、あの夏目漱石がボートをやっていたのです。検索した関連情報を整理してみますと、まず旧制の予備部門時代、同級の太田達人氏の回想に、
とありました。
次に大学に入ってからは友人の滝口了信の
との記事もありました。
東京大学卒業後、あの「坊ちゃん」が舞台の松山中学校に赴任、さらに旧制第五高等学校(現熊本大学)に赴任し、その時には第2代の端艇部部長を務めたともあります。
明治30(1897)年の「九州日日新聞」に「画湖の端艇競争」と題する記事があります。そこには、五高のボートレースの勝者の名前が書いてあり、その中に夏目金之助の名前が挙がっています。漱石が2月14日に行われたボートレースの中の職員の部で大差をつけて勝ったという記事です。
されに漱石が出たのは第7レース。群衆およそ400人が両岸に立ち並び、あるいは舟を出して観戦し、大変なにぎわいだったそうです。
そして最後に意外な出来事が書かれていました。
という記事でした。今でもありがちなトラブルです。この意外な記事を読んだ時、次の文章がふと頭に浮かびました。
漱石の「草枕」の冒頭の有名な言葉です。
これは漱石がボートを通して川に親しむと同時に、いろいろ経験した結果からの名言ではなかったかと。ボート経験者としての気ままな思いつきを一文加えさせていただきます。
※明治30年頃の1円は現在の約3,800円。百円は約40万円
2022/03/10
アストロケン
<ウェブ上の参考資料>
熊本大学 広報誌「熊大通信」Vol.59(2016年1月) <pdfファイル>
九州大学附属図書館 「西日本文化」(2018・西日本文化協会)486巻48~53頁 記事「熊本時代の〝漱石異聞〟 : 五高端艇部員「事件」 : 愉快犯・篠本教授の「証言」と夏目教授のアリバイ」 <pdfファイル>
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このエッセイは今年1月から4年ぶりに通っているエッセイ教室での作品です。隔週で1本約1,200字。「感動エッセイ」同様、こちらでもボートのことを書いています。
前回のエッセイ教室もご覧ください。
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