嵐山は河原で飯盒炊爨
続³「私のホームランド、京都」
何年かぶりだか娘と一緒に嵐山に行った。観光客気分でちょっと行って見ようというのりであった。
京福電鉄嵐山の駅は、いかにも観光客用の駅です、という装いで土産物のお店に加え、足湯などが設備されている。まるで温泉街の駅のようだ。駅前から渡月橋に至る道路には今風のお店が並んでいる。
娘はその観光道路沿いにあるミッフィーのお店でマグカップを購入した。ミッフィーの専門店がどうして嵐山にあるのか、私には理解できないことだが、娘のように喜々として購入する者が少なくない限り、観光地にあるのも正解なのだろう。たぶん。
嵐山といえば、ちょっと前は美空ひばり記念館があったようだが、今は無い。もともとは、私が子供の時は、渡月橋の景観に加え、天竜寺と野生の猿で有名な岩田山が名物だった。
父によく連れてきてもらったことを思い出す。岩田山に行ったこともあるが、よく来たのは渡月橋の下を流れる保津川(正式には桂川)に来るためだった。保津川沿いを歩くのである。
ちょっとしたハイキングだが、目的はハイキングではない。適当な河原で食事をすることであった。飯盒炊爨である。「爨」の字が難しい。もちろん、子供の頃は頭の中はひらかなで「はんごうすいさん」と呼んでいた。今でもひらかなだが。ただ一方、飯盒炊飯(はんごうすいはん)と言うのが一般的になってきているようだ。
料理は決まって、すきやきだ。家で肉、ネギ、豆腐や麩などを袋に小分けに分けて、持ってくる。タッパーなど気の利いたものはその時はなかった。たいてい春か秋のいわゆる行楽シーズンに来ていたので、調理前の材料を持ってくるのに気温を気にすることはなかった。
父と母、そして姉と私の家族でくることもあったが、親戚の家族と一緒の時もあった。
川沿いからちょっと上ったところを汽車が走っている。蒸気機関車である。当時は山陰本線だった。今は観光用としてこの路線を使って走らせているようだ。それはトロッコ列車と呼ばれ蒸気ではない。
そして保津川には川下りを楽しむ人がいる。こちらも、今も盛況だ。
父は持ってきた缶ビールをネットで作られた袋に入れ、川に浸す。自然の冷蔵庫だ。姉や私はジュースを持ってきたかどうか覚えていない。たぶん、缶ジュースなどは無かったと思うので、ジュースではなく水筒にお茶を入れて持ってきたのだろう。
飯盒は火を起こして炊き込む。すき焼きは持参した鍋に材料と醤油等々の調味料を入れて作る。火力は携帯コンロである。食事の準備が楽しい。
父はお手製の竹で作った送風筒を持って火に息を吹き込む。飯盒を炊き込む火である。集中的に火が集まり、しっかりと火が燃え盛る。
飯盒が炊き上がり、すき焼きもできあがり、皆で鍋を囲んで食べ始める。さぞかしビールが旨いだろう。でも、その時の私はそんなことはわからない。父は私たちを楽しませると同時に自らも楽しんでいたのだ。そうビールを飲む分、私たち子どもたち以上に。
もう一つの思い出にある岩田山も今も健在のようだ。野生のサルに手に持っていたピーナッツを取られたこともあるその場所は、今は岩田山モンキーパークと言うようだ。
京福嵐山の駅から渡月橋に向かう途中、少し道路から小径にはいったところで和風喫茶の店を見つけた。看板には京都本格純喫茶とある。お寺のような門構えをはいると古民家をリノベーションした建屋が現れる。
ここで、お団子とお抹茶のセットと抹茶とアイスのセットを注文し、娘と二人で分けて楽しんだ。お団子は小さい卓上火鉢で自分で焼く。
実はこの店にはいるまで、少し時間を要していた。行きたい店を探したのである。この店のことは知らなかったが、なにかかような和菓子とお抹茶の店を私も娘も求めていた。せっかく京都の観光地なのだから、そういう喫茶店に行きたかった。
何件も見て回って、期待していた店を見つけた。それがここである。いかにもという雰囲気と商品のラインナップが求めていたものだった。後でネットで調べたところ、実家に近い祇園にもこのお店があるようだった。
店を出て、渡月橋にさしかかった。渡月橋のたもとで若いカップルを乗せて人力車が走りだそうとしていた。いつから、観光人力車が出てきたのだろうかと思いながら、それを横目でやりすごし渡月橋を渡った。
帰りは阪急嵐山からと決めていた。阪急嵐山の駅はミッフィーが笑顔で迎えてくれていた。とはいえ笑顔というのは少々無理があるのかも知れない。いつものシンプルなあの顔だ。ホームに掲げられたミッフィーを、娘は写真に残すことを忘れなかった。
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