発達障害の私が自己犠牲体質になった理由と抜け出した方法
発達障害の私は、小学生の時からパシリ体質で自己犠牲体質でした。誰かの役に立つ方法がそれしかなかったからです。
今回は、私が自己犠牲体質になってしまった理由と、その後、とある学びによって自己犠牲が改善した話についてです。
10秒自己紹介
こんにちは。
日本一もあと一歩って時に、メンタル理由で好きなことが一切出来なくなってうつ病にもなり6年目、26歳チアキです。
ADHDとASDの診断も持っています。
今年に入り突然「もう一度日本一を目指そう」と決意し、あれこれ試しつつ奮闘しています。
(まだ練習再開ができていません)
友達の役に立てない
ASD傾向がかなり強かった私は、コミュ力が特に絶望的で、小学校の卒業間近になっても医者と会話が成立しないレベルでした。
小学生であっても、結構みんな楽しそうに会話してたり、笑わせたりするじゃないですか。
私はそういう事が全くと言っていいほど出来なかったんですね。
なんなら嫌われていじめられてましたし。
高校や大学に入って、コミュ力の本を何十冊も読んだり人間観察に力を注ぎまくった結果、多少は会話が成立するようになったんですけど、
周りのレベルはもっと上がってるんです。
悩み相談なんてされないですし、仮に相談されても絶対2回目がないんですよ。満足いく聴き方が出来なかったのでしょう。
(自分の能力のせいなので仕方ないですが)
で、コミュ力のなさと要領の悪さが1番大爆発するのって個人的にはグループワーク系だと思ってて、
・家庭科の調理実習
・理科の実験
・グループ作って話し合う授業
・修学旅行とかの班行動
・委員会や係の仕事
この辺りがもう引くほど出来なくて、苦痛で苦痛で仕方ないんですよ。何故ならお荷物になるから。
お荷物なのは自分で分かってはいたのですが、たとえ先生の言うことを一言一句聞き逃さないように努力しても、全く出来ないんですよね。
毎日毎日、クラスメイトの役に立てないどころか疎まれるばかりの日々で、私の劣等感は膨れ上がっていきました。
家でも役立たず
さて、学校で役に立てないからと言って、家でお手伝いとかすれば「役に立ってる感」も得られそうなもんですが、
私の家庭は特殊で、二つ下の妹が最重度の自閉症で言葉も喋れないし、こだわりの量が尋常じゃなくて、お手伝いをさせてもらえるような環境ではありませんでした。
妹のこだわりが強すぎてキッチンどころかリビングにも入れなかったからです。
冷蔵庫の中身を触る権限もないし、自分の部屋以外のモノを動かすことがまずダメだったんです。
でも親は激烈に苦労してるんですよね。常に寝不足でどこでも居眠りするし、私から見た両親は「妹のこだわりを満たすためだけの奴隷」でした。
(妹の奴隷ではありません。こだわりの奴隷です。妹は悪くありません。自閉症という障害が悪いのです。詳しくは下の記事)
で、そんな親の苦労を見ながらも、自分には障害のことも分からないし、何もできないわけで、ここでも「自分は役立たずだ」という風に思っていました。
何でも良いから必要とされたい
・家では家事も出来ない役立たず
・学校のグループワークはお荷物
・友達を喜ばせることもできない
(むしろ嫌がられてばかり)
こんな具合でしたから、役に立てる場所はほとんどありません。
それでも私は、どんな形であっても誰かの役に立ちたいという思いが強く、最終的にパシリや自己犠牲に走るようになりました。
「発達障害 (特にASD?) は人に興味がなくて利己的だ」なんて言われますが、
当事者の中にも結構な割合で「人の役に立ちたい」「喜ばれたい」という想いを持っている方がおられるように感じます。
少なくとも私はそのタイプで、小学生の高学年になる頃にはもう、「役に立ちたい」一心でありとあらゆる行動に出ていました。
幼い自己犠牲
とにかく役に立ちたいと思っていた私ですが、やはり出来ない部分がめちゃくちゃ多いわけで、役に立つための行動はかなり変わっていました。
例えば給食。
「ちょうだい」と言われたものはデザートでも何でも全部あげてました。喜ばれるならもう何でも良かったんです。酷いときはパンまであげてて周りが止めるレベルでした。
例えば係活動。
年中配り係をやってましたが、席替えを真っ先に覚えて、超高速で配りまくりました。他にできる仕事がなかったからです。
それだけならまだしも、仲間がサボれるようにと、分担もせずに全員分配り切ってました。
掃除もそうです。
これまた皆さんが楽できるようにと、1人で数人分をやっちゃう勢いで片付けるわけです。
誰がサボってようが絶対に文句は言わないし、人気のホウキは使わず常に雑巾掛けを率先してやりつつ、役に立っている自分に満足していました。
ちなみにトイレ掃除はやり方が分からないのと分担が必要だから完全に無能でした。
持ち物も結構多くて、
忘れ物をした子が困らないようにって所まで考えてたまに予備とか持って行くんですね。縄跳びとかそういうポジションのやつを。
高校では体操服の予備をロッカーに常備してて、その頃はよく頼られてたので満足してました。
防災意識もなぜか無駄に高くなってて、
「地震の時に避難グッズもってたらみんなの役に立てるかも」
「火災の第一発見者になって消火できればヒーローになれるかも」
みたいな変な夢想ばかりしてました。
家にも謎に避難グッズとか置いてました。
部活でも自己犠牲丸出しで、
常に誰かが楽できるように、1番きついポジションの球拾いばかりをやっていました。
(私が楽しそうにやるもんだから、球拾いをさせて後輩をいびりたがっていた先輩に交代を命じられるという)
犠牲になれば舐められるばかり
給食をあげまくったり、
係活動を全部やってしまったり、
掃除は皆が嫌がる仕事をしてばかり、
忘れ物の救世主になりたくて荷物を増やし、
謎に防災まで意識する。
今見たらアホらしい努力にも見えますし、そんなことじゃ誰もそんなに喜ばないってことも分かるのですが、
コミュ力の死んだ当時の私にはこれしか出来なかったので、やっててどれも満足感がありました。
しかしこんな事ばかりしていたら周りは当然舐め腐るわけです。
「こいつなら何をしても嫌がらないんじゃないか」ってことです。
もはやそこに対等な関係はありません。
駒のように扱われ、
仕事を押し付けられ、
聞こえるように陰口を言われるわけです。
パシリのようになったこともあり、
中学の時は友達がその状況に気づいて親と先生巻き込んで止めてくれた(神対応)けど、
友達に言われても、いじめられてることに長らく気づけなかったぐらい、私は麻痺していました。
私の願望
私はただ、誰かの役に立ちたかったんです。
みんなの仲間に入りたかった
自分が活躍する場所が欲しかった
自分が居てもいい理由が欲しかった
誰かの迷惑じゃなくて役に立ちたかった
それだけの思いだったけど、やっぱりバカにされるしいじめにも遭うんですよね。
特技もコミュ力も仕事力もなく、活躍の場も役割の一つもなければ、
たとえ小学生であっても「役に立ちたい」という渇望が生まれます。
その渇望を適切に叶える方法を知らなかった私は、たとえパシリになっても、下に見られていじめに近い状態になっても、甘んじて受け入れてしまったのです。
ただ、誰かの役に立ちたかっただけなのに。
自己犠牲が減った時期もあった
上で話した私の「妙な自己犠牲」のピークは小学校高学年から中学2年ぐらいで、
実はそれ以降は妙な自己犠牲は徐々に形を変えていきました。
きっかけは部活と勉強が出来ると分かってからです。すごく都合の良い話ではありますが、コミュ力が爆発しかけてた私にもかろうじて特技が見つかったわけです。
部活ではずっと1番だったので、それを利用して、みんなに教えまくったり、打ち合いの相手をしまくったり、
得意な部分を活かして周りの役に立つことができるようになったのです。
相変わらず調理実習ではお荷物になるし、委員会活動でやらかしまくるし、悩み相談もできなかったけど、
自分を貶めてまで人の嫌がることをやりまくる必要がなくなり、
その代わりに、誰も出来ない価値のあることを提供できるようになったのです。
勉強も同様で、1番さえ取っていれば誰も分からない問題を私だけが解けるという状況になるので、勉強を教える、価値の高い人間になったわけです。
もちろんこの後色々拗らせて1番病になったりで大変になったわけですが、
「得意なことを活かして、人には出来ないことをやって役に立つ」
これが出来るようになってから、人の役に立つことをしながらも、周りにバカにされることなく、むしろ感謝されるようになったわけです。
当たり前ですが、結局、「役に立ちたい」という願望は「誰かの役に立つ」という方法でしか解決しないのだと思います。
うつ病になって再び悪化する
先ほどは偉そうに「価値があることをすれば良い!うぇーい私すごーいw」みたいなクソ話を垂れ流してしまいましたが、
今の私、けっこう昔の自己犠牲体質に戻ってるんですよ。
理由ですか?
うつ病になったからです。
しかも外で働けてないんですよね。
この、「働けてない」って状態がとにかくまぁ精神的にキツくて。
今も彼氏の家事手伝いとかコーチみたいなことまでやってるからそこそこ満たされてはいるけど、
周りの同世代は就職して働いてるんですね。
私はと言えば、ただの家事手伝い。専業主婦は素晴らしい仕事だと思いますが、私はそういう社会的な役割がないから肩書きはニートなんですよ。
なんだか社会の役にも立ててない感が強くて、劣等感が凄いし、どんどん自分のことを嫌いになっていったんですね。
そうするとまた自己犠牲が始まるわけですよ。
彼氏と二人暮らし中なのでそこがメインになりますが、
・鬼のような節約
・大嫌いな自炊を続ける
・1時間とかかけて朝起こす
・家事は全部負担
・大学院のレポートや勉強の手伝い
・彼のタスク管理
・病院の付き添い
・大学院の書類も全部代行
・福祉サービスの申請なども全て代行
半年以上これ全部無給でやってたんですよ。
(「彼氏を甘やかしすぎだろ」と思われるかもしれませんが、かなり重度のADHDで二次障害も出てるのでガチで障害で出来ない部分を手伝ってるだけだったりします。この前病院で障害年金1級相当の診断書が書かれてました。つまり相当重い)
で、これだけだと「生活に必要なことだろ」って感じですが、
で、問題は自分の時間がゼロになってたことなんですね。うつ病で体力がないのはここで問題になるわけです。
で、これだけ自分の時間を失っても私は何も見返りを求められなかったんですよ。
冷静に考えて、同じ障害者なのに一方の人生丸ごと犠牲にして片方だけ大学院通うとか異常も異常ですよ。
途中から妹氏のアドバイスにより、「生活費ぐらい出させろよ」ということで多少バランスは取れるようになりましたが、
自分の価値を低く見積もりすぎて、しばらくは激安価格しか請求できませんでした。
もう自己犠牲の極みですが、この後少しだけ治ってきてるんですね。
もう一回自己犠牲が減った理由
今の私はうつ病でありながらも、変な自己犠牲は減ってきているんですよ。働いた分のお金はだいぶ請求できるようになったし、自尊心も多少マシになっています。
自己犠牲が減った理由はシンプルで、
正しい与え方を学んだからです。
役に立つ方法には2種類ある
私が自己犠牲に走った理由は「役に立ちたい」からですが、その渇望を満たす方法には実は2種類あるということを学びました。
それは、
①自分は損をして相手に得をさせる自己犠牲
②自分も相手も得をするウィンウィンな取引
この2つです。当然ですが、
❌自己犠牲
⭕️ウィンウィン取引
になります。
自己犠牲は何がダメなのか
自分が損をして相手が得をする自己犠牲は一見すると美しい話のようにも見えますし、「何が悪いの?」と思われるかもしれませんが、
マジでダメです。
理由は2つあります。
①周りに舐められて搾取される
②与えられる量が少ない
①周りに舐められて搾取される
こいつは「損をしても自分に得させてくれる」と思われると厄介なんです。世の中には良い人ばっかりじゃないですから、
何でもかんでも面倒事押し付けられるわ
軽く扱われるわ
下手したらいじめられるわ
パシられるわ
自分の人生がどんどん悪い奴らに奪われていきます。
②与えられる量が少ない
例えば財産とか自分の時間をあげたら当たり前ですけどなくなりますよね?
あとで詳しく説明しますが、それ以上の可能性が全くないんです。
あと普通に自分が辛くなりがちというのもありますが、
このように、自己犠牲ってのは舐められるわ大した成果も出ないわ、良い事ないんですよね。
ウィンウィン取引が正解
自分が損をしてでも与えようとする人間は舐められて搾取され、成長どころか疲弊するのでそれ以上人の役に立てる人間にはなれません。
そこで重要なのが、「自分も得して相手も得することを重視する」という考え方です。
お腹空いてる時に自分の弁当を全部あげちゃうのはどう考えてもヤバいですが、
お腹いっぱいになったから残りは誰かにあげる、とかなら全く損しませんよね?
自分の成長に繋がらないのに球拾いばっかりしてるのは良くないですが、
一緒に打ち合いの練習をするならどっちも成長しますよね?
こういうことが出来る人はかなり成功しやすいですし、成長するし好かれるし、良いことずくめらしいのです(参考文献)
私がウィンウィン取引を知ってから
さて、このように、自分も相手もハッピーになると良い、と理解してから、私は少しずつ変わってきました。
イライラするだけだった家事を手抜きして、その代わりに将来稼げるように勉強やnoteを始めました。
ADHD支援自体はなくならないので、勉強した内容を発信することで、自分の自己肯定感を上げるようにしました。
あとは家事に対して適切な報酬を貰うようにしました。
結局、彼氏も搾取はしたくなかったようで、お互いに最も納得する形で、私は家事の代わりにお金をもらっています。
その結果、異様な焦りや劣等感がかなりマシになったんですね。
特にnoteを始めてから良くなってます。
私にとってnoteはとてもよくて、
・頭の整理
・人目があるから頑張れる
・溜まっていく記事を見て自信がつく
・役に立ちたい願望を満たせる
などなど、メリット満載ですし、
読んでくれる方の役にも立てるのでウィンウィンなのです。
まとめ
私は小学生の時から自己犠牲体質でしたが、その理由は、(発達障害と家庭の事情により) 誰の役にも立てなかったからです。
パシリに成り下がろうとも誰かの役に立ちたかったのです。
その後、運良く自己犠牲をしなくて済むような環境に出会って上手くいくようになったり、また環境や病気により自己犠牲体質に戻ったりしながら、
「役に立つこと」の本質を学ぶことでそこからもう一度脱却が始まりました。
自己犠牲をしていると舐められていじめられるし、面倒事を押し付けられまくって最終的には何も与えられない人間になってしまいますが、
自分も相手も得するように工夫を凝らせば、成長するし、好かれるし、良いことずくめなのです。
このような学びによって、私は自己犠牲を減らして精神的にも落ち着くことができるようになりました。
自己犠牲に走りがちな方は、「自分も相手も得する」道を探してみると良いかもしれません。
自己犠牲になるのは環境のせい?
ここからはオマケです。
ここまで色々話しましたが、実際のところどうでしょう?
ウィンウィン取引が出来ずに自己犠牲に走ってしまっている人がいたとして、
それは本当にその人のせいでしょうか?
私は違うと思います。
まず、その人が苦手な環境にいるとか、搾取大好きなやばい奴がいて、すでに舐められてまくってる状況にある場合、場所を変えた方が圧倒的に早いと思います。
ぶっちゃけウィンウィン取引が出来るかどうかなんて環境と運がデカいと思うんですよ。
私が勉強を教えることでウィンウィンになれていたのは、私が高校受験の時にランクを2つ下げたからです。
私の頭が良かったんじゃありません。私の学力でお山の大将になれる学校にいったからです。つまり環境なんですよ。
別に全員がお山の大将になれって話ではないのですが、自分の持つ力を発揮できる環境に行くというのは重要なことだと思うのです。
皆様の環境はどうでしょう?別に転職しろとか転校しろとか言うわけではありませんが、
普段よく関わっている人を少し変えてみるとか、新しいコミュニティを見つけるとか、そういった所から行動してみると何か変化が起こるかもしれません。
参考文献
自己犠牲は良くないが、ウィンウィンな与え方をする人は成功する、という話です。
ここでは書きませんでしたが、自己犠牲を強いる悪い人(テイカー) についても解説されていますので、搾取されやすいと悩む方にもオススメです。
お読みいただきありがとうございました。
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