欅坂46の青春と惰性。
先日欅坂46が年内での活動休止、そしてグループ名を改めて活動することが発表された。
シングルは丸一年リリース無し、ライブは去年の東京ドームを最後に行われておらず、平手友梨奈含む主要メンバーの相次ぐ離脱、そしてこんな最後を迎えてしまうとは…って感じですね。
自分は乃木坂、日向坂は好きなんですけど、欅坂に関してはあまり語りたくな節がありまして。というのも欅坂に対しては「えぇ、それどうなん?」的な感じの見方をしてしまうことがあって。まぁ外から見たらアンチって思われてもおかしくないかも知れない感じの言動をしてしまうことが多々あるんすよ。あっ、露骨な人格否定とかはしませんよ。具体的に言うと平手友梨奈ファンがよくやる、神格化具合に対してちょっと冷めたこと言っちゃう感じのあれです。
まぁそんな感じで欅坂のことを喋るのはあんま好きじゃないんですけど、この機会に欅坂46って一体なんだったんだろうってことを振り返ろうと思います。欅坂のことよく知らないですよーって人のためにも、わかりやすく時系列で説明しようと思うんでよろしくお願いします。
欅坂46はアイドル=青春の最高到達点
欅坂46は乃木坂46の妹分として発足され、2015年8月に行われたオーディションに受かった20人と、諸事情により特例で合格した長濱ねるが後から合流する形で、計21人のメンバーで結成されました。
ここで特筆すべきなのは、あくまでも彼女たちは乃木坂46に憧れて欅坂46のオーディションに受けたということだ。
当時の乃木坂46といえば、西野七瀬を絶対的エースに据えて楽曲、ビジュアル、クリエイティブ面での全盛期を迎えてる時期。そんな西野七瀬みたいに大人しくて儚いアイドルになりた〜いなんていう理想が、後々付き纏うパブリックイメージとのギャップに苦しみんでいくこととなります。
そんなわけで乃木坂46に憧れて可愛い曲をやりたかった欅坂46は、どういうわけか知らないけれど大人への反抗をテーマにした「サイレントマジョリティ」というかっこいい曲でデビューすることとなります。
「サイレントマジョリティ」は予想以上の反響を巻き起こし、姉妹グループの乃木坂46以上に注目されることとなります。
この曲が発表された頃の音楽シーンは、フェス文化の隆盛で躍進した、ロキノン系四つ打ちバンドが飽和状態を起こし、それに対抗するようにシティポップムーブメントが勃興している時期です。
ただこの四つ打ちバンドブームとシティポップムーブメントに共通していた問題があります。それは絶対的なカリスマ不在という点です。というかそれまで以前で、コアな音楽ファンのみならず一般層にも認知されている絶対的カリスマって、下手したらミスチル桜井まで遡らないと出てこない可能性ありますしね。ギリギリ藤原基央がその時点での最後のカリスマじゃないですかね。川谷絵音ももうちょいでなれそうだったのに、ちょうどベッキーとの不倫問題で一般層からの評判を落としてしまったのも痛い点です。
そんな圧倒的主役不在のシーンに彗星の如く現れたのが平手友梨奈でした。あそこまでストレートに大人への反抗を口に出した歌詞を、奇抜なダンスとアイドル離れした質の高い楽曲で表現する。そしてなによりも14歳という、青春真っ只中の年齢だったのが多くの若いリスナーを惹きつけた要因だと思います。
「サイレントマジョリティ」以降の躍進は凄まじものでした。夏の爽やかさとアイデンティティの確立を歌った「世界には愛しかない」(個人的に秋元康はこの曲のポエトリーリーディングで味を占めたせいで、歌詞の字余り問題が悪化したと思ってる)、季節の移り変わりを舞台に出会いと別れを描いた名曲「二人セゾン」、欅坂=反抗をより強固なものとした「不協和音」と出すシングルはどれも強烈だった。
「不協和音」リリース後は今では悪名高いファンが握手会に発煙筒を持ち込む事件が発生。これを機に平手友梨奈のコンデション不良、いわゆる闇落ち状態が続くことなります。この頃ぐらいからですかね、メンバー間で「21人の絆」という強固な仲間意識が生まれたのは。今となってはTIFの平手が死にかけたパフォーマンスしてたのも懐かしいですね。
2017年夏に1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」をリリース。欅坂46が10代の青春を凝縮した稀有な存在であることがわかる傑作です。尾崎豊の「17歳の地図」とタメ張れるくらい、思春期というものをクローズアップした素晴らしいアルバムです。正直な話、欅坂46を聴くってなったらこのアルバムだけ聴けば問題ないと思います。
平手友梨奈はリオネルメッシだった
そしてこの年1stアルバムを提げた全国ツアーの最終公演で、ベストパフォーマンスと称させることも多い「不協和音」をラストに披露します。自分はここで欅坂46は終わっても良かったんじゃないかなって思うんですよね。今思うと青春の具現化というテーマで始まった欅坂46にとって、あの時の「不協和音」はそのミッションを完遂するのに完璧なタイミングだった。
この頃、先述の発煙筒事件をきっかけとした平手友梨奈のコンデション不良問題に加えて、活動休止状態だった今泉佑唯の復帰、サブグループのひらがなけやき(後の日向坂46)との融合といった多くの問題が生じてました。
しかし最大の問題は平手友梨奈と欅坂運営のパワーバランスが逆転したことで、平手一強体勢に拍車がかかったことだ。
「お前文春の言ってること鵜呑みにしやがって」って思われそうだけど、平手がライブの演出もやり始めた話って文春云々の前からあったわけで。とにもかくにも、この時点で歴代秋元系アイドルの中で最も秋元康の寵愛を受けていたわけだから、運営も逆らえることが出来ません。
これは前乃木坂に関するnote書いた時にもした話なんだけど、乃木坂はサッカーで例えるとスペイン代表だ。ずば抜けたスターこそはいないけど、全員の技術が高く、なおかつ個性を持ったバランスの取れたチームだった。イニエスタ、シャビ、トーレス、カシージャス、ラモスといった具合に乃木坂には白石麻衣、西野七瀬、生田絵梨花、齋藤飛鳥、橋本奈々未と豪華な面々がいる。全員の個性、レベルが高かったからこそ、長い間頂点に君臨することが出来たのだ。
じゃあまりにもずば抜けたスターがいるとどうなるかというと、どうしてもスターに頼ってしまうが故にチームはバランスを崩してしまうことがある。サッカーでいうアルゼンチン代表がまさにその例だ。サッカーの歴史上最高の天才とも称されるリオネルメッシを擁していながら、近年はタイトルからも遠ざかっている。それどころかメッシがいないと、ワールドカップ出場も危ういほど弱体化してしまった。決してメッシだけしかいないわけではない。アグエロ、イグアイン、ディマリアとワールドクラスの選手はいる。ただメッシを前にすると途端に彼らは霞んでしまうのだ。
欅坂も同様だ。特例加入が認められるほどの天性のアイドル適性を持つ長濱ねる、ファッションモデルとして定評がある渡邉理佐、パフォーマンス面で高いレベルを持つ小林由依と凄いメンバーはいる。だけど彼女たちも平手友梨奈を前にした途端霞んでしまう。それほどまで平手友梨奈は天性のカルチャーアイコンなのだ。というか欅坂46そのものとイコールの関係になりつつあったのだ。
神格化、一人歩き、そして惰性
2017年秋に5thシングル「風に吹かれても」がリリース。イメージ一新のスタイリッシュで楽しいナンバーなこの楽曲ですが、特筆すべきはカップリングの「避雷針」ですね。
先に言っとくと自分はこの曲嫌いです(笑)。まぁなんていうか、今までの欅坂って秋元康が一応十代の若者に向けて歌詞を書いてたから共感を得てるみたいなところがあったのに、この「避雷針」って曲、秋元康が平手友梨奈に向けた歌詞になっちゃったんですよ。まぁアルバムに入ってた「自分の棺」ぐらいからそんな兆候あったけど、あれは平手のソロだから当て書きはまぁ許そうとは思ったよ。グループ曲でこれ書いたら、あまりにも狭い世界観になっちゃうじゃん。
それが実はファンの間では偉く人気が高いんですよねこの楽曲。というかリリース時点から凄い支持されてて、「辛気臭くて受けなさそうなメロディなのによく人気になったな」って思ったんですよ。ここで思ってしまったことがあって、この時点で欅坂を好きって言ってる人は欅坂じゃなくて平手友梨奈が好きな人が大半なんじゃないかって。
ここからの欅坂って正直言っちゃうと、まともなファンを脱落させるようなことしかしないんですよね。言い方は悪いけど。平手の音楽番組でのパフォーマンスは目に見えてやる気無いし、本気出したと思ったらすぐ気絶するから見てて冷や冷やするし。
自分が完全に見切りをつけてしまったのは、ひらがなけやきとの合同でやる予定だった武道館ライブを、平手の怪我だけを理由にドタキャンしたこと。もうこれで欅坂は平手友梨奈がいないと何も始まらないんだなって思ってしまった。まぁこの危機的状況の代打としてひらがなけやきが、武道館ライブを3日間やり切った後の躍進に繋がると考えると感慨深いものです。
こっからは限りなく自分語りみたいになってしまうのだが、それからというものの自分は積極的に欅坂の情報を得ようとしなかった。そんなことをしなくても悪いニュースだけは勝手に入ってきた。メンバーの相次ぐ恋愛スキャンダル、ゴリゴリの主力メンバーばかり卒業する、合同オーディションやったら欅坂への配属を嫌がる子続出、冠番組がつまらなすぎて番組名がなんJのつまらないの単位になる、などなど。
ある日友人から「先週の「欅って書けない」凄かったぞ!」と言われて、久しぶりに冠番組を見た。その回は最新シングル「黒い羊」のヒット祈願キャンペーンとして、滝行に行った模様を放送していた。
「もう宗教じゃねえか」
あんだけ10代のありったけのエネルギーと青春を歌ってた彼女たちはもういませんでした。そこにいたのは絆というあまりにも空虚な概念と、平手友梨奈という幻影に囚われた人々の光景だった。それにこれ一応バラエティ番組なんですよ。同じ滝行でも乃木坂と比べたら、バラエティではなくてもはやただの拷問を見せられている気分です。これを見て感動したって言っているファンは、色々考え直した方がいいですよ。アイドルとして狂気の沙汰だよ、マジで。
終わりの始まり
今年の頭に平手友梨奈は欅坂46から脱退を発表した。半年経って欅坂46そのものもその歴史に幕を閉じることが発表された。欅坂そのものと化していた平手友梨奈という絶対的なアイデンティティがなくなったのだから仕方ない。サカナクションも言ってただろ?アイデンティティが無いと何も生まれないって。
活動休止を発表した無観客ライブ終了後、そのライブとは全く関係のない平手友梨奈が名前がTwitterのトレンド入りを果たした。彼女は欅坂にもういないメンバーであり、ライブには参加していないのにだ。なんだが残されたメンバーは平手友梨奈という幻影と今も戦っているように思えた。
ファン、リスナーは欅坂に多くを求めていたのかもしれない。デビュー直後のあの眩い輝きを見せていた欅坂は、あの時だからこそ出せてた輝きだと思うし。それを成熟した彼女たちに求めるのは、本人達にとって相当なプレッシャーだったはずだ。我々も日々成長する様に、彼女たちも成長するのだ。
だからこそ改名したとしても、今彼女たちが最大限出すことが出来る輝きを放って欲しいと思ってる。アイドルっていうのは現在進行形で追いかけるコンテンツだであって、欅坂という枠が外れ、再び真っ白となった彼女たちが描く未来を見てみたいのかもしれない。彼女たちの未来に幸多きことを願う。