人足寄場の光に照らされて
山本周五郎「さぶ」
江戸時代、隅田川の河口に二つの小さな島が並んでいた。石川島と佃島。石川島には人足寄場があった。戸籍から外れてしまった無宿人や軽度の犯罪者の収容施設で、火付盗賊改方の「鬼平」こと長谷川平蔵の進言で創設された。職業訓練をしていたらしい。どんな様子だったのかを教えてくれるのが、山本周五郎(1903〜67年)の時代小説「さぶ」。
この寄場は他の牢とは違い、収容者を罪人とはみなさない。(中略)手に職のあるものはその職にはげみ、職のない者は好みの職を身につけることができる。それらの作業には賃金が支払われるし、それはやがて世間に出たとき正業につく元手になる。
主人公は、腕利きの表具師である栄二。身に覚えのない盗みの罪をきせられて、納得できないままに人足寄場に送られる。必ず仕返ししてやる…と憤り、世を恨み、孤独のうちに引きこもる栄二だったが、やがて、役人や仲間との交友の中で心と目を開いていく。
自分の一生がめちゃめちゃになった、という考えかたが間違いだった、ということだけは認めなければならない。
平穏で恵まれた生活の中の自分は、いかにも小さく、薄っぺらで、いい気な人間のように思える。
世間の見え方が変わってきた栄二は、自分を信じて待ってくれている親友、さぶの願いに応じようとするが、寄場の中にも買収や不正がはびこって…。
地下鉄月島駅から、北へ。立ち並ぶタワーマンションの足元にある公園の一角に「石川島灯台」が立っている。本物の灯台ではない。人足寄場があったことを示す記念碑みたいなものだけれど、しっかりと光っている。
案内板には、航行する船舶のために寄場奉行が油絞りの利益を割き、人足の手で灯台を築かせて、近在の漁師たちが喜んだ、などと来歴を説明してある。ふむふむ、と読みながら思い出したのが、「さぶ」のワンシーン。自由の身になった栄二は、収容中に稼いだ自らの賃金の半分を、傷んだ人足寄場の再建費用に加えてほしいと申し出る。話を聞いた与力は、黙ってうなずく。本書の読みどころのひとつだが、公益に尽くした人々が本当にいたことを知ると、ますます胸にしみた。
2020/3/2 夕刊フジ