木曽路の美しさが伝わる本|夜明け前
長かった。つ、ついに、島崎藤村「夜明け前」を読み終えました。
"木曽路はすべて山の中である"の出だしで有名で、ウェブデザインをやっている人ならダミーテキストとして見たことがあるかもしれない。
Kindleで無料配信されていなかったら、本の分厚さからおそらく手にとっていなかったと思うので、切っ掛けをくれたKindle (Amazon)にまずは感謝したい。こんな大作が無料だなんて。まだ読んだことがない人はとりあえず、ポチっとダウンロードしておくのをオススメします。
本は紙派なんて思ってたけど、海外にいてもこういうのを読めるとは本当にありがたい時代になりました。
読書感想なんて学生以来文に書き起こしたことすらない。しかも、読んだ本の話を話し合えるような人もなかなか身近にいない。そんな私ですが、少しでもアウトプットをしないと忘れてしまうので、練習がてらの綴りとなります。ネタバレになる内容もあるかと思います。
まず、この本を読む気になったのも、木曽や中山道といったキーワードを身近に感じていて、懐かしさもあったからだと思う。実家の近くのいつも使う道は旧中山道だったし、中部地方で育った私にとって馬籠や妻籠はもちろんのこと木曽の宿場町は、他県の人が遊びに来た時に案内するような定番観光地だった。
だからかこの本を読んで、まず心を揺さぶられたのは、山谷の四季の移り変りと共に生きる人々や、凛とした空気感がとても綺麗に描写されていること。馬籠の斜面にさんさんと降り注ぐ柔らかい日差しの暖かさも、山が芽吹くときの穏やかな幸福感も、折り合うような山々の地形の中で、日が陰るのが早い地域独特の、冷たい空気を肺一杯に吸った時にすこし淋しくなるような気持ちも、すうっと入ってくる。
というのも、島崎藤村自身が馬籠出身で、この本の主人公青山半蔵は彼の父親がモデルとなっているのだ。物語の終盤で、藤村自身がモデルとなる息子も出てくる。
木曽で生まれ育った本人だからこそできる、美しい自然描写だと思うし、幕末の歴史も、史実を徹底的に下調べしたのであろう内容と、当時を生きた本人(一般市民)の立ち位置だから手に入れることができたであろう目線の両方が、ちょうどいい塩梅で織り交ざっているように感じた。
また、歴史書としても名高いこの本が、歴史小説にもかかわらず他の歴史本より圧倒的に読みやすいと感じたのは、今の時代の私達でも感情移入できる普遍的な内容がベースになっているからかと思う。
主人公の青山半蔵は、教育熱心で信仰にもあつく、村人や家族思いの正義感が強い青年だ。長く続く封建社会に限界を感じており、王政復古を理想とする国学に目覚めていき、彼も学友たちのように勤王派の活動に身を投じたいと願うようになるが、次第に先祖代々続く馬籠宿の本陣跡取りとして生まれた自分の中に、本陣の主人としての自覚と在り方を見つけていくというのが序盤の流れになる。
こんな感じで、一見自分の生き方を見つけたように振舞っていた彼(多分本人も一時期までは心から受け入れていた)だったのだが、明治維新以降、あらゆることの積み重ねか、それとも些細な事の切っ掛けか、「自分は何も成し遂げられなかった」という思いや「自分が今まで追ってきたものに裏切られた」という思いに苛まれ病んでいく姿には、人の心の危うさやバランスとはいつ崩れるのかわからないという怖さを感じた。
封建社会が終わったものの、彼が思い描いたような王政復古にはならず、木曽路に残ったものは参勤交代廃止による、本陣及び宿場町の没落。むしろ、今まで支配的だと思っていた江戸幕府により、自分達はある意味恩恵を受けていた部分も多々あったことに気づかされる始末。
責任感の強い彼だからこそ、色々な道を探って、自分なりの答えを見つけようとする彼だがそのたびに打ちのめされていく。
半蔵の、見方によっては独りよがりな強い思想だけでは、読んでいてしんどくなってしまいそうな話だが、登場する人々(半蔵の両親、半蔵の妻や子供達、友人達、弟子、お世話になる人々、村の衆)の生活や心情も合間合間に丁寧に表現されていることで、中和されているところが絶妙だと思う。
半蔵の父親世代に見える、古い封建社会で築き上げてきたという誇りや名誉。半蔵の妻のように、身の前に迫る変化に気づいていてもあえて注視することをやめ、目の前にある生活を一生懸命に成し遂げようとする姿。その間で板挟みになり、父親譲りの学と感受性のために傷つく愛娘。またその傍ら、時代の変化にうまく適用して生きていける良い意味では"鈍感力"がある人々。
こういった様々な角度から書かれていることで、立場や年齢によって考え方や生き様は違っても、すべての人においてどこかしら共感や感情移入ができるものだった。また、始終半蔵にとっては苦しい人生だが、彼が皆に愛される人物だったとわかる表現が多いのも救いだ。
結果をいうと、物語の終わり方は決して、明るいといえるものではなかった。
でも、夜明け前というタイトルと、あくまでも「数ある歴史の中で起こったある一つの家族の物語」という作者の淡々と表現する客観的なスタンスが、これから来る夜明けの存在も匂わせていて、(結局は各々によってその夜明けがいつなのか、もしくは本当に夜明けだったのかという定義も難しいとは感じつつも)、いつかは来るであろうその希望を感じさせられる締めくくり方が、読み終わった後も時々ふっと考えさせるのかもしれない。
全体的に好きになれる登場人物が多い物語だったが(むしろこいつ嫌い!という悪役がいない)、個人的には、最初から最後までさりげなく、でも明らかに物語に欠かせない存在となっていた、下男の佐吉がなかなかいい味を出していたと思う。
次に実家に帰った際には、この本を思い出しながら、また木曽路を訪れたい。