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ぶらり、ぶんがく。本と歩く

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文学作品にまつわる聖地、名作や話題作の舞台となった場所を、本を手に散歩する企画です。
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2020年4月の記事一覧

桜の樹の下には…人影なく

梶井基次郎「桜の樹の下には」  ウイルスのせいで、花見は超自粛ムードに。でも、社会が暗いせいか、令和初の桜はいつもより華やかにも見えた。花の色は、見る人の気分次第。  サクラサク、春本番、入学式の彩り…と好印象もある一方、散り際から無常感とも結びつく。死や怪異のイメージを広めた名文といえばこれ。  桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。  梶井基次郎(1901〜32年)が

人足寄場の光に照らされて

山本周五郎「さぶ」  江戸時代、隅田川の河口に二つの小さな島が並んでいた。石川島と佃島。石川島には人足寄場があった。戸籍から外れてしまった無宿人や軽度の犯罪者の収容施設で、火付盗賊改方の「鬼平」こと長谷川平蔵の進言で創設された。職業訓練をしていたらしい。どんな様子だったのかを教えてくれるのが、山本周五郎(1903〜67年)の時代小説「さぶ」。  この寄場は他の牢とは違い、収容者を罪人とはみなさない。(中略)手に職のあるものはその職にはげみ、職のない者は好みの職を身につける

トリックの鬼はここから

横溝正史「本陣殺人事件」  ちびた下駄にシワだらけの着物姿、まったく風采が上がらない青年が、もじゃもじゃ頭をかき回し、鋭い推理で難事件を解決する。横溝正史(1902〜81年)による名探偵・金田一耕助シリーズは、石坂浩二や古谷一行らによる映像化などで人気を集め、昭和の推理小説ブームを牽引した。『八つ墓村』『犬神家の一族』などが有名だが、その第一作が『本陣殺人事件』。  伯備線の清−−駅でおりて、ぶらぶらと川−−村のほうへ歩いて来るひとりの青年があった。見たところ二十五、六、

文豪の代表作は日記だった!?

谷崎潤一郎「細雪」  「こいさん、頼むわ。ーー」鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、(中略)「雪子ちゃん下で何してる」と、幸子はきいた。「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」ーーなるほど、階下で練習曲の音がしている。  文豪・谷崎潤一郎(1886〜1965年)の代表作「細雪」の幕開け。こいさん、は関西弁で末娘をさす。四姉妹の末妹、妙子に声をかけたのは次女の幸子。二階の部屋に置かれた鏡台の前で姉が妹に白粉を引いてもらう。B

川が旅路に続いている

松尾芭蕉『おくのほそ道』  月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。  時間は永遠に歩みを止めない旅人だ。すなわち人生も旅だ。昔から旅に生きて旅に死んだ者は多かった。私も漂泊したいという思いが募って…。そんな風に書き出される「おくのほそ道」は、江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644〜1694年)の代表作。150日間2400キロに及ぶ旅の出発地となったの

路地にこそ、感情がある

永井荷風『日和下駄』  お散歩コラムの小欄としては、この本は外せない。『濹東綺譚』などで知られる作家の永井荷風(1879〜1959年)が、東京の街を歩きまくるエッセー集。こう書いている。  その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである(中略)私は唯目的なくぶらぶら歩いて好勝手なことを書いていればよいのだ。  お気楽モードを強調して、目指すのは風光明媚な名所