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神は暴力を振るわない:《聖典クルアーン》星座章(第12節を中心に)

アラビア語の中の「力」とは

إِنَّ بَطْشَ رَبِّكَ لَشَدِيدٌ} (12)}
《インナ・バトシャ・ラッビカ・ラ・シャディード》

سورة البروج 12 《聖典クルアーン》星座章,12節

「直訳すれば、実に主の「力」は、激しさの極みである」とでもなろうか。星座章の第12節。直前の聖句が、《信仰と善行を共に行った者には、下を川が流れる楽園を持つことができる。それは偉大な勝利だ》とした直後の聖句がこれである。
ここで、「力」と訳されている元の言葉が、「バトシュ بطش 」[1]である。アラビア語で一般に「力」と言ったら、「クウワ قوّة 」が示される。能力、権力、軍事力なども含め、全般的に「力」を示す。他にも、地上の権力を示す「スルタ سلطة 」、意志や決断力の強さを示す「アズマ عزم 」、エネルギーや潜在能力としての力を示す「ターカ طاقة 」、権威や威圧感、あるいは圧倒的な力としての「サトワ سطوة 」、あるいは力の激しさや強さ、厳しさを示す「シッダ شدّة 」、影響力、権力としての「ヌフーズ نفوذ 」、専制的な絶対的権力を示す「ジャバルート جبروت 」。そして物理的な力、能力を示す「ハウル  حول  」などがある。「 لا حول ولا قوة إلا بالله ラー・ハウラ・ワ・ラー・クウワタ・イッラー・ビッラー。アッラーによる以外は力も能力もない。」クウワと、ハウルでアッラーの力をすべて網羅していることになる。

「あなたの主の「バトシュ」」

これらの単語の中から、この聖句で下されたのが「バトシュ」である。暴力的な力、強圧、支配なども示すこの語。「懲罰」の意味も含む点で、上にあげたような「力」を表す他の単語とは一線を画する。星座章第12節では、「あなた(=ムハンマド)の主の力」という語として降されていた。邦訳を眺めると日本ムスリム協会訳は「あなたの主の捕らえ方(懲罰)は強烈である」という具合に、それが懲罰であることを示しているし、中田訳は、「主の威力(復讐)は強烈である」とし、井筒訳では、暴力の方に舵を切って、「ひとたび主が暴れた給うたら、その暴れ方は凄まじい」としている。
アラビア語による注釈では、サーブーニーは「あなたの主のバトシュ」を、「アッラーの行なう復讐、彼のとる暴虐、残虐」としていた。そしてそれは、「激烈を極める」と。加えて「バトシュとは、激しさで形容される暴力の行使、何倍にも重大化。それは、暴虐と残虐による力で、彼は彼らに対して、懲罰および復讐を行なう」とアブッサウードを引用してもいた。

「バトシュ」とは

懲罰に急ぐのをやめ、少し頭を冷やそう。「バトシュ」の語、その意味を『リサーヌルアラブ』に尋ねておこう。攻撃や襲撃の際に力強く取る行為またはあらゆる物事において激しい取り方を意味する預言者の言葉から引いているのが「するとムーサ―は玉座のそばにしっかりとつかまっていた」という表現。力強く掴むことを意味している。
クルアーンの聖句から引いているのが、《あなたがたは暴力を振るとき、暴虐者のように振舞うのですか?》(詩人たち章26:130)」これについて、カラビーは「怒りに任せて殺すこと」と解し、別の注釈者は、「鞭で殺すこと」だと解しているという。また、ザッジャージュは「彼らを抑えつける行為は鞭や剣によるものであったという解釈があると述べたという。アッラーはその行為を非難したが、それはそれが不正によるものだったからである。ただし、正義のためであれば剣や鞭による抑えつけは許される」。『リサーヌルアラブ』からは、「バトシュ」が「強く掴むこと」であり、「暴力・力の行使」であり、そこには「罰・懲罰」の意味を伴うことが多いとみることができそうだ。

バトシュの激しさ

「バトシュ」は、罰や懲罰からは切り離せそうもない。現に、「塹壕の主たち」が「殺された」のも、この「力」によるものと読めるし、彼らへの報いは、現世、そして来世での懲罰だったのである。みることができよう。
しかし、この懲罰は、現世におけるフィルアウンやサムードを軍勢ごと殺害したことに限っても、最後の最後に下されたものであることは、この聖句に続いて、アッラーがよく赦し、愛情深く、また慈悲深い御方であり、改悛を促していることからも明白である。
ただし、「バトシュ」が下されるとなると、は本当に怖い。聖典上は、「ラ・シャディード」の一言であり、その日本語訳も、「強烈である」(協会訳)、「強烈である」(中田訳)、「(その暴れ方は)凄まじい」(井筒訳)と簡潔だ。しかし、「シャディードと同じ語形の形容詞は、限度を超えた極限的状況を示すのだ。したがって、人間がそれまでの「激しさ、苛烈さ」限界を突破して、アッラーのそれに近づいたとしても、その限度はあっさりと更新される。まさに塹壕の主たちもまた滅ぼしてしまう圧倒的な暴力なのだ。

人間のバトシュ

 「シャディード」の語形が人間には神の力を永遠に超えることはできないと宣告し、その罰や懲罰の暴虐の激烈の倍加が何倍にも果てなく続く。これに対して、人間たちの「暴力」はどうか?アッラーの力につねに上回れてしまうのことは、明白なのだが、だからと言って、「バトシュ」を持つことを諦めはしない。それどころか、アッラーの力など無視する形で、自分たちの力を増やし、それによって人々を十把一絡げに殺し、その力をもって人々に脅威を与えようとする。
聖典が言及する塹壕の主の時代とは比べ物にならない。タバリーの注釈に引用されていたように、「バトシュの激しい力」が指しうるものが、もはや鞭や剣ではない。たとえば、原子爆弾。10万人単位の規模と悪魔の破壊力で人々を一気にプラズマ化してしまうような熱量で焼失させ、都市を一気に灰燼に帰してしまう兵器を第2次世界大戦末期、アメリカは当時の科学の粋を結集させて完成し、実際に、使っても見せたのだ。人間でありながら、非人道的な人間による「バトシュ」の行使。生物化学兵器の開発や実用も含め、とどまるところを知らない人間たちの「バトシュ」への希求。

 「楽園」と「地獄」と

アッラーのバトシュは、しかしながら、最終手段。バトシュの背後には、人間への愛があり赦しがあり、慈悲慈愛がある。これに対して、人間のバトシュには、怒りはあっても赦しはなく、憎しみはあっても、愛はない。そこには無慈悲の荒野が広がっている。しかも人間は、これをちらつかせることでは満足できず、すぐにでも使おうとする。まさにこの世に「地獄」を生み出すための行為だ。
しかしながら、その一方で、人間たちは「天国」を創り出す営みにも飽きることがない。タージマハルを例に引くまでもなく、歴代のイスラーム王朝の支配者たちは、下を川が潺々と流れる楽園をこの世に作ってきた。タバリーは、クルアーンの中でたびたび言及される、天国を流れる川についての注釈において、「酒」と「乳」と「蜜」が流れているとしていたが、酒も乳も蜜も自由に手に入るという意味でもあるいは、PS細胞による再生医療の発達で部分的にではあるが不老不死が叶いそうだという意味でも、楽園状態がこの世にも広がっている。
しかし、それらはやや自分たちの天国を確保するために、自分たち以外の人々を集団で捕えて、無慈悲なバトシュに晒して地獄へ蹴落とすことになってはいないか。
もう明らかであろう。こうしたバトシュの行使が、決してアッラーの命令ではないことが。

人間にかかる期待

2024年11月11日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル賞を受賞した。ノーベル委員会は、


「被爆者は、筆舌に尽くしがたいものを描写し、考えられないようなことに思いをいたし、核兵器によって引き起こされた理解が及ばない痛み、苦しみを理解する一助となった」とし、「今日、核兵器の使用に対する『タブー』が圧力を受けていることは憂慮すべきである」とした。
また同委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は、「核兵器はロシア・ウクライナ戦争と、中東における紛争の両方に明確に関わっている。それだけではなく、我々人類全体にとっての課題だ」と訴えた。

https://digital.asahi.com/articles/ASSBC4QR8SBCUHBI02NM.html

この世を地獄にしないためには、人間による「バトシュ」行使の前にもまた全類全体に対する、そして、標的にされている老若男女、すべての人々に対する、「慈悲慈愛」の実現こそが最優先されるべきであろう。
そのためには、アッラーが全被造物の「主」であり、「慈愛あまねく」「慈悲深き」であることが、クルアーン解釈による法発見の際に主導的役割を果たすべきだと考える。そう、ムスリムのためだけではなく全人類にとっての創造主なのだから。幸いにして、星座章の最終節、「栄光に満ちたクルアーン。守護された碑板に(銘記されている)」は、いずれの不定名詞で降されている。そこに、クルアーン注釈の新たな可能性を見出すのは私だけではないはずだ。アッラーフ・アアラム(アッラーは、すべてを御存知)。

脚注

[1] 上の引用で「バトシャ」となっているのは目的格をとる場所に置かれているため。ここでは主格の語尾「ウ」で発音している形で「バトシュ」とした。以下同じ。

主要参考文献

アラビア語文献
『タバリーの注釈書』
『アッラーズィーの注釈書』
『リサーヌ=ル=アラブ』
サーブーニー『サフワッ=タファーシール』
日本語文献
井筒俊彦『コーラン』(下)、岩波文庫
日本ムスリム協会『日亜対訳注解聖クルアーン』
中田考監修『日亜対訳クルアーン』

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タイトル画像:

Papamanila - 自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9469068による


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