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花火があがる空の方が町だよ  尾崎放哉


 人が多い。普段、人なんて滅多に通らないというのに。時刻は18時、日が沈むにはまだ早い蒸した夏のこと。散歩に出かけるために出た外は、人のせいでいつにも増して、暑いような気がしていた。人通りの理由は、しばらく歩いてみても、一向にわかる気がしなかった。居心地の悪さから、もっと人のいないところへ足を伸ばそうと、真反対の河原へ向かった。水に近い分、幾分か涼しい河原へ腰を下ろして、再び考えてみる。この辺りで開かれるバザーはつい先日終わったばかりで、祭りはあと1ヶ月先、運動会は2ヶ月も前のことになる。はて、なんだったか。徐々に暮れていく空を眺めつつ、不意に辺りを見渡してみる。すると、浴衣姿の女の子が二、三人、和気藹々と話しながら、街の方へ歩いていくのが見えた。そういえば、あの喧騒の人々も皆、浴衣を着ていたような気がする。どうして、と思ったところで、後ろを過ぎていく女の子の声がした。

「花火があがる空の方が街だよ」

 そういうことか、と膝を打つ。生まれてこのかた、花火大会というものに縁がなかった。行こうと思うと雨が降り、行かぬと決めると晴れ渡る。天気を操っているような気がしてしまうほど、まともに花火を観られなかった。だったらいっそ、もう観なくても良いと、随分前に決めて以来、花火の情報には酷く疎くなっていった。家の向かいでやっていることすら、1年経てば忘れてしまう。歳をとったなぁと思いながら、暗くなり始めた辺りを一瞥し、立ち上がる。彼女の言っていたあの言葉は、どこかで聞き覚えがある気がするな。そのことでも考えながら、家まで帰るとしよう。その道中、少しでも観られたら。一歩目を踏み出したその瞬間、肩に冷たい何かが一滴、落ちた。

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