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「最後の日」はいつ来るのか?:最新量子理論から読み解くクルアーンの「時」
《天空が裂けて散り散りになってしまった時、…大地が伸びてしまってその腹の中がすべて吐き出された時…》(《聖典クルアーン》「インシカーク(割れる)章」、1,3,4節)。
「最後の時」
「最後の日」その到来は、イスラームの教えにとって、人々の良心の最後の砦として大きな役割を持つ。
聖典クルアーンの中では、繰り返しその兆候が示される。「インシカーク章」もその一つ。
天空は、裂けて散り散りに、そして、大地は伸びきってしまって、その内部にあるものがすっかり吐き出される。
何たること!地球が完全に終わっている。
しかもこれらは必然だ。なぜなら、これらの事象は、天空と大地とが全身を耳にしたかのようにその主の命令を聞き、それを真実として従った結果だから。
しかし、想像を絶するのは、こんな状況の中に放り込まれてもなお人間たちが生きていて、彼の主から呼びかけられているということ。
つまり、人間には、意識が保たれているのだ。これらのメッセージを絶対的必然的なものとして読むことができている。そしてその「読み」は、最後の時のこの世の様子を脳内に再現してくれる。だからこそ、これらの事象が存在できるし、それぞれの人間が今、ここで読み、理解することによってその時が確かに存在するのだ。
そうなると、最後の日が、物理的に実在するのかどうかは、それほど重要ではなく、むしろ、そのことが教える恐怖やアッラーの偉大さが、「読み」と「理解」とその保持によって人間の脳内に具体的なイメージとして結ばれることにこそ意味があるのだ。
その日の到来の兆候は、ハディースにも、数多く伝えられ、明日がその日であるかにさえ読める。しかし、すでに1400年余にわたって、啓示のメッセージを元に語られ続けてきたが、いまだにその日は来ていない。
もちろん、その日が来ないなどと断言はできない。ただ、実際に訪れてきたら、それを認識できる者などいないはず。
言い換えれば、問題は、それが「いつ」なのかではなく、「その時に何が」の方なのだ。
絶対的時間
時間は、「量子系と「時計」として機能する別の量子系との間の量子もつれの結果として生じる現象」だと最新の量子物理学は言う(イタリア国立研究評議会の物理学者 Alessandro Coppoを筆頭研究者とする研究成果)。
つまり、時間とは外から与えられるものではなく、「量子もつれの副産物である」[1]と。
となると、外から観察したときの「いつ」は、ある量子系と「時計」として機能する別の量子系とのもつれの結果として生じる「時」とは何の関係もない。
量子物理学には、いや物理学自体にも、憧れ以外を持たない筆者ではあるが、解説の中の次の言葉は目を引いた。宇宙誕生の原初状態では「すべてのものがすべてのものともつれていた」と言う[2]。
これはまさに万有の創造主アッラーの創造の原初的可能態のありようだ。そこからあらゆるものが創造される大いなる「一なるもの」。あるいは、そこからすべてが生じる「存在のゼロポイント」[3]とも重なる。
量子もつれは「宇宙に本来備わった根源的な現象」であり、「その始まり、その特異点において、時間は本当に絶対的だった」と言う。つまり時間に実体らしきがあって、現象との絡み合いの中で常に一意的に決まるということ。
一方でこの原初の根源的現象の量子もつれの宇宙は、一枚の静止画に収まっているような状態で、時間は埋め込まれているものの、時間による変化とは無縁のため、「時」は絶対的。
そこでは、何年前とか何年後ごとかといった「いつ?」という問い自体が意味をなさず、存在しないも同然なのだ。
静止画像の世界
もう少しだけ、量子もつれが生み出す「時間」に踏み込んでみよう。
量子と呼ばれる電子や光子のような極小物体は、粒子としての性質と波としての性質の両方を持ち合わせているとされる。
「その波を波動関数と呼ばれる関数で表し、その関数が従うべき物理学上のルールをエネルギーや運動量という粒子の性質と共通する属性を介して数学的に記述しようとしたのがシュレーディンガー方程式」[4]だ。
この方程式のなかで、時間パラメータの部分を物質に内在する「時計系量子」に置き換えても、方程式自身の妥当性に何ら問題は生じない。
つまり、外部的な「時間」を、内部的な量子もつれ時間に置き換えることが可能だというのが、量子もつれによって生じる時間の数学的な意味だ。
となると、静止画像に埋め込まれている絶対的な時間を手掛かりに、それらを並べていけば、時系列に、原初的可能態としての「一なるもの」の創造、あるいは、存在のゼロポイントからの宇宙の生成をたどることができるのではないか。
量子の側から見れば「もつれ」結果に過ぎないのだが、そこに人間的な時間の感覚による理解、あるいは再構成性の可能性があると整理できそうだ。
接続詞「イザー (إذا)」(~した時)の「時」
つまり、一枚一枚の画像に、「時」を示すタグが付いているようなものということになろうか。
その画像をアッラーが自らの創造を語る一つ一つの聖句に置き換えてみると、量子もつれのある様が「時」を示すタグ付きで降されているという見方が可能になる。
「イザー」(إذا)という接続詞は、「~した時」を意味し、確実に起こることを示す際に用いられる。それは、聖句によって示された内容が「いつ」起こるかではなく、その「時」に何が起こるのかを示すのに最適だ。
条件を示す「イン」や、反実仮想を示す「ラウ」では用が足りない。
つまり、「時」を示すタグをつけてその「時」に絡みあっている事象を示すためにどうしても「イザー」でなければならないのだ。
もちろん、すべての聖句に「時」の「イザー」が付いていはしない。
全体でムスリムたちが勝利してマッカに入る時(「援助章」第1節)も、大地震が起きる時(「地震章」第1節)も、明けた時の夜も、輝いた時の昼も(「夜章」第1,2節) も、天空が割れ裂ける時(「インシカーク章」第1節)も、大地が野放図に拡がってしまう時(「インシカーク章」第3,4節)も、いつも「イザー」で啓示が始まっている。
つまり、その場面、つまりアッラーの創造の実像が、その状況と結びついた絶対的な「時」とともに示されているのだ。
啓示とは、アッラーが、ある量子もつれの状態を、「その時」のタグ付きで切り取って降すことなのかもしれない。
そうであるのなら、最後の日もまた、絶対的な時とともにあって、時間にまったく依存しない徴に過ぎないということになる。
「主に見えることになる」
「インシカーク章」第6節では、呼びかけでもしなければ聞かない人間たちにアッラーは《実にあなたは、刻苦を重ねる》[5]と人間の本質の一つを指摘していた。
筆者の個人的な解釈ではあるが、この聖句は、最後の日が間近に迫った状況での御言葉である。その警告に気づこうともせずに、彼の「主」を見失って、おそらく彼あるいは彼ら自身の「主」に向かって、刻苦スイッチを入れている人間たち。おそらくひどく呆れられているのではないか。
とはいえ、主を見失うことなく、アッラーの創造をたどるべく、「量子もつれ」の原初状態の中から降された、タグ付き画像を時間的配列によって並び替えるという気が遠くなるような刻苦もそこには含まれているはずだ。
人間は、「最後の時」に《かれに会うことになる》(「インシカーク章」6節)とされる。良心によって積み重ねた刻苦が報われることを祈るばかりである。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。
脚注
[1] 「しかも、その方程式はシュレーディンガー方程式の形式を持ちながら、外部の時間パラメータの代わりに、磁気時計の量子状態が「時間」として機能しているのです。つまり、シュレーディンガー方程式の時間パラメータを、時計系の自由度(量子状態)に依存する形で「再解釈」することができたのです。」「より簡易な言い方をすれば「シュレーディンガー方程式の時間要素の代わりに量子状態を当てはめることができた」とも言えます。驚くのは、こうしたアプローチによっても、シュレーディンガー方程式の構造自体はほとんどそのまま保たれる点です。」「通常なら外部から押し付けられるはずの「時間(t)」が、今度はシステム内部の量子もつれによって自然に定義されるわけで、私たちが当たり前だと思っていた「時間」が、じつは量子相関から浮かび上がる「指標」に過ぎないという、新しい見方を示唆しているのです。この結果は、従来は「外部から与えられる」と思われていた時間を、量子状態そのものが生み出すことを意味します。」
[2] 「この理論の重要な側面は、「原初において、すべてがすべてともつれていた」ということを示唆している点だ。つまり、量子もつれは宇宙に本来備わった原初的な現象であり、その時点では時間は真に絶対的だったかもしれないという。Verrucchi氏は次のように述べている。「このモデルの最も深遠な側面は、『原理的に』すべてのものがすべてのものとつながっていたはずだということです。つまり、量子もつれは宇宙に本来備わった根源的な現象なのです。その始まり、その特異点において、時間は本当に絶対的だったのです」。
https://xenospectrum.com/is-time-just-an-illusion-a-new-theory-of-quantum-mechanics-approaches-the-nature-of-time/
[3] 「存在のゼロポイント」は、井筒俊彦が提示したイスラーム存在論上の概念。次の論考を参照のこと。
[4] 「シュレディンガー方程式は、オーストリア人物理学者エルヴィン・シュレディンガーによって1926年に発表された量子力学の基礎となる方程式で、以下の式がシュレディンガー方程式です。
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量子と呼ばれる電子や光子のような小さな物体は、粒子としての性質と波としての性質の両方を持ち合わせています。その波を波動関数と呼ばれる関数で表し、その関数が従うべき物理学上のルールをエネルギーや運動量という粒子の性質と共通する属性を介して数学的に記述しようとしたのがシュレディンガー方程式です」。
[5] 「刻苦を重ねる」人間の生きざまについては次の論考を参照のこと。
タイトル画像:
Special Thanks to ryuseizan